■清水教授のデザインコラム/連載 - 115(6/03/2012)
「主体的に考える力」の学修が大切なのだ!
先日の日本経済新聞の教育紙面には、18歳以上の男女約2000人を対象に、新しい学習指導要領で掲げるポイントで期待することを複数回答で尋ねていた。(経済広報センター)
ところが、「思考力・判断力・表現力の育成」が87%でトップだった。
「外国語教育」45%、「理数の力」42%などのおおよそ2倍。仕事の場でも広く要求されることになる基礎的な能力への関心が高いということなのだろう。
「脱ゆとり」教育に方針転換をはかった指導要領は小学校で昨年、中学校は今年から導入済み。高校では来年度から導入されるのだとか。
学力の低下もあるが、卒業生の「人間力」や「社会人基礎力」の不足は指摘されて久しい。
しかし、大学生の4人に3人までが「大学でも教室で先生が全部教えて欲しい!」と望んでいるのだとか。
本当に必要なのは、「主体的に考える力を育てる、主体的な学び」であるはずなのだが・・・。
大学生にもっと勉強させる教育改革が必要だという中央教育審議会・大学教育部会のまとめも公表されているのだとか。
これまで、このコラムでも繰り返してきたことだが、目的意識が希薄で自覚のない生き方が問題なのだろう。経済環境のグローバル化やITの高度化に伴う社会の急速な変化によって、将来の予測を極めて困難なものにしている。それにともなって、取り組むこと、主体的に考えることすら出来ない思考不全型の若者が増えているようにみえる。
それでも変化のスピードは加速しつつあるいま、これまでの経験にない新しい「発想力」と「判断力」「想像力」「デザイン力」をもった人材の育成が急務の課題なのだ。
見聞を広め、経験を重ねること
若いうちは見たり、聞いたりして自らの知識や経験を積み重ねることだ。
そのために必要な力は、「観察力」や「分析力」。そして「想像力」など・・・
「観察力」することは物事の真の姿を理解しようとして、よく見ること。「分析力」はそれらの物事を分解し、それを成立させている成分や要素、側面などを明らかにする力。また、「想像力」は実際に経験していないこと、知覚として捉えられない物事でも、「こうではないか」と推しはかりイメージして心に描くことが出来る力。
そんな人の誰にも備わっている能力を意識することによって成長する。
勿論、一人ひとりが見たり聞いたりするだけでは、理解の歪みを自覚することは出来ないだろう。そのためにも多くの人との交流、意見の交換をするべきなのだ。
自らが経験し、誰よりも多くの時間を考えたのだという自負心もまた必要だ。それが自信となるものであり、信念になるものだ。
その研ぎ澄まされた独自の視点が時代の変化をとらえる。
天才と言われ、努力家だと言われる人物を含めて、優れたリーダーとして成功を収めている人物に共通する資質なのだろうと考えている。
日本人は特に場の空気、グループプレッシャーに弱いとも言われている。
確信を持てていないままに、その時の感情や過去の経緯、周囲の意見などに左右されてしまう。よりどころを得るためのデーター、多数の意見にもとずいて決断することに大きな失敗はないのかも知れない。しかし、決して未来をとらえる飛躍的な決断にはならないだろう。
五感を意識し、経験を繰り返す
五感で観察し、直感で感じる。分析し、想像する。そして、伝える・・・。
何よりも主体的に学ぶ姿勢が重要なのだろう。
学ぶことのみに依存しただけでは決して新しい変化を生みだす力にはならない。
特に理論的で論理的であることのみを可としがちで、言葉で説明できないものを科学的ではないと否定することが問題なのかもしれない。
ただ、学んだこと、成功した事例、既成の方法論に沿って処理しているだけでは、どうにもならないのだ。
ところで、よく言われる様々な成功事例は優れた人物による個人的な信念であり、直観的経験に導かれたものだ。勿論、それは数多くの失敗の繰り返しの中で培われたもの、苦難の経験を積み上げたなかから勝ち得た僅かな成功例なのだといえる。
過去の経験と未来への予測を織り込みながら、その立場にある人自身の信念と責任によって判断は下されるすことに・・・。
(2012/5・31記)