■清水教授のデザインコラム/連載 - 10(05/18/2003)
「軽井沢セミナー」小史(1)
――80時間・苦しい、つらい、そして楽しい体験学習
デザイナーとしての基本的なスキルと言われる「スケッチ力」。その必要性は当時から疑いも無くデザインの必須のものだった。
美術大学のデザイン教育は、「デッサン」「レンダリング」「製図」「モデル製作」「パネル制作」等を教え、「具体的製品」をテーマとして「発想からプレゼンテイション」までの実習が行われていた。学生「自らが主体」として体得するものでもあった。
*
「まずスケッチ技法を体得する。頭の中にある発想の内容を正確に、素早く表現出来ることが、デザイン学習の可能性を広げ、手を自在に動かし大脳を活性化することが豊かな発想を助ける。
そこからデザインが始まる」
それが「合宿セミナー」を始める動機でもあつた。
*
全専攻生1年から4年生、そして研究生までとしたのは、能力の差はあれ、同じ「テーマの百通りの答えを見ることが出来、比較する事が出来る」のではと言うことからである。
勿論、一人で数十、数百個のアイデアであれば、数千個の異なった答えを見ることになる!
それはまた、百様の個性や感性を持った「同学の士」によって生み出されることだ。
その一連の作業プロセスを共にし数度の挫折や「ヒラメキ」を得た時の達成感・・・。そして「悩み」「苦しみ」「喜ぶ」など、総ての過程をも共有する事が出来る・・・。
このセミナー以外では決して体験できない、実に貴重な「経験」となるものでもある。
上級生が上位に入賞する、それは当然のことでありたい。
しかし、スキルの差は明らかでも「テーマの解釈」「アイデアの内容」などは必ずしも上級生だから有利だとはいえない。
*
1975年、「工業デザインセミナー」は「軽井沢」でスタートした。
「デジタル置き時計」がテーマ。短時間の中で、より効率的な訓練をと考えてのこと。
「アナログ」に対して「デジタル」が言われ始めた時代、そのタイミングでもあった。
「蛍光マーカーがあるといいですね!スケッチには・・・」
「デザイン方法論・演習」を担当していた岡田朋二講師のアドバイスだった。
当時、専任講師だった私と大庭 彰助手が山積みにしたパッドや用具類を車に積み込んで軽井沢へ向かった。
学生は急行列車で現地に。また一部の学生は前夜からの夜行列車で早朝の軽井沢駅に降り立つというものだった。
勿論、学生の車やバイク利用は絶対に禁じた!
(しかし、徹夜明けに隠していたバイクで帰京。ガードレールに接触。大事に至らなかったが。翌'80年からは直ちに全員がバスの移動とすることに・・・。)
*
テーマは全員が揃う午後2時に発表。まさに、ぶっつけ本番のアプローチだった。
事前の交渉で「徹夜など考えられない」と言われた研修所。が、主旨を説明し何とか了解していただいたという経緯があった。使用する講義室や寮での行動、騒音、事後の清掃など、殊更に神経を使ったものだった。
以後、今日まで、その徹夜を認めて頂いているのは、まさに夜を徹して頑張っていた学生諸君の真摯な態度であったと思っている。
朝昼晩の食事は定時に、必ず取ることを決めた。「食事を取らない者がいない様に、点検し全員が揃ったところで食事にしましょう」と、大庭助手。
仮眠中の者もそろわないと全員が食事が出来ない。班長の責任が問われた。
*
用紙はB3版のPMパッド。各自に40枚が配られた。
班ごとの席に、班長を中心としてすわり、60時間・セミナーがスタートする・・・。
テーマが書き込まれ、参考製品の問題点を分析、アイデアスケッチがはじまる。
過酷だが丁度、修行僧の「行」のように淡々と忍耐強く・・・。
時間が経過する・・・。しかし「行」のように淡々とはいかないのだ。
直ぐに手が止まる。紙面の空白を埋める「アイデアが浮かばない・・・」のだ。
この先を考えると「憂鬱に・・・」も。
「これまで何をしていたんだ!」という自責の念も・・・。
「頭が重い・・・」と弱気になるものも・・・。
「自分は才能があるのだろうか?」と疑う時でもあるのだ。
2日目の夜、それでも配布されたパッドの全てをスケッチで埋めたものも現れる。
パッドの追加が始まる。5枚、10枚、20枚と自分の判断で追加できるシステムだ・・・。
焦りと集中の中で45枚、50枚、55枚、60枚・・・と、その厚みは増していった。
*
これだけの人数での徹夜作業に興奮もあった。「負けん気」「競う心」もあったようだ・・・。
スケッチ力のある上級生の周辺には下級生が取り巻き見守る・・・。
「先輩、すごいね!」と感嘆のため息・・・。先輩の手が緊張する・・・。
「競う心」は「意欲」「やる気に」なり後年まで続くことになった。
3日間の完全徹夜を密かに決意するものも増えた。
反面、「眠くならないための薬を飲んでいる」と言う噂がたち、その本人を呼んで強く注意したこともあった。
3日間頑張った徹夜組も結構いたように思う。それらを含めて「80時間を有効に使う」ことにも意を注ぎ、自らを自覚し認識することにも極めて有効であったように思う。
