■清水教授のデザインコラム/連載 - 126(01/08/2013)
「世界のメディアから日本が消える!」そんな記事を見たのももう随分前のはなしだったような・・・。
バブル後の空白の10年・・・。その後にはさらに10年が経過していた。
うつうつとした時間は、人々の苛立ちにもなり無力感にもなっていたようだ。
先日の参院選はそんな人々の不安と不満を映したものになった。一方では、専門家による辛口の悲観論もあって、まだまだ評価は定まらないようだが、しかし、私には、「アベノミクス」によって次代への可能性は辛うじてつながれ、「家電」や「車」でつくりあげられた世界市場のブランドイメージは、改めて「日本ブランド」の品質であり信頼にもなっているのだと見えた。
サブカルチャーの「アニメ」や「漫画」などへの好奇心が様々な国の若者たちの日本語の習得にもつながったり、先進国の健康志向が「寿司」や「おにぎり」、「お茶」などといった「食」への関心にも。
また、日本的な接客までも関心をもたれているというのだから愉快だ!
好意的にみえる眼差しは、我が国文化の奥深さと潜在力が見直されてもいるということだろう。
