■コラム「創造力の根っこ」VoL.12(03/31/2010)
鈴木淳平(株式会社ジェダイ代表)
「総和する氣」
『ロスト・シンボル』(角川書店 二〇一〇年三月三日 初版発行)も楽しく読めました。『ダ・ヴィンチ・コード』の作者であるダン・ブラウンの新作です。
ハーヴァード大学、宗教象徴学教授の主人公ラングドンの三作目です。
『ロスト・シンボル』のテーマはフリーメイソンです。日本では「秘密結社のフリーメイソン」と、冠(かんむり)がつくことが多いのですが、今のアメリカにとっては移民から始まって独立、建国当時から必然性をもった組織であると理解できます・・・「読んでのお楽しみ」にするのが慣わしなのでここまでにします。
ダン・ブラウンが書き足りなかったのではと感じる「純粋知性科学」が氣になります。
実在の「純粋知性科学研究所」は、1973年にアポロ14号の船長エドガー・ミッチェルによって設立されました。(Wikipedia)
伝統的に受け継がれてきた研究テーマ「量子力学」に関連している内容です。日本はトップレベルの権威ある研究者を数多く輩出していて複数のノーベル受賞者を出している分野です。
興行収益歴代一位を塗り替えた3D映画『アバター』を観て感ずるものがあります。
欧米人から見た植民地としての衛星パンドラで希少鉱物の採掘に危機感を募らせた現地の人間型、ナヴィという種族が抵抗運動にふみきり、欧米人の主人公がアバター(化身)となって最後は同化していこうとする物語です。
欧米人が見た地球上の未開地であったアフリカ大陸、アメリカ大陸、そしてアジア、そこに暮らす人々は、まさしく衛星パンドラのナヴィの人々そのものです。
そして主人公は、やがて目覚め、全人類の祖先であるアフリカ人や、アジア人と先祖を共にするアメリカ人であった先住民のインディアンなどに敬意と尊敬の念をもつようになっていったと解釈できます。
欧米人の19世紀まで科学と宗教を分離してきた歴史では、アジアに流れる東洋哲学の基本である宇宙観や「魂と氣」などではかり知れない叡智を見つけられると悟る人が欧米人に増えてきたように想います。
ダン・ブラウンが副題においた「純粋知性科学」を解(かい)せば「量子力学」の世界に入り込みます。
『死後の世界を突き止めた量子力学』(コンノケンイチ著 徳間書店 1996年6月30日初版)と、『スウェーデンボルグの「天界と地獄」』(高橋和夫著 PHP研究所 2008年12月9日第一版第一刷発行)を読むと興味が湧き「純粋知性科学」と「量子力学」の世界が少しは分った氣になります。
『ロスト・シンボル』で「古の神秘」と言及したダン・ブラウンに、「古」ではなく、リアルタイムの「今」の日本などでは「神秘」でなく普遍的に当たり前のこととして「ことばにならない言葉」である氣のエネルギーとして多くの人が理解し、活用していていることを知っていて欲しいと思いました。
人それぞれの意思となって創造力や表現力となり、周りの人々を感動させ、そこから更なるインスピレーションが連鎖し、大きな感動のエネルギーとして総和した氣が大河のごとく圧倒的な力で一つの方向に流れる「絆」となっていくのです。
二〇〇九年夏の衆議院議員選挙で「無血 平成維新」を成し遂げたのも民主主義が定着した証しであり有権者の思いが、氣が総和した結果だったと言えます。
一票の選挙権をもつ有権者の一人一人の「思い」が、束となって大きなうねりとなり政権交替をさせたのも「氣」が総和した結果だとする見方も出来ます。
『アバター』の主人公をもってして欧米人であるジェームズ・キャメロン監督も東洋哲学的に生きる人々の平和的な営みに魅せられ着目したのかもしれません。欧米人たちが誇る文明の先に見える世界と、ナヴィの人たちの「人間の尊厳」を守り平和的で自然との共存を重んじて生きる知恵としての文明とのパラドックスに衛星パンドラになぞらえたのではなかったのかと感じます。
「幸いにして」と言うべきか昨年の日本国内の映画興行収益は洋画が振るわず国産映画が総合的に上回ったと言う報道がありました。
国際的に活躍する映画監督も作品も数多くなってきました。
国際的に活躍するには、より日本的なものを活かした題材やテーマとして取り上げるとこでドメスティックがインターナショナルになる時代であることを証明したことになります。
最も日本的なものが最も国際的なものになるのです。
これからの創造者、表現者はそこにヒントと基本をもつことで最も国際的に評価の高い作品、表現物、創造物を生み出せると信じても問題はないと感じます。
欧米人から見た「神秘」は、脳の中で「氣」と融合した第六感を活用した日本的な内容が逆に国際的に関心を集め広まることになると感じます。
ポジティブな氣が、前向きな善い氣が、新しい門を開く「鍵」になります。
映画をはじめとして異才能集団が一つの方向でまとまろうとする「思い」が、総和された「氣」となり、感動の表現物、創造物が出来上がるのではないでしょうか。そうした映画は、感動が連鎖して多くの観客を映画館に足を運ばせるエネルギーそのもので、さらに多くの氣が総和していく氣がします。
『ロスト・シンボル』も、『アバター』も、それを教えてくれていると感じさせてくれました。