最終日、前日には知久 篤研究所教授、岡田朋二講師、後藤伸三郎講師、奈良謙講師など当時の実習担当の教師が駆けつけた。
それぞれに、各講義室を回り学生の激励、そしてアドバイス・・・。さらに翌日の審査の打ち合わせ、テーマやセミナーについても話し合った。
ただ、アドバイスに依存するものも多く、注意することに・・・。「考え、判断する時はあくまでも自分で・・・」、「自らの決断力を持つ!」ことはこのセミナーの訓練でもあるのだ。
*
第一回の最優秀賞に研究生(当時の大学院レベル)の三代君(現本田技研デザイナー)が、その「スケッチ量」、そして「アイデアの質」を評価され選ばれた。
そのことは、このセミナーの主旨からして良かったと思っている。
そして、そのセミナーの「動機」となったものは、今日も変わる事の無いセミナーの基本的な目標となって今日に至っている。
まもなく、28回目の「軽井沢セミナー」を迎える。
(2003/5・18 記)
■清水教授のデザインコラム/連載 - 11(05/27/2003)
「軽井沢セミナー」小史(2)
――80時間・自分の目標、自分への挑戦!・・・
学生、各自が<スキルアップを目指す>もの。併せて、<学ぶことの自覚>を促すものでもある。
とかく、我が国では「学ぶこと」は「習うこと」と考えて、受身の姿勢に終始していることが多い。しかし、本来「学ぶ」ということは自ら<学ぶ姿勢>をとり、《目的意識》を持つてこそ向上するもの、実りあるものとなるものである。
しかし今日、それは残念ながら、ほどとおいものになっているようだ。
*
今年で28年目を迎えることになったセミナー、その動機は益々重要な意味を持つてきたと考えており、実感もしている。
このセミナーは社会にも、受講したOB諸君によっても高く評価され本学工業デザイン専攻の特色ともなっている。
卒業生との再会は、良くその話題になる。「あのセミナー、その時は苦しかったが、今思うと本当に良かった・・・」と。「あの体験は今も役に立っていますよ」とも・・・。
懐かしそうに話してくれた林(はやし)君は卒業後20年。ソニーデザインの特別講義で先日、来校した折のことだ。
ちなみに彼はそのセミナーで138枚のパッドを提示した記録ホルダーでもあっる。
「是非、今後も続けて下さい」とも言った。
*
デザインは常に時代の先端にあるもの・・・。未来を目指し、時代の問題と対峙するものでもある。
初めてセミナーを開催してから今日まで、時代の趨勢を読み、微調整を心掛け、時として修正を加える。しかし、その精神は今日へ繋がっている。
本年度は、<第28回>を迎えるにあたり、その意義を確認し、また学生諸君の意職を喚起したい。
*
いま、我が国の社会環境・国際情勢、そして科学技術環境、教育環境には極めて大きな変化が有る。人間としての能力、人間としての在り方が問われるという本質的な問題を含んでいるのだ。
「のびのび」「自然」「ゆったり」「成績や出世より人間らしさ」など、否定出来ないタテマエ論的教育。人間としての生き方に矛盾と混乱がみられる。
そのことも十分に理解しながら、各自、《学ぶことの目的》を明確に意識したいものである。セミナーを体験したことが必ず今後のデザイン学習に生きたものとなることを確信する。そんな自分を信じることの出来るものにして欲しい。
*
セミナーでは問題の背景、価値観や変化を読み取る予備調査を事前の1〜2週間を当てる事にした。
必要情報の収集分析、チャート作成レベルの共同作業もまた、本セミナーとしての目標に付加されるものになつた。
いま、この時代、セミナーの意味が益々大きなものであると思へてならない。本学の特色あるセミナーとして自負しうるものとしても…。
《セミナーの目標――各自の目標》
(1)各個人の心身の健康管理。心身のチエックを!
・「心身の健康」がより良いデザインを生み出す条件である。
(2)3泊4日・80時間の限られた時間を最大限に使うアイデアを考える。
・アイデアを考える時間→スケッチする時間→テーマを考え・メモる時間(それぞ
れの時間量、作業量はパッドの枚数量=スケッチ表示内容量に比例する)
(3)デザインスキル=情報収集力→認識・分析力→発想力→表示力/スケッチ力・メモ
文章力・レイアウト・その他の訓練(配布されたパッド枚数は最低ライン、そこか
ら更に何枚紙面をアイデアで埋められるか!そのことに挑戦を!)
(4)組織・グループへの協調→自分は何をすべきかを考え行動する(責任や分担を各
自が自覚し行動して欲しい)
(5)何かを学ぶことは「辛く」「苦しく」「嫌な」こと?
それを何故やるのか? そのことを十分考えて自分自身の目的意識の再確認を!
敢えて挑戦する、そのことを「楽しめる」ようにしたいもの。
(6)その他・・・・
《セミナーの学年次目標》
大学院:学部で習得したデザインスキルの再確認。
一層の社会性を自覚し、高い次元のデザインを目指す挑戦を!
プロといわれるデザインスキル、発想力を獲得する努力を!
4年:学部最上級生としての自覚。授業及びセミナーにより体得したデザインスキル、その他の再確認を!
