ワグナー生誕200年、総合芸術を祝う
鈴木淳平
リヒャルト・ワグナー(1813−1883)生誕200年の2013年です。
ワグナーは、1813年5月22日にドイツ、ライプツィヒに生まれました。
クラシック音楽界で「ワグナー以前、以後」といわれ19世紀後半のヨーロッパ文化人に多大な影響を与え、ワグナーは、今や世界的に受け入れられています。
20世紀には、ヒトラーのナチに、ユダヤ人排斥のプロパガンダに利用されたことから様々な言われ方をしているワグナーでもあります。
ワグナーについて、理解しやすいテレビ番組がワグナーの誕生日に合わせるようにNHKBS放送、『世界のドキュメンタリー』「シリーズ アーティストたちの素顔」で「ワーグナーとユダヤ人のわたし(原題:Wagner and Me/制作:Wavelength Films:イギリス2010年)、5月21日(20日深夜)、5月22日(21日深夜)」として2回に分け放送されました。(NHKアーカイブスで視聴可能と想います)
21世紀、多様性の時代に総合芸術の多くは、細分化されたスキルをもつ個人が集まった〔異才能集団活動〕が代表的です。19世紀に時代を遡ると〔個人、ひとり〕で総合芸術を完成させたワグナーを知ることになります。
台本・作曲・作詞・指揮・舞台美術・劇場設計など〔ひとり〕で何役・何スキルもこなし感動の作品に仕上げ、世に贈りつづけた天才総合芸術家、オペラを楽劇に変えたリヒャルト・ワグナーです。(過去にこだわる者は未来を失う・過去の延長に未来は無い・非常識を常識にする、を貫き続けたワグナーです)
スティーブン・フライは、番組の中で以下のように語っていました。
バイロイト辺境伯歌劇場を見学しながら、「ワーグナーがオペラ作曲家としてのキャリアをスタートさせたのは こういった伝統的な劇場でした ここにはワーグナーが忌み嫌った 従来のオペラの要素のすべてが詰まっています
見栄と虚飾に満ちた世界 人びとは社交界のゴシップに花を咲かせ 互いに品定めする こうした気取った俗物根性は今もオペラには付きまといます
ワーグナーはそのすべてを嫌いました」。
総合芸術の先駆と言っていい『楽劇』の誕生
ワグナー以前のお決まりの不自然に歌が入るオペラ形式をワグナーは、観衆が楽しめ、感情移入できるように最も自然に登場人物や情景要素を主導動機〔ライトモチーフ〕と名付け作曲する楽劇〔ミュージックドラマ:Musikdrama(独)〕としてギリシア悲劇への回帰を理念に総合芸術に進化させました。
楽劇『ニーベンルグの指環』を構想開始した1841年28歳から初演の1876年63歳の35年の間、1856年(43歳)で中断し1869年(56歳)再スタートした13年間にワグナーは、ヴェーゼンドンク夫人との悲恋を重ねた楽劇『トリスタンとイゾルテ』を1865年(52歳)に、ヒトラーが最もプロパガンダに利用したと言われる楽劇『ニュールンベルグのマイスタージンガー』を1868年55歳に、2作品完成させています。ワグナーは多数の総合芸術作品を同時進行させる天才でした。
クラシック音楽はホスピタリティあふれるエンタテイメント
ワグナーは、19世紀のメディアがピアノ楽譜や演劇・オペラだったエンタテイメントを最大限に拡大させ楽劇を創作しました。20世紀、自作自演・監督・作曲・演奏を独りでこなしたチャーリー・チャップリンの映画に、涙あり、笑いあり、スリルあり、ペーソスありと、救済と自己犠牲の理念は奇遇にも引き継がれています。
舞台で観るイリュージョン、映画の特撮技術や20世紀末の技術革新・CG(コンピュータ・グラフィックス)のヴァーチャル・リアリティ・仮想現実のエンタテイメントの根本にワグナーのホスピタリティあふれる楽劇の存在を感じさせます。
4日間で18時間近く観る、楽劇『ニーベンルグの指環』
【前夜祭と三日間の舞台祭典劇】便宜上、四部作といわれますが正確には〔前夜祭付三部作〕楽劇『ニーベンルグの指環』がワグナーの代表作の一つです。
4日間で約18時間かけて鑑賞する楽劇『ニーベンルグの指環』は、完成度を加味すればワグナーの前にも後にも類を見ない追従を許さないギネス物です。
全世界に共通する、共感させる普遍性をテーマ・題材にしているからでしょう。
『指輪物語』から『ロード・オブ・ザ・リング』と楽劇『ニーベンルグの指環』
1980年代、アニメの題材が尽き始めたころテレビ局の人に残された最後の題材は『ニーベンルグの指環』だと話しことを憶い出します。偶然にも数年後にテレビ化されましたが、残念ながら直球すぎて不発、変化球に受け止めていたなら『ロード・オブ・ザ・リング』は日本発になっていたかもしれません。
