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コラム創造力の根っこ」VoL.16(08/01/2010)

                      鈴木淳平(株式会社ジェダイ代表)

「i-padと第五チャクラの時代」

 二十世紀最後のバブル時代と言われた一九八〇年代後半。
現在四十六歳前後の一九六〇年代中盤生まれの人たちがバブル・エイジと言われ就職難とは間逆の売り手市場の中、入社しただけでも最高の給料をもらいボーナスは史上空前の金額を手にしたゴールデンボーイといわれた人たちが我が世の春を楽しんだ時代でした。
パーソナル・コンピューターが普及、し始めた時代です。
戦後世代の多くの若者が「誰かの役に立ちたい」「ボランティア」などで社会に貢献したいと思った、さきがけになった時代でもありました。
 まさに生まれたときから恵まれた生活の中で成長してきた世代を旗頭に世の中は第四チャクラの時代の「ほどこしの時代」と言われた時期です。
 あれから三〇年の歳月に、バブル崩壊、9.11世界同時多発テロ、就職氷河期、そしてサブ・プライムローンのインチキによる世界金融大恐慌を経て二〇一〇年を迎え世界が大きく揺れ動いた今、時代をチャクラで表現すれば第五チャクラの「コミュニケーションの時代」に入ったと感じます。
非正規雇用労働者を筆頭に貧富の格差が開き過ぎ、ある調査機関の統計では就労者の四人に一人が年収二百万円以下というデータもあるくらいです。
そして個人主義が徹底し、街や車内で見かけるケイタイ、携帯ゲームや携帯プレーヤーの音楽で耳を塞(ふさ)ぎ人との交わりたくない、コミュニケーションが苦手、会話の基本である挨拶すらできない人が、若者のだけでなく多くの世代に充満してきています。
まったく人と話さないで一日を過ごす人も急増しているように感じます。
「嘆かわしい」とか言う問題ではありません。
若者だけが責められる問題でも有りません。
人間社会において集団生活の基本が成り立たなくなってきているのです。
表面的には会社や所属する団体などを基本にした会話はマニュアルのように、金太郎飴のように、こなす人は増えましたが、それから発生するより具体的な内容の話になると会話が成り立たないようになってきているのではないでしょうか。
コミュニケーションを上手にとれる人が激減しているのです。
これは男女間や親子間も同じです。
工夫や向上心、相手への敬意などは死語同然のところまできています。
それでも何故か二十一世紀の今はコミュニケーションの時代なのです。
パラドックス(逆説)的に第五チャクラ・コミュケーションの時代なのです。
クリエーターを目指す人は横ばいかもしれません。
良質な創造物を世に送り出せる人が減っているのかもしれません。
発想が貧困といわれているかもしれません。
何故なのでしょうか?
答えは、クリエーター個人の表現出来る仕組みやステージが少なく、また専門的になりすぎ、表現すべきことが分業化されてしまったからなのです。
ひるがえせば、異才能集団によって統合された表現物が増えてきたということになります。
ゲームを企画開発するにもハリウッド映画並みのコストがかかり映画を超えていると豪語する経営者まででてきているくらいです。
そのハリウッドの映画も異才能集団がそれぞれの才能を発揮して融合しないとヒットには、なかなかつながらなくなってきています。
今や単数でみた興行収益は日本映画の方がハリウッドを抜いている現状です。

このまま行けばコミュニケーションの苦手な個人が集まって異才能集団の作業を分業する環境の中で、誰が統括しコントロールするようになるのでしょうか?
文化の逆説的困った成長です。

六月に日本でも発売されたi-padがIT産業の救世主のような存在になってきています期待がかかっています。
たった一人の個人でアプリを開発して世界を相手に、クリエーティブな仕事や表現が出来る環境が整ったことを意味しています。
コミュニケーションの時代でありながら、個人と個人の関係が希薄になりながら個人の作品や表現物、ゲームでも、世界的にダウンロードされるチャンスを手に入れることが出来る時代になったのです。
異才能集団で個人の才能を発揮するもよし、アプリを個人で開発して世界デビューするもよし。
久々にコミュニケーションが苦手な個人にも選択肢が増えた二十一世紀です。
自分に実力をつけ自分の創造意欲を最大限に社会に知らしめるために求められるコミュニケーション能力を養うには、ある程度の人と人の距離を保った状態の『人は語らず、表現物をして語らしむ』なのかもしれません。
コミュニケーションが苦手でも日々、精進して基礎を学び共感を呼び起こす創造物に向う姿勢をもち続ける心得が大切だと感じます。
それが出来ればコミュニケーションする時に応用が利くというものです。
人が見ていないところで努力を積上げられる人が最後に多くの人に共感してもらえる理屈や言葉では言い尽くせない表現物を生み出せることになると思うからです。そこに個人の魅力がにじみ出て自然にコミュニケーションの口火を切る糸口を見つけられ話が弾み意気投合する化学変化が生まれるのではないでしょうか。