上級生として下級生の「目標となる態度」と「心配り」をする。
研修目標に添って最大限の自分自身への挑戦を行うことを期待したい。
卒製のためのトレーニング、或は実社会への心積りとして…。その態度を下級生が見習習っていることも自覚して欲しい。
3年:上級性としてのデザインスキルの再確認。さらに充実拡大を図る自分自身への挑戦を試みること。セミナー経験者としては4年生を助け、チームスタッフへの気配りも。この後の、演習、企業研修の予備訓練とも考え、リアリティーのある発想とその広がりを心がけて欲しい。
2年:昨年の経験を生かし、自分自身への厳しい挑戦を試みて欲しい。上級生に負けない頑張りが能力を向上させ、自らの目的意識を明確にするものである。
また、チームの一員としての自覚、リーダーの指示に従い下級生との協調を考えて欲しい。
1年:初めての経験となるがまず心身の健康。聞き観察することでデザインスキルとは何かを考え、その体得を考える。上級生、特に見習うべき先輩を見習うことで熟達する努力、併せて、発想にも意を注いで欲しい。
《デザインのプロセス》
@ まず、心構え→自分自身への挑戦を!試みる。
A デザイン問題の背景・分析と記述(予備調査チヤート――グループ分析と自己分析による問題の背景の認識を、自分の予測も・・・)
↓
テーマに対するアプローチは当日、集合時から始まる。メモやスケッチをする・・・。
↓
B 発想・アイデアの開発――現地で、デザイン条件に対する多様、大量のアイデアスケッチを。
(各自40枚からの挑戦!そこから、どれだけ多くのパッド枚数、紙面を埋めるアイデアを発想出来かが目標!)
↓
C アイデア・解決方針
評価能力の自己確認(くれぐれも教師、上級生など、他に依存した態度は判断・決断力を持てないことになる)
↓
D アイデアからの選択決定・最適な造形を探る→多様な造形の開発(造形のリ・フアインを繰り返すスケッチの量)
↓
E レンダリング、コンセプト、取り扱い説明、図面などのプレゼンテイションは明快に。(デザインセンスが見えるレイアウト表示を・・・)
↓
F 最終プレゼンテイション
最終提示パッド(4枚)とアイデアスケッチパッドの提出(4枚を含めた全枚数を記載)
↓
G 最終審査・講評→各自作品の解釈・評価との比較(反省と自己能力の確認。フイ―ドバックのメモを取る)
* 後日、返還作品の見直し、リフアインは必ず行うことが重要。
(ポートフォリオ用としても・・・)
*グループ関係――リーダー:人心把握によるグループの統括。責任感を持つ。
サブリーダー:リーダーを補助しスタッツフをまとめる。
スタッフ:グループを意識し、他人への配慮・協調を考える。
(5・22/'03 記)
追記:セミナーは誰のために行われるのか。
あなたが、あなた自身のスキルアップを図るものであり、《挑戦を試みる場》として行われるものである。
「苦悩と忍耐」、集中する中で体得されるであろう《創造のヒラメキ》。「生みの苦しみ」を体験することも重要だろう。
そして、自らの《目標を達成した感動!》《やり遂げた、確かな実感!》を持って欲しいとも考えている。
それらの《挑戦》には、当然、多くの《失敗》も含まれるものだ・・・。
何よりも、《新しい自分》を見ることになり、あなたの生き方の《自信》と《確信》を裏ずけるものとなるのかも知れない・・・。
(5・22/'03 記)
■清水教授のデザインコラム/連載 - 12(06/09/2003)
「軽井沢セミナー」小史(3)
――80時間・体験学習の意味――人類史的な変化,電脳時代の中で・・・
はじめてのセミナーから28年。我が国における技術革新、生活環境はこれまでに無い変容。
<筋力の機械化>、その長い歴史から人の<知的作用の電脳化>への急激な移行。
電脳的情報空間が生まれる、その過中にあることであった。
そんな中で、生まれ育ったことになる学生も、また変化の産物?新人類でも有る。
生活環境にある様々なメデア、家庭、小、中学、高校教育、予備校教育などの影響を受けて成長し、今ここに集う。
その変容を理解し比較できる訳ではないが、それらの<利器>を十分享受し、快適に生きている様に見える。
*
テーマを認識するための情報収集・分析。セミナー前の1週間の調査、分析、そしてチャートのグループ単位の共同制作・活動。
キーワードに関する情報収集・分析の間には、<問題の背景>を十分に理解し、セミナー時の<テーマ>を探り、<予測>してみることも。そのこともまた重要な能力の訓練でもあるからだ。
*
「デザインは、『形と色』を決めるだけではない」と言う。その通り、だろう・・・。
しかし、「デザインは『形と色』を決めることではない」と、すり変わってしまった意見まで現れると、おかしいことに・・・。
「スケッチなど、単なる表示や伝達の手段、そんなものはコンピュータで出来る」という意見も短絡過ぎる話しだ!
*
コンピュータによる表現や表示に関わる効率は極めてよい。
何よりも写真?の様な現実感、自在な可動位置からの確認、検討が出来る。色彩もワンタッチの変換・・・。かっては考えられなかったことでもある。
ただ、検討し、判断出来るか?は問題、なのである。
CGによる画像には、無機的ながらリアリテイを感じる。しかし、それも、おのずと限界があることも知るべきだろう。
何よりも<造形力>を持たない者による表現は当然、限定的である。
個性が失われ、物の表情が能面のように画一化している。
人の感性を失った<モノ>が生み出される危機感をすら感じるのだ・・・。
それよりも能力の開発途上、何よりも学ぶ過程は省力化し、効率化してはいけないのだ!