映画『ロード・オブ・ザ・リング』(三部作2001,2,3年)は、英国のトールキン作の『指輪物語(1954,5年刊行)』が原作で、おとぎ話、北欧神話、ケルト神話などにインスパイアされた作品で『ニーベンルグの指環』とほぼ同根で類似性を指摘する人もいますが制作完成年代から推察すればオリジナリティは『ニーベンルグの指環』にあると言いたいところです。
13年の中断を感じ取れる楽劇『ニーベンルグの指環』
前述の「ワーグナーとユダヤ人のわたし」で楽劇『ニーベンルグの指環』第二夜『ジークフリート』第3幕前奏曲を挿入音楽にしていました。
1856年、『ジークフリート』第2幕の途中で、『トリスタンとイノルデ』、『マイスタ―ジンガー』を作曲するため中断し、再び着手した1869年、13年間のブランク、時間をへだて作風が変わったと聴き取れるのが『ジークフリート』第3幕前奏曲で、より現代の音楽に近い感じ挿入音楽にしたのでしょう。
一般聴衆であり音楽的才能もない偉大なる〔ロバの耳をもつ〕リスナーである私にもワグナーの苦悩と13年間のブランクがレコードからにじみでているのを聴き取れた『前夜祭と三日間の舞台祭典劇/楽劇『二―ベルングの指環』です。
全曲を鑑賞することをお勧めします。
ワグナー以後、世界標準となったもの
総合芸術を誕生・進化させた楽劇を演奏する劇場をワグナー自らデザインし、ホール全体が楽劇の音響で包み込まれるように設計を施しパヴァリアの狂王、ルートヴィッヒU世の熱狂的な援助なしに叶わなかったバイロイト祝祭劇場で実現した観衆が舞台に集中できるように感情移入しやすいよう今では世界的に当たり前のオーケストラ・ピットを見えないように舞台の下にもぐらせました。観衆に背中を向けオケと向き合い指揮するスタイルもワグナーゆかりの世界標準です。
(貴族出身だったルキノ・ヴィスコンティ監督の遺作、映画『ルードウィッヒ・神々の黄昏』でワグナーを崇拝するルートヴィッヒU世の人物像は描かれています)
一度は聴いてほしい『ジークフリート牧歌』
ワグナーの音楽は騒がしいという人もいますが、コジマとの間に生まれたジークフリートに思いを重ねた名曲の初演を、12月25日、自宅2階で眠る誕生日のコジマへのバースデープレゼントに小編成の楽団から静かに奏でられコジマを心地よく目覚めさせる心憎い演出までされた、『ジークフリート牧歌』を聴いて欲しいものです。(コジマのリボンで部屋いっぱいに装飾した誕生日プレゼントに感激したワグナーは、コジマの誕生日祝にとひらめいたようです)
ワグナー生誕200年を祝う氣持ちからワグナーのエピソードが脳に充満して語りつくせません。ワグナーのレコードを聴き体感した刺激情報が、脳の中の〔想像力の根っこ〕で化学変化し何十年の年月を隔てた今でも脳内映像として鮮明に浮かぶのはワグナーの創造力の結晶であり魅力である作品・商品の数々に普遍性の力があるからです。良書を読み脳で映像化するのと同じ化学変化です。
人それぞれ体感・経験によって〔想像力の根っこ〕で化学変化する脳内映像は異なるはずです。今後CGのヴァーチャル・リアリティの進化に伴い画一化することで〔想像力の欠如〕が引き起こす〔創造力の不毛〕に危機を感じさせます。
21世紀、総合芸術の主流が映像を主体に進化し、共通言語化と情報共有は多くの人の脳の中が同じ脳内映像の〔金太郎飴〕のようになってしまうのではと。
19世紀のワグナーが舞台をメディアとして総合芸術の楽劇を創作したころと今とでは人の脳の中で何かがすり替わっているようにも感じます。
想像力・イマジネーションと創造力・クリエティヴィティは異なる表記ですが、脳の〔刹那〕な段階を経る化学変化で起こる想像力と創造力は、表裏に感じます。
偉大なるワグナーのようにはいかなくても想像力が脳内映像で、ヒラメキがオリジナルな創造力として芽生えると感じる祝・ワグナー生誕200年です。
ワグナーを知ることは、多くの感動と発見から創造力を芽生えさせるはずです。
参考:ワグナーも若い頃はオペラを作曲、年齢を併記し年表にしました。
1832年(19歳) ハ長調交響曲
1833年(20歳) 序曲『妖精』
1834年(21歳) 女優のミンナ・プラーナーと出逢い1836年結婚
1835年(22歳) 序曲『恋愛禁制』、初演1836年3月
1840年(27歳) 序曲『リエンツィ』完成
1841年(28歳) 歌劇『さまよえるオランダ人』、序曲は1841年パリ初演
楽劇『ニーベンルグの指環』構想開始
1842年(29歳) 歌劇『リエンツィ』、ドレスデンで初演
1843年(29歳) 2月ザクセン王国、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団指揮者。
1843年(29歳) 歌劇『さまよえるオランダ人』
