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コラム「創造力の根っこ」VoL.67 (01/11/2014)

「見る力」を向上させるアプリ「記憶力」1            鈴木淳平

 記憶とは?記憶力とは?記憶の保存状態と劣化は、肝心な時に言葉やアイディアが出てこなかったり、会話の途中に過去の事例を挟もうと憶い出そうとしても出てこなかったり、多くの人が経験する「記憶力」の問題です。
「見る力」の精度を向上させる重要なアプリ〔application ware〕のひとつ、脳内ツールとして身に着けることを心がければそれに見合った成果をあげることができるのが「記憶力」です。

記憶は五感からの情報の保存・蓄積
「これ前にどこかで見た」、「それ聞いたことがある」、「この味…」、「臭いが懐かしい」、「そうそうこの感触」など五感からの体験を脳内で記憶・蓄積された状態が記憶です。
その人の個性や能力、趣味などを決定づける要因の一つとしても記憶が左右すると想われます。その人にとって理屈抜きで心地良い体験、好きだなぁという体験が、多くの可能性・選択肢の中から自らの可能性を狭め、個性や能力になってゆくと想われます。すべての始まりは五感からの刺激をどう受け止めたか、どう情報として記憶したかにかかっていそうです。
記憶は五感からの情報を保存・蓄積することです。
五感センサーの情報を能動的な「見る力」で確実に記憶することが大切です。

「記憶力」とは?
五感からの情報を脳内でデータ化したものが記憶で、データ化といっても脳内にデジタルで保存されているわけではなく、例えば「記憶」と言う言葉が、細胞や指定できる部位に保存されているというのは、合理性に欠けると感じます。
いつでもどこでも必要な時に記憶を再生(脳内に呼び戻しフィックスさせる)できる能力が、「記憶力」と感じます。
成績がいい
記憶力を問われる試験が多く、応用やその人の意見、価値観などを試すのには義務教育や学校と言われている環境では確立されていないことが多い記憶からへ発生するアイディアや創意工夫などは、成績と比例しないこともあるようです。目の前に起きた事象に対応するときの記憶力を試される実社会では教科書通りにいかないことが多いと言われるのはそれを言い当てているように感じます。

成績が良かったからと言って実社会で通用し役に立つとは限らないのです。

デジャヴ【déjà-vu(仏)】、「あれッ、これ夢で見たことがある!」
正夢?それとも遣われてない脳の一部の予知能力?
五感を通して体験した情報を脳内のデータと照らし合わせ近似値をすぐさま拾い集め再生し、今このとき経験した新しい情報と共にアップデートし、新たな記憶としてメモリー(保存)される過程において脳内で〔経験あり、夢で見た〕と信号が流れ反復実行・ループ(loop)した状態がデジャヴだともいえそうです。
デジャヴ体験をした人は、自身が驚く以上にそれが事実であれば都市伝説もどきの事例としてヒトの能力に無限大の可能性があることを示唆されたような氣にさせられます。

共通認識を可能にする「記憶力」
個人差・個体差はあるにしても脳の作業の中の「記憶力」は、五感を通して人と人を結びつけ共通認識に至る基本的なコミュニケーション・ツールの一つです。
むしろアプリケーションと言っていい「記憶力」です。
仮に「記憶力」が何らかの理由で欠如ないし劣化している場合、共通認識の前の共通言語を共有するのにも難を要します。
同じ体験を通して人それぞれの過去の体験と結びつけながら人と人を結びつけ情報を共有することでコミュニケーションが成立します。
ウエアラブル情報端末によるカップルたちの無言のコミュニケーションを街やカフェで見かけるたびに人それぞれの脳の中で共通認識、情報の共有が音を立てて崩れ去るような危機感を感じてしまう悲しさがります

記憶細胞
記憶細胞は言葉の便宜上、遣われていますが記憶細胞は本当に存在するのでしょうか?科学万能の21世紀、記憶細胞は未だに解明されていません。
記憶細胞という部位組織は無いように想えます。あるとすれば現象として存在を裏付け出来きるかもしれません。
脳内を走る複数の微電流の振動(波動)が重なり合い共鳴し、唸り(うなり:うねりではありません)となった状態が記憶だと想います。脳の細胞のどこかを取り出し「これが記憶細胞です」と言い切れる学者はいないと想います。将来、何らかの科学的方法で記憶細胞であると証明できるとすれば、そこには複数の波動が重なり合い共鳴して起きる〈唸り現象〉による記憶を目撃・証明することになると想います。記憶の保存劣化や、忘れたり、記憶をうまく引き出せない、記憶の扉が閉ざされたままなど記憶細胞が有るのであれば起こりえないはずの科学的に記憶細胞を提示できない所に、真の合理性と自然の節理を感じてしまいます。

人は、それぞれの体験の記憶を覚えているはずでありながら忘れてしまったり思い出したいときに憶い出せないで時間を浪費したり生活リズムを崩したりします。
記憶を再生する能力は人それぞれに差が出ることに間違いはありません。
記憶(memory:データ)
記憶保存についても人様々です。データ保存をコンピュータのように手順を踏んで記憶するにしても、パソコンを使い始めの初歩的な時に再生する手順を忘れてイラっとした経験や、本当に保存されたのか疑心暗鬼になったりした経験をした記憶を憶い出します、あるいは記憶が再生されます。(つづく)

 












 

 

 

 






















デジャブ=既視感(きしかん)は、実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じることである。フランス語 "déjà-vu"[† 1]よりデジャヴュ、フランス語由来の英語 "déjà vu"[† 2]よりデジャヴまたはデジャブなどとも呼ばれる。
(ウィキペディアより)