教育は効果を得る事を考えても効率的に、能率的に学ぶだけのものではない。
何よりも、《学ぶ目的》、《学ぶ意欲》を持ち、自ら《思考する意思》を持たなければならない。
特にデザインという《革新性》を目指すアプローチには、全身で感じ取る多くの《試行錯誤》が何よりも重要なのである。
失敗をしないための《綿密な心》、《集中力》が要求される。
その為に大いに失敗をする。《失敗のショック》が大脳に与える刺激が、《綿密な心》を育て、若い《感性》を涵養するからだ。
演習も、セミナーも、その《試みの場》として望んでもらいたい。
繰り返すが、《試みる》ことは《失敗》を学ぶことであり、大きく成長することでもある。
プロとは――最適なカタチを創るヒト・・・
要求される様々な条件を咀嚼し反映させる。
最適な「形」として具現化し得るのはデザイナーである。
生活の快適性を求め、製品環境の適正を熟考して生まれる「モノ」の「形の最適」を決め得る能力はデザイナーのもの、誰でもが出来る事ではない。
デザイナーのプロとして、そう自負したいものだ!
例えば野球やサッカーなど子供でも投げ、蹴ることが出来る。しかし、プロとの違いは何かを考えてみるといい・・・。
正確さ、確実さ、その運動量の差を比べるまでも無いことだろう。
突進してくる相手を巧みに交わし、ここしかないと言うゴールポストの一角に蹴り込む。
人々は、その技に感動する・・・。
ただ、その、たった1つの《技》を得るために、どれほどの練習をしたのだろうか?
私には想像もつかない話しだ!
毎日毎日、多分、氣が遠くなるような練習に耐え、酷使する肉体の痛みに耐える・・・。
だからこそ、我々に感動を与えるのだ。尊敬もされる。
そんな《過酷な練習に耐え》、《結果を生み出す》からこそプロと言われる。
例えば、誰でもが詩を創り曲を組み合わせて歌を創る。しかし、だからと言ってそれが人々に感動を与え、喜びを与えるもの、とはならない・・・。
幼児も老人も絵を楽しみ、描く事が出来る。本立てや、机くらい誰だって作ってしまう。
新製品のデザインを依頼したいが金が掛かる。だったら自分で、と我流でデザインする社長も多いと聞く。
<デザイン>など、<カタチ>など誰でもが出来る。そう思う人も多い。デザインはそう思わせるものなのだろうか?
「とんでも無いこと。形はこうでなければいけないのです」と。そう、いい切るデザイナーが何人いるのだろうか?
そんな《自信》と《自負心》をデザイナーは持つているのだろうか?
いや、持って欲しいものである。
しかし、《自負し確信》を持ったものは少なく、センスが疑わしいものも多いのも事実だろう・・・。
デザイナーとしての適性のいかが問われる、その数が多いのも我が国の特徴だろうか。
「カタチ」に責任をもつデザイナーであれば、単に「思いつき」や「面白い形」を創れば良いという事でもない。
<カタチ>はモノとして存在する物体の最終の《姿》である。
生活の場に具現化され、《機能するモノ》としての適正が要求されるものでもある。
それ故に、最適であることの「確かさ」や「科学性」が要求されるのだ。
*
「コンセプト」も、「画期的な技術」も、適切な「意味ある美しいカタチ」にまとめ上げる。時には「楽しく」、「嬉しく」、「便利に」なる様な・・・。
そこに、デザイナーが居なければならない。
優れたデザインは、人々を「感動させ」、「生活に歓びを与える」ものなのだ・・・。
《形や色》はその究極の表現素材でもある。
デザインとして余り意味があることではないと云う美意識が無い関係者も多い。
殺伐とした「モノ」環境にも関心が無いという事だろうか?
これは問題である。タテマエ論だけでは有能なデザイナーは育たないだろう。
我々の豊かな生活環境を創る事はデザイン目標の最も大きい意味でもあるからだ。
その事は、実は人の「生き方」、「心との関わり」に極めて重要な意味を持つことでもある。
ただ、最近は内向きの、<自分の為だけ>のデザインをしたがる者、デザイナーが多いことが気になる。
成熟した生活、製品環境。ブラックボックス化した高度な製品群の増加。
巨大マーケットに供給する為の資金の投下は巨額・・・。
当然、より確実性を求められ、デザインの普遍性を強く求められることになるのだ。
顔の見えない不特定多数者に向かう不安。数値として捉えることの複雑さを嫌い、短絡なカタチで自己満足することになる。
求めたデザインの安易さは、美意識の無いデザインと同様に空しい。
デザインは高度のパズル?
だから、楽しく挑戦してみよう!
自らの《明白な目的意識》、その自覚は苦しさに耐へ、喜びをすら感ずるものとなる。
厳しい自己研鑽、試練に耐えたことが、自らの《自信》と《自負心》をつくる。
それがデザイナーとして、プロトしての資格ともなるものである。
いま、プロとしてのデザイナーが求められ、活動が期待されている!
僅かに80時間・・・。セミナーはそんな問題意識をも持って挑戦を試みる場にして欲しいのだ!
