「色・クライシス−2」 鈴木淳平
太陽光の反射による総天然色、人工色のCMYK、LEDテレビなどの発光によるRGBの総人工色との三つ巴が入り乱れる世界に生きる人類
我々人類は、常に総天然色と総人工色の色認識を混乱し続けるのでしょうか?
総天然色と総人工発光色の〔色認識〕クライシスあるいはパラレル・ワールド
太陽光の反射の色よりもCMYKやRGBの人工色が主流になって世界の地域、民族や言語の差による色認識の違いを世界共通化、統一する〔色の標準化〕は、すでにパソコンでは達成されました。
現実は人工色によるCMYKとRGBの理解、使い分けに苦労する状況が続いています。学生時代の提出課題で失敗した経験をカミングアウトします。 『あおくんときいろちゃん』の絵本、映像化失敗談
オランダ生まれのアメリカで最も活躍した絵本作家の一人として紹介される作者のレオ・レオニが国際絵本コンクールでグランプリを獲得し、現在でも人氣ある絵本の一つ、『あおくんときいろちゃん』を授業で紹介され、夏休みのどの授業の課題だったか忘れましたがその絵本の映像化に挑みました。
映画好きだったこともあり、3分程度の短編ながらタイトルやエンドタイトル・ロールにもこだわったことを憶いだします。自宅の部屋をスタジオに早変わりさせスポットライト数本の照明機材とどっちだったか壁か天井にスクリーン代わりに模造紙を貼り、撮影カメラはベータやVHSのカメラが高価だったので8ミリカメラで撮影するなど、現在では簡単にスマホやガラケーでカメラ撮影し誰でも映画監督になれる時代ですが、電子化による文明の利器が開花する前の時代でした。
ホワイトアウト
映像化にあたり集団による前打ち合わせ無しに、短時間で課題を仕上げる合理性に集中していたので、絵具を使って表現する手間よりライトに色セロハンをかぶせ色表現した方が撮影もしやすく時間短縮にもなると想い撮影を始めました。最初はエンドタイトルのアルファベットをAから順番に文字を所定の位置に貼り付けコマ撮りをZまで繰り返しアニメーション化し最後まで観ないと人の名前が完成しない自己満足のアイディアから始め、出来栄えはなかなかのものでした。いよいよ本題の『あおくんときいろちゃん』撮影はシンデレラ・タイムをまわり未明にさしかかり、2本のスポットライトにそれぞれ青色と黄色のセロハンをかぶせ真っ暗にした部屋でライトを点灯させ、欄外の表紙画像のように、端と端が重なったところに緑色が現れることを期待しカメラ・アングルの左右に分けて映し出し発光した青色と黄色をゆっくりと中央で重ね合わさるように寄せ、交わせた瞬間…。
ホワイトアウト・クライシスに襲われました。(無知でした)
光を重ねたことで透明になり模造紙の白が見えたホワイトアウトだったのです。色を発光させ重ねたものと絵具を混ぜ合わせたものとでは、真反対とでもいうべき差のパラドックス(paradox)的な体験をした瞬間でした。光の三原色には黄色はないのにと、?マークが頭に飛び散りました。
CMYKとRGB太陽光をあびながら生きてきた人類がその恩恵よりも人工色を重んじるならば自然との棲み分けを選択したことで前述した〈バベルの塔〉が身近に迫っている裏付けではと感じながら、太陽や自然に対する畏敬の念を忘れられません。
『あおくんときいろちゃん』、 レオ・レオーニ著、藤田圭雄訳、至光社 1967年出版。
あおくんときいろちゃん (至光社本)1984/1www.amazon.co.jp/、より。
www.ehonnavi.net/ehon/615/あおくんときいろちゃん/、」より。
ja.wikipedia.org/wiki/藤田圭雄、より。
フライヤー(flyer,flier):広告の媒体として遣われる言葉。チラシ、ビラと同じで時代によって世代によって言い方が違うように感じますが使い分けしている人はいないようです
CMYK(シーエムワイケー)
C=シアンcyaan,cyanの青(青緑)、
M=マゼンタmagentaの赤(赤紫)、
Y=イエローyellowの黄色、
K=くろkuroの黒、またblackのkとの説もあり)
RGB(アールジービー)
R=レッド・REDの赤、
G=グリーン・GREENの緑、
B=ブルー・BLUEの青(青紫)、
パラレル(parallel)・ワールド
2つの物事が平行する状態、
太陽光の現実とヴァーチャルなPCの世界が平行
しているのが現在。
念のため:パソコン画面はRGB、
印刷はCMYKです。
作図ソフトや画像加工ソフトは、画面や完成作品の色をCMYK,RGBで指定できるようになっています。