1844年(31歳) 『ファウスト』序曲、1844年7月22日ドレスデン初演
1845年(32歳) 歌劇『タンホイザー』、1861年官能的なバレー付「パリ版」に
1849年(36歳) ドレスデン三月革命参加、全国指名手配され、リストを頼り1858年までの9年間スイスへ亡命
1850年(37歳) 歌劇『ローエングリン』、1850年8月28日ワイマール初演
1854年(41歳) 楽劇『ニーベンルグの指環』:前夜祭『ラインの黄金』から開始、1854年5月28日に総譜完成
1856年(43歳) 楽劇『ニーベンルグの指環』:第1夜『ワルキュ―レ』末完成
1856年(43歳) 楽劇『ニーベンルグの指環』:第2夜『ジークフリート』第2幕途中で9月22日に中断
1864年(51歳) バイエルン国王ルートヴィヒU世に招待(出会い)される
リストの娘で指揮者ビューローの妻コジマ(Cosima,1837年-1930年)との噂が世間を騒がす。同年、『忠誠行進曲』
1865年(52歳) 楽劇『トリスタンとイゾルテ』
1866年(53歳)〜1972年(59歳)スイス、ルツェルン郊外のトリプシェンで暮す
1866年、正妻ミンナが病死
1868年(55歳) 楽劇『ニュールンベルグのマイスタージンガー』初演
1869年(56歳) 楽劇『ニーベンルグの指環』再スタート(13年ぶり)
1870年(57歳) コジマ、ビューローと離婚、ワグナーと再婚。(25歳差)
『ジークフリート牧歌』コジマの誕生日12月25日に自宅で初演
1874年(61歳) 楽劇『ニーベンルグの指環』、完成は11月21日
1876年(63歳) 楽劇『ニーベンルグの指環』、バイロイト祝祭劇場の柿(こけら)落とし初演、8月13,14、16、17(15日、歌手の風邪で休演)
1871年(58歳) 『皇帝行進曲』
1876年(63歳) 『アメリカ百年祭大行進曲』
1882年(69歳) 楽劇『パルジファル』
1883年2月13日(69歳) ヴェネツィアで客死
*RICHRD WAGNER
ワーグナー、ワグナー両方をこのコラムで表記しています。
ヴァーグナー、ヴァグナーや、古くは古典舞台ドイツ語のワグネル、ヴァーグネル(wikiより)を使っていた関係からワグナー・ファンをワグネリアンと称しています。個人的にー(長音表記)を使わない方が国際的と感じていますのでワグナーで以後、表記を統一。
*『Vフォー・ヴェンデッタ』は、RPG・ゲーム時代−2−1想像力の根っこ 46(2013年1月掲載)31Dec12
*総合芸術
想像力の根っこ 0(2009年4月第1回の冒頭に掲載)
*「…ギリシャに興味をもったが1847年には12世紀、古ドイツ語の 「二―ベルングの歌」や、ジムロックの「ドイツの英雄譚」を読んだ。さらに「工ッダ」物語の新旧両版、北欧古代の「ヴェルズンガ・サ―ガ(伝説)」その他のものを参考にした。」と渡辺護の解説による『前夜祭と三日間の舞台祭典劇・ワーグナー/楽劇”二―ベルングの指環”全曲(ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮/ローマ交響楽団及びイタリア放送局合唱団)昭和47年11月』より
*(ワグナーと不仲だったブラームスは、『交響曲第一番』を初演した時に批評家の多くに「ベートヴェンの第九のパクリでは」と、ののしられ腹を立て、お返しに「ロバの耳でもわかる」と言ったとか)
*ルートヴィヒU世は、ローエングリンを題材に建造された白鳥城:ノイシュバンシュタイン城を財政難の中、建てさせました。
*ルキノ・ヴィスコンティ監督(1976年没・くしくも『指環』初演100周年、何という偶然でしょう。)遺作、映画『ルードウィッヒ・神々の黄昏(原題:Ludwig:1972年作)』はイタリア語からの日本語表記された関係でルードウィッヒに。
*ルートヴィヒU世(1886年6月13日没)の不自然な入水自殺をエピソードした森鴎外作『舞姫(1890年発表)』が日本では古典として有名。
鴎外が陸軍省派遣留学生として1884年から4年間の体験が綴られているそうです。
*年表は個人所有のレコードコレクションの解説からまとめています。
これ以外にもマティルデ・ヴェーゼンドンクとの不倫による三角関係を重ね合わせた楽劇『トリスタンとイゾルテ』のライト・モチーフにもなったヴェーゼンドンク歌曲集や未完の作品が多数あります、詳しくはwiki(ウィキペディア)で。
*ルートヴィヒU世は、『ローエングリン』を題材に白鳥城:ノイシュヴァンシュタイン城を財政難の中、建造させ、今では一大観光地の恩恵をもたらしました。
*指揮者ハンス・フォン・ビューローはベルリン・フィル創設者