このセミナーの精神を汲んで多くの人材が巣立っている・・・。
(2003/6.1 記)
■清水教授のデザインコラム/連載 - 13(06/16/2003)
「軽井沢セミナー」小史(4)
セミナーの心構え・・・・何を、どのように学ぶのか?
○テーマの背景を十分に理解しておくこと
・提示された「キーワード」は直接、間接に、「テーマ」との関わりを意味するもの、生活世界の一端を指し示すものである。その解釈、類推から必要と思われる情報・資料の収集、分析を行うこと。
ただ、最近は各グループともインターネット情報に頼りがちで「情報源」が同じで、観念的になっているようで気になる・・・。
張り出された12枚のパネルがその内容を補完し合うもの、グループ独自のチヤートであって欲しい。
さらに、それらの内容から推理し、「テーマが何か?」を予想してみて欲しい。自らの認識力、推理力、直観力の確認のために・・・。
・これらの調査分析は「テーマ」の背景をなすと言うのは当然ながら、今後の様々な「演習テーマ」にも関わる生活世界、「デザイン発想の基盤」といえるものでもある。グループとしてチヤートを制作したというだけでなく、個人としても十分咀嚼し、理解しておくことが望ましい。
この理解の程度が<デザインの質>、<アイデアの量>を決定することになる。
○テーマの条件から可能性の広がりを考えてみる
・いよいよ《80時間セミナー》の始まりである。
サブタイトルとした《80時間》にはプレッシャーを感ずる者がいることだろう。その事を考えると憂鬱にもなり、直ぐにも止めたくもなる者もいることだと思う。
しかし、人間は誰しもがこの時間のすべてを考えて緊張をし、集中をすることは出来ない。
とすれば、そんな憂鬱になるような時間は忘れて、もっと目の前にあるやるべきことの1つ、そして次の1つをと考えて進めることだろう。
その作業を集中する時間と、適切に休息する時間の効果的なバランスを如何に取るかが重要なことでもある。この時間、一連の流れはアイデアを生み出す発想の手法とも言える。
・《テーマ》のプリントは、当日、集合時に順次、手渡される。
その瞬間(とき)から具体的なデザインアプローチが始まるのだと言ってよい。
軽井沢に向かうバスの中では、これまでの予備調査による理解、知識を動員して<アイデアの可能性>を探ることだ。出来れば忘れないようにメモにしておくことも重要だろう。
また、テーマに<辺たり>をつけ、その時間的配分を考えておくことも・・・。
・その<瞑想状態での思考?>は、多分、心地よいバスのゆらぎと相俟って、すぐに睡魔の誘惑があることだろう。
不眠症?など、直ちに解消される・・・・。
○到着後アイデアを直ちにパッドに描き写すこと・・・
・到着後直ちに、パッドが配布され、部屋が割り当てられる。次に、グループを単位に作業空間が割り当てられることに・・・。
・決められた席でこれまでの<アイデア>,その<可能性>を直ちにメモやスケッチとしてパッドに書き写しておくこと・・・。自分の中にある可能性、アイデアの全てを忘れないように・・・。
デザインプロセスにとっては、まず、そんな時間の使い方が有効なのだ。そのテーマに対する自分の解決の可能性を確認するため。
自らのモチベーシヨンを高めるためにでもある・・・。
・次にその集中・思考から開放される。作業環境を整え、休息の時間を取る・・・。
アイデアや、発想のヒラメキは、テーマに対する十分な思考を繰り返し、「もう駄目だ!」と諦めそうになったときや休んでいるときに、ふっと《ひらめく》のだという。
確かにそういう事例は多い・・・。
○デザインへのアプローチ、いよいよ腰をすえて取り組む・・・・
・リフレッシュしたらまず、先ほどのアイデアやメモを見直してみる。
さらに、「テーマ」の可能性を徹底的に記述してみる――「視点を変え」、「見方を変へ」て思いつくままに記述し、スケッチ化する。(アイデアを生み出す時の発想手法でもある)
「当たり前」と流さず、「分かりすぎていること」と無視しないで・・・。
自分の中にあり、テーマに関わることの全てを、徹底的に描き(書き)出してみる事だ。そこから、デザインの発想が始まり、自分に足りないものも見えてくることにも・・・。
・しかし、それでも続けなければならない・。その<移動するためのモノ>があると「便利だ」、「運搬するのに必要だ」、「楽しく遊べるモノ」・・・・。
日頃の生活、人々の中にある<要求>を思い巡らし、なるべく多くの解決の手がかりを見い出すことである。
(問題意識の強弱が情報量、知識量の差を生む)
個人としての発想力に限界を感じるときでもある。
しかし、それで終わりにならないのは、それなりに、少ない情報量の中からでも、時に何かが<ひらめく>こともある。
・時間と集中力。我慢から生まれるアイデアもあるのだ。
ひととうりのアイデアが出尽くしたと感じたら、ここで休み、気分転換をする。しかし、気分を持続させる為に、最終提出時間から割り出した計画表、時間配分の確認をしてみることも・・・。
・時間の経過は、それでも多くの「アイデア」を生み、「解決のヒント」を生むものだ。
必ず解決の手掛かりは、次々に生まれ出てくるようになる。
忍耐と集中力がその条件として大きい・・・。修行者のように一人黙々として・・・。
