NUDNimageNUDNとはimageID/PD分野についてimageお問い合わせ

image
partitionホームpartition芸術学部情報partitionデザイン学科情報partition学生作品partition卒業生作品partitionリンク集partitionメールマガジンpartition
image
コラム「創造力の根っこ」VoL.75 (03/07/2015)

色・Yインパクト(impact 衝撃あるいは強い印象)   
                                  
鈴木淳平

 ファッション界で新定番色と、黄色が言われ始めた1990年代末
世の中がモノトーンに見えた時代、20年にわたる長い不況・デフレの始まり
世間を、明るくしたいという潜在意識や衝動に色は関わっています。
業界をまたいだコラボのYインパクトが関わっていたことを憶い出させます

 

 メンヘラ
ここ数日で耳にした意味不明の言葉〔メンへラ〕から話を始めます。
〔精神を病む〕としか今は表現のしようがありませんが、画家のゴッホを知った小学生のころには無かった言葉でネット検索で意味は理解できるかなと想います。
〔メンへラなゴッホ〕と表現すれば若い世代にも通じるのかもしれません。
ゴッホと黄色
かつて小学生のころ自主的に通っていた日曜学校と言われた教会のクリスマス会で連想ゲームに参加し、輪番制の出題者が「赤!」といえば、次の人が回答者になり「日の丸弁当!」と順番に答えその人が次の出題者になり「黄色!」と言い、私の番で「ゴッホ」と答えたことを憶いだします。
テレビだったか何かで画家のゴッホを知り、黄色を多用したゴッホ自身が精神を病んでいたとも言われていた記憶と、ヨーロッパかどこかでは黄色は精神を病んだ人の色との記憶が溶け合い、すかさず答えものでした。

RGB+Y
数年前からRGBにYを追加し、より鮮明に美しく見えるようにしたテレビモニター(発光ディスプレイ)が大手メーカーから発売されました。光の三原色であるRGBにY(イエロー・黄色)を追加したことが売りの目玉になっていました。
原理的にRGBの発光だけでYは出にくいのでしょうか?
光の三原色を混ぜ合わせば透明色になることは前述のとおりで、発光色を重ね合わせるその過程でY・黄色は視覚的に確認できるはずです。
Y・黄色を独立色にし、鮮明な発色を実現しインパクトを与えたのでしょう。

デフレの入り口の回想、1990年代
ファッション界や化粧品業界は流行に敏感な産業の代表と言えます。
1990年代、黒・白・紺・茶を中心に展開し、「日本女性を最も美しくした」と言わせた世界的有名ファッション・ブランドのアパレル(衣服)が飛ぶように売れた時期です。すでに前述の色・パニックの口紅の赤をつけ街を闊歩する女性は少なく、男性側からの街の声は、「華やかさがなくなった」などを耳にしたころです。
雑貨業界から黄色が始まった

 偶然のように黄色を基調にした各業界のモチーフが雑貨店に並び始めました。
黄色のバヤリース
先行したのは、飲料のバヤリースの黄色が浅草の軽衣料の帽子製作会社に在籍した版権担当者によってライセンスされ雑貨店にTシャツ・キャップ・ポーチなどがヒットしていました。(正確にはオレンジ色ですが、ネット確認願います)
黄色の森永ミルクキャラメル
 数か月後、お菓子メーカーの大手森永のミルクキャラメルのパッケージ・デザインを使用した雑貨商品、なかでも発売メーカーぼ担当者が文具業界在籍だったことで文具中心に雑貨チェーン店の一番目立つ軒先に並び2つの黄色が雑貨店に新鮮な彩を添えていました。
 黄色のM&Msチョコレート
水面下では同時多発的にスタートしていたものの版権処理に1年以上の後れを取り3つ目の黄色を主体にした米国のM&Msチョコレートをカジュアルアクセサリーと軽衣料・文具雑貨など大展開を模索していたのが玩具流通は得意でも雑貨流通は苦手な当時の玩具メーカーに在籍していた担当者でした。

バヤリース、森永ミルクキャラメル、雑貨店へ商品を仕掛けるライセンシー側の版権担当者にM&Msの版権取得担当者が面会し3者で集まり、同じ時期に似たような黄色を主体に版権を取得した動機を語り合った結果、不況下の市場に少しでも明るさを取り戻したいと3者が同様に感じていたことが分かったのは市場導入から数年後のことでした。

他業界の商品を版権化し雑貨商品などに展開する手法は当時「UFOキャッチャー・ゲーム」、「クレーン・ゲーム」の中身がぬいぐるみ中心から、生活者・消費者が日ごろ目にする生活用品を景品にアレンジるする流れから生まれたライセンス・版権ビジネスの代表例といえます。

流行の予兆は他業界にヒントが
同時多発的に雑貨店を中心に展開された3種の黄色は、業界をまたいだ代表的な例ですが、過去には無いインパクトを他業界に与えたと確信し、流行の兆しは同じ業界内よりも他業界にヒントを求める傾向があると分かります。
3種の黄色の雑貨商品の市場導入・ヒットがファッション業界に新風を巻き込み新定番色として黄色が採用されるに至るアンシャンレジームではなかったのかと回想され、Yインパクトにふさわしい事例ではなかろうかと感じます。

不況の始まりのモノトーンのような色彩しか記憶に残らない1990年代に少しでも明るさを生活に取り戻してほしいとの願いや潜在意識からメンヘラとは異なる真逆な意味で黄色が多用され、もはや黄色は夜明けの象徴と同じオリエンタルなところに位置する日本から世界へ発信されたといってよいと思います。
Yインパクトは、メンヘラではなく夜明けのように、明るさを取り戻そうと市場導入されたからこそ流行に敏感な生活者が受け入れ定番化された色だったのです。





 

 



 

メンヘラ:発言屋扱いには細心の注意が必要です。聞いた話では近頃テレビでも言われ始めたらしい言葉です。ネットで検索してください。

 




 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

バヤリース(Bireley's)は、果汁飲料の商標 : 1951年発売開始。アサヒ飲料(アサヒビール→アサヒグループホールディングス子会社)から発売 (ウィキより)

 

森永ミルクキャラメル 現在の商品名になったのは1913年(大正2年)、1914年(大正3年)、携帯用のミルクキャラメルが発売  (ウィキより)

 

M&M'S(エムアンドエムズ)は、日本ではマース ジャパンが販売。 1981年のスペースシャトルにも積み込まれた。日本では1981年にプレインとピーナッツのテスト販売が中京地区で開始(ウィキより)

 

 

 

 










 

 

 




OECD:経済協力開発機構
Organisation for Economic Co-operation and Development
WIKIより


IMF:国際通貨基金
International Monetary Fund
韓国は経済支援を受け2001年8月、アジア開発銀行に2005年までに借入金は完済。WIKIより