ゲームの未来 鈴木淳平
消費者をわくわく楽しませる先駆者の役目を担うゲームのハードウエアは、最先端技術の画像処理で時代の先頭に立って走り続けています。
ソフトウエア・ゲーム性を重視するよりも最先端技術のハードウエアを取り入れたゲーム機器の開発を重んじる傾向がゲーム業界にはあるようで、〔もっと面白いゲームを提供したい〕のジレンマを抱え続けているようにも見えてしまいます。
2013年の1月から3月の世界全体での携帯電話出荷台数は、2億1,620万台、前年同月比41.6%と大幅に伸び、従来型のガラケー(日本特有の従来型の携帯電話でガラパゴス・ケイタイを略した呼び名)よりもスマホ(スーマトフォン)の比率が51.6%となり追い抜きました。(4月28日NHK7時のニュース、米国調査会社IDCまとめ)
スマホで駅のホームや車内でゲームを楽しむ人が増えているのもうなずけるデータです。CMもスマホで遊ぶゲームがにぎやかで圧倒的な宣伝量です。
利便性と合理性を追求する消費者の心をつかんだようにもみえる、〔いつでもどこでも〕がゲームのキーワードでもあることを教えています。
ユビキタス
好奇心を刺激されあるいは孤立感を自ら助長させ社会とのつながりを遮断するかのように〔いつでもどこでも〕スマホに熱心過ぎて夢中になり過ぎて周囲に氣を配ることのできない人が増えていると憂いている人も多くなったと感じます。
望む画面を〔ユビ〕でスリスリはじき、表示されれば〔キタッス!〕、ユビキタス。
いつでもどこでもユビキタスなスマホです。
2011年テレビ放送の地デジ化で爆発的に普及した薄型テレビ、たて続けに疑似3D(ヴァーチャルな疑似立体)になるサングラスのような〔3Dメガネ〕をかけて観るテレビも売れ業績を伸ばしながらも海外の安いテレビにシェアを奪われた家電業界と、お茶の間で21世紀を満喫した消費者・生活者です。
より現実に近い発色のプラズマテレビよりも発光色が際立つ液晶テレビが世界的に売れ裸眼で観る世界よりもヴァーチャルな世界に現実が置き換わった感じがゆがめない現象のように感じます。
圧倒的な支持を得るディスプレイ・液晶画面の次は何になるのでしょうか?
裸眼で観える3Dではと答える人が圧倒的なはずです。
当時、すでに3Dメガネでなくても裸眼(らがん)で3Dが観えるテレビは開発され一部店頭に並んではいましたが普及したというまでにはなりませんでした。
三次元(3D)・立体映像を〔いつでもどこでも〕好きな時、ハンドヘルドのツールに呼び出し、立体ヴァーチャルリアリティを再現出来たらその仮想物体を手で触りたくなることは勿論、画期的なディスプレイとして応用範囲は、軍事、医学、生産現場、ゲームなど広い分野で活用されることでしょう。
今あるスマホの画面の上に立体画像が浮き出てゲームとして遊べたら夢のように面白いはずです。
柔道も空手もカンフーも相撲もプロレスもテコンドも何でもありの【格闘技選手権】が楽しそうで初期段階では誰でもが想いつくゲームができそうです。
あるいはバベルの塔を造ったり、トランプ・ピラミッドの高さを競ったりなど、立体で見るからこそ迫力と達成感が増すゲームもできそうです。
この技術はすでに存在しており一般消費者向けにはまだですがいくつかの問題解決を果たせば商品化可能なところまで来ています。
ホログラム(Hologram)
現象的に分かりやすいのは映画『スター・ウォーズ エピソードW』(1977年公開)で、主人公のルーク・スカイウォーカーが助っ人船長ハン・ソロのおんぼろ宇宙貨物船ファルコン号で60cm位の円形チェスボードの上にモンスター同士が格闘するシーンで映像として撮り入れられていました。
またレイア姫がオビ・ワン・ケノービに、ロボットのR2D2を使い、助けを求め密書を録画・再生するシーンでも裸眼3Dのホログラムとして映像化されていました。
三次元の立体映像、立体ヴァーチャルリアリティどちらの表現でも一般的には、ホログラムと言われ、ビデオのブルーレイの技術と同じレーザー光線の波長を短くした技術がこなれたことで精密な再現性が可能となってきました。
1977年の劇場公開ですからジョージ・ルーカス監督は当時の最先端技術を知り、それを発展させ〔あるべき姿〕として映画の中に撮り入れていたのです。
(くれぐれも「何でもできるハリウッド映画」ですから、本物のホログラムを使用したわけではなくトリック(仕掛け)から進んだエフェクト(効果)で映像化された映像マジックとしてホログラムに見せていたのです)
ゲームソフトから技術革新か、ハードウエアに合ったゲームを創るか
〔ニワトリと卵、どちらが先か〕なのでしょうか。
デザインからでしょうか、それとも工学の技術からでしょうか?
答え両方、としておきます。
ゲームの未来はソフト・ハードの両方が融合した世界でより大きく羽ばたきます。
そう遠くはない将来、裸眼で3D・ヴァーチャルリアリティのホログラム・ゲームでゲーマーは勿論、周りに居合わせた人も参加でき、観戦でき、周囲や社会とのつながりを重視した皆で遊べ、楽しめるチェスや将棋、トランプ遊び、ボードゲームなどの良さを憶い出させ回帰する宿命をゲームは帯びているはずと思います。それがゲームの役割であり使命であるべきです。
そうでなければ単なる〔ヒマツブシ〕、時間潰しのゲームになってしまいます。
ゲームに携わる人、皆が、自ら使命を課し、その役割を果たすのがゲームの未来であるべきだと言いきれるようになって欲しいものです。