・「テーマ」に対する、可能性が徐々に見え始める。が、また壁に突き当たる・・・。デザインのプロセスは、その繰り返しに耐える事でもあるからだ。そんな中で突然《ひらめく》事も・・・。
○スケッチ、その方法・技法
・スケッチ力にコンプレックスを持つと、「描けない」、「描かない」で、良い方法をと考える。
しかし描ける事は重要だ!描けないより描けた方が良い。
何よりも描き慣れる事で、描ける様にもなる。
様々な形を読み取り、捉える。また、自在に表現することをこの分野では要求されるからだ
・アイデアスケッチは上手く描くことよりも「正確」に「素早く描き止める」事が重要だ・・・。そのことで発想のスピードが速まるからだ。
・表現のセンス、線の走り、かたちの正確さ、自在な造形量、紙面を埋める文字、図形など。そのレイアウトバランスもデザインセンスとして留意されねばならない。
・パッドの枚数、その厚み=各自のコンセプト、分析などのメモ、アイデアスケッチなど、その内容量は多いほど良い。
各自の発想力や能力の証し?となるものである。
・配布パッドはセミナーとしての最低限の条件枚数である。リーダー、上級生だから後輩の指導に忙しく規定枚数に足りなくて良いと言う理由はない。
確りとやり遂げた姿をもって、後輩の目標となってもらいたい。
○スケッチ用具
一応指定される。が、必要以上に多すぎても使いこなしきれない。日頃使い慣れている材料を中心に考えた方が良い。
パッドは2種類が支給される(通常のアイデアスケッチパッドとプレゼン用・マーカー対応パッド)
・色鉛筆 ・サインペン・・・ アイデアスケッチ用、鉛筆では紙面、手が汚れるので。
・消しゴム・・・余り消すことを念頭におかないで気楽に・・・
・マーカー ・パステル・・・期中にも簡単な使い方の指導がある
○プレゼンテイション
あなたが考えたアイデアを他の人に見せ、理解をしてもらうものである。
自分のデザインを正確に、積極的に見てもらえるように表現すること!に留意すること。
・レンダリング――見取図はそのモノを最も分りやすい位置から表現する。なるべく自然な角度で。
・コンセプト――初めに大まかな方針を。徐々に理解が進む事で完成度を高くする。
・特長――その「モノ」の優れているところを箇条書き、或いは図解する。
・取り扱い説明――操作、取り扱いを分りやすく表示する。
・製図――三面図(適切な縮尺をする。) 図面は寸法確認の為でもある事に注意。
・その他
○審査は「鳥の目、虫の目」で・・・・
@まず、審査基準となる枚数があるか +アルフアー枚数のチエック
Aテーマ・条件を満たした新しい提案であるか
B目的用途にふさわしい形態であるか
C生産性を考慮しているか
D軽量・コンパクトであるか
Eその他など
・「モノ」の提案、内容の質、量等を見定めたい。
・パッドに描き込まれるスケッチ、メモ類。その内容は様々だ。
ただ、その1枚1枚の紙面を意味なく埋めただけのものは枚数として除外される事も・・・。
自らのセミナー目標を裏切る事になる。その事は何よりも自身の《自負心》とはならないからだ。
・意欲を見せて欲しい。そうならない様に時間を追って頑張って欲しいものだ。
(June 6 2003 記)
■清水教授のデザインコラム/連載 - 14(07/11/2003)
軽井沢セミナー小史(5)
80時間、その戦場従軍?レポート・・・
時間が迫っている・・・。
切り取った紙片を手に小走りに移動している。その目は次の次を見ながらの作業でもある。
大脳の思考回路がダイレクトにつながり、全身が、頭と手、足が夫々の意志によって機能している様に見える。緊迫した空間の中で皆が集中し、忙しく動いている・・・。
どの部屋も、うっかりそこに突っ立つていると、ぶっかって来られかねない危うさだ。
プレゼンテイシヨン、4枚のパッドにまとめ上げる作業は実に手際がよく、早い。
最終日の朝、7時の締め切りまではあと30分弱・・・。
毎年見慣れている徹夜作業とは言え「大丈夫だろうか?」、「間に合うのか!」と気をもむ時でもある。
・・・・・
「終わったァ〜」 疲労感の中で、床一面に並べられた作品に見入る学生たち・・・。
一変するなごやかさだが見つめる目は鋭い。もがき苦しんだ自分の作品との比較もあるのだろう。
なぜか悔しそうな、不安げな顔も・・・。
しかし、やり終えたと言う安堵感だろう、笑顔も見える。
ほぼ全員が配布された40枚をクリアーしていた。<目標を達成>したのだ。
今年の<軽井沢>は終わり、例年以上の成果が見られ、充実感が残った。
セミナーへの序章・・・・
6月9日(月)
先日来の研究室の打ち合わせと最終の確認を午前11時までに終えた。プリントを適切に修正する・・・。
月曜日の午前中ということもあるのだろうか? 何となく静かだ・・・。
しかし、セミナーの<キワード>を発表する日なのだ。
張り出されたプリントの前には数人の学生を見かけただけだった。
彼らにとってもう一つの問題は、既に発表されているグループメンバー全員との顔合わせだ。誰がリーダーで、誰が3年、2年生かも分からない状態での対面だからだ。
まして、キーワードを拠り所に必要となるであろう情報を集める、目的を一つにした共同作業でもあるからだ。
特に所沢キャンパスの1年生にとってはそのイメージすらない上級生との共同・・・。
リダーシップ、相互の信頼と協調性が要求され、江古田、所沢両キヤンパス交流の数日間にしなければならないのだ。
6月12日(木)セミナー1週間前。情報収集、そして分析する。
そこここにグループミーテイングの輪が出来、意見の交換が始まっていた。
インターネットによる情報の検索にも忙しい。そして多少の参考本や資料も・・・。
出発前日、それらの資料は整理されA2版4枚分のサイズにプリントアウトされていた。
それらしく、実にスマートだ。
キーワードの解釈、類推し、そしてグループミーテングによって収集された情報はセミナーのデザインアプローチの背景をなすものである。適切十分な情報、そのきめ細かな認識がデザインのアイデアを生み、可能性を提示するものである。
このチヤートはグループとして当日、採点・評価される対象となるもの。
事前の心構えとしては、各自の予測能力を働かせ<方向性>を確認するメモを取る位の心構えが欲しいもの・・・。
軽井沢へ向かう日・・・。
6月19日(木)
私が池袋に着いたのは、出発予定の1時間まえだった。一寸早過ぎる・・・。
混雑を避けて鈍行でゆっくり、と言う時間を考えていたのだが急行、乗り継ぎ接続が極めてスムーズだったからだが・・・。
しかし、早過ぎても時間を埋めることは簡単だ。人々の間をゆっくり歩き、売店の週刊誌、雑誌類を眺める。道端に座り忙しく行き交う人々を眺めるのも楽しい。
そんな<タウンウオッチング>もデザインでは意味あることなのだから・・・。
集合場所には、既に数名の学生がいた。
9:00の出発までにほぼ全員が集合し、今回のテーマ、条件を記したプリントを手にしていた。セミナーは既に始まっているのだ。
一人の遅れを待ってam9:12分、池袋を出発!
私の1号車には1、2年生が乗っているということもあり、マイクをとうした<テーマ>や<セミナー>の意義と意味を伝える。そして、若干のノウハウも・・・。
それらの事もあってか、例年になく音水準の低い快適なバス移動だった。
テーマを考え、条件を考えながらまどろむ。「車輪の使用可能性」を夢にまで見ることになれば、いよいよ本格的なのだが・・・。
日本大学軽井沢研修所へ・・・・
毎年のことだが屹立する妙義山、奇岩に目を奪われながらトンネルを抜け、碓氷軽井沢インターへ。峠の茶屋で昼食後、緑の樹林をぬって研修所へ到着する・・・。
時間どうりの順調な移動。軽井沢の風はひんやりとし爽やかだった。
多くの荷を担いでの移動。雨が降らずに良かったと思う。感謝!
しかし、研修中は「雨が降れば・・・」と祈る?
この深緑の避暑地も彼らには無縁だからだ・・・。
予てよりの段取りが取られた。
スタッツフの手際もある、が上級生の経験が生きる時でもある。
グループ単位にテーブルがまとめられ古紙で表面を覆う。マーカー類の汚れを防ぐ配慮だ・・・。
次に、2階、廊下壁面に12枚のグループチヤートを順次張りだした。
取り敢えず準備OK! パッドを広げる・・・
彼らは席につくと早速メモ・スケッチを始める。
彼ら自身の時間、デザインアプローチが始まったのだ。
何よりもまず、「テーマ」の可能性、辺り(あたり)をつけてみることから始まる作業だ。
そして、自分の<力>を改めて確認するはじめての作業でもある。
早々にメモ、スケッチ作業を終えると大浴場でリラックスする者も。
しかし、大部分は時間を惜しんでの発想作業が夕食時間まで続いていた・・・。
食後の休憩。しかし、既にテーブルでデザインに取り掛かっている者もいた。
6月20日(金)
外はまだ暗い。廊下も常夜灯の微かな明かりがあるだけの暗がり。手探るように2階へ。
各室の明かりを頼りに進むと4,5名がパッドにアイデアスケッチしていた。昨日からの徹夜組みだ。
椅子を並べて仮眠中の者も。
パッド13枚から22枚位までの作業量だろうか・・・。
「考えがまとまらない・・・」、「何をやるのかが決まらない・・・」とも。「アイデアが進まないので眠る訳にはいかない」と言う消極的な徹夜組まで。
しかし、それがセミナー効果、自宅であれば、また明日、と放り出していただろに・・・。
どんなものでも最初からすんなりと考えられる人はいない。
何かを創る、モノを創造するということは苦痛をすら感じることなのだ。
自分の能力をののしりながら、忍耐強く、単調な行為に耐えながら、頑張る。
辛い、苦しい、辞めたい・・・。誰でもがそう思う。
そんな時間を耐えて頑張るから、初めて<ヒラメキ>を体得する。
耐えること、それを好きになるかが能力だ、ともいわれるのだ。
6月21日(土)
早朝、寮の玄関周辺が騒がしい。
これは何?子牛・・・。もっさりとした巨大な白い生き物が表敬訪問中であった。寮のオートドアーも軽々と開けて入ったものらしい。
隣家の飼い犬だとか。従順、すっかり佐藤講師になついていた。
また、その後で、私は見なかったのだがサルの一群が梢を渡って行ったとか・・・。
珍しい話。軽井沢駅と中軽井沢駅の中ほど、目の前を新幹線が走る別荘地帯なのに・・・。
・・・・
求められている条件を見直し、自らの提案を考えなければならない。
条件に対して検討
・新たな提案であるのか?
・目的用途にふさわしい魅力的な造形であるのか?
・操作性が簡単であるのか
・生産的であるのか、
など、与条件に照らしてアイデアスケッチを見直す時だろう。
あるグループではクイックスケッチ(5分)で忙しく手を動かしていた。
その時間で考えることは極めて難しいし、手も動かないだろう。
しかし、発想時間を切ることで「1人ブレーンストーミング」としてのアプローチは訓練として意味あることなのだ。
10分で2枚、1時間で12枚・・・・。4時間もあれば40枚は楽勝なのだから・・・。うまくいけば・・・。
また、グループリダーとしての責任からか、自らの制作と併せて後輩の手をとっての指導振りには感心している。
就職の面接と重なり、まる1日後れて駆けつけたものだった。(提出時には42枚、規定枚数をもクリアーしていた。)
当然、入賞の資格もあったのでは。希望する4社からの内定を手にしているのだとか。入賞に変えて、よしとするか・・・。
鳥の目虫の目の審査風景・・・・
6月22日(日)
最終日、朝7時までに制作作業は終わらせ提出しなければならない。受け付けられた作品は全て大講堂の床面に広げられる。
レンダリングとその説明となるもう一枚。40枚余のスケッチ類はその下に重ねて置くことに。
取り敢えずは、その2枚で勝負だ!とうり過ぎようとする審査委員の足を留めなければならない・・・。
今回は昨日駆けつけて頂いた佐々木、土田氏に加へ栄久庵、肥田、林、佐藤、そして私が審査に当る事に・・・。
各自、20ポイントをもって作品にマークする仕組みだ。
昨夜、審査の基本的なところは話し合っているが、夫々の<視点>からの判断が尊重される。その為に記名式になっている訳だ!
取り敢えず、全作品を俯瞰する。ぐるりと見渡す視線の先にも、時に目を留める様な作品がある。ついつい近ずいて覗きこむことに・・・。
さらに、作品の列の間を思い思いに見て回る。良いと思われるものを手元の紙にメモを取る。
その数回の繰り返しで全体のレベルを、そして個別のレベルを把握することになる。
予め、気になる作品については座り込んでその提案の内容や発想のプロセスをスケッチパッドで確認していた。勿論デザイン条件を考慮しての評価だった。
次に、4ポイント以上の作品が集められ、その内容、質が比較されることに。
過不足ない、一定の水準を持った作品は満遍なくポイントを集める・・・。
しかし、必ずしも他よりもレベルが高いと言うことにはならない。その矛盾点の調整でもある。
この序列化の適正を得ることはいつも難航する。一長一短。レベルが拮抗していることもあるのだろう。
先日、2年生の授業で課していた「軽井沢レポート」を見ていた時、「セミナーでの評価が良いと言う人は、セミナーの作品だけの評価ではなく、常日頃の努力が評価されているのだ」という一文があった。このことはまさに言い得ている事だろう。
確かに、拮抗している作品の比較で、その事がないとも言えないのだ。
作品の順位が入れ替わる。一対比較による慎重な差し替えも・・・。
夫々に、「もう一歩アッピールするものがあれば・・・」と残念に思う作品もあった。
しかし、最優秀賞、1席、2席、3席、そして努力賞・・・。難航した序列化も一応の結果を得た。順当なものであったとも思っている。
「受賞者諸君!頑張ったね、おめでとう!」
意欲があれば、<学ぶ>効果は数倍増するもの・・・。
何を「提案」するのか。その発想能力は、一朝一夕に身に付くというものではない。
常日頃の生活の中に何かを求める心、好奇心と観察する目を持つことが重要なのだ。
それがアイデアを生む。発想の基盤となるものでもある。デザイナーとしての資質として大きい。
デザインは<目的意識>を持って、自らの<皮膚感覚>で学ぶことである。
その意味では今回、これまでにない自覚、心構えを見せてくれたセミナーでもあったと思っている。
また、自分の制作に追われながらも後輩の指導、手助けを惜しまない上級生の姿を何度も見掛けた。そのことは大変嬉しいこと。その心を忘れないで欲しいとも思っている。
<40枚>を目標とする中で、意識するとしないとに関わらず、実に多くのことを学んでいた。
一人ではとても出来ないことも仲間となら出来る。
行き結った時、その空間や他の作品に<ヒント>をもらうことで、次に繋がる事も分かったはずだ。
ある意味で、<40枚>は大変な数量でもある。
各自が挑戦してみたら、そのことを実感出来るだろう、改めて・・・。
今回は最高が52枚。同数が3,4名居た様に思う。
これは「選択を間違ったのでは・・・」、「レンダリングを失敗してる・・・」という意見もあった。「惜しいね!」と言う感想も・・・。
しかし、失敗は大きな学習、飛躍へのステップでもある。
ともあれ、作品の結果、入賞の有無に関わらず参加した人の全てが大きく成長している。
その自分を<実感>し、<自負>して欲しいものだと思っている。
('03/7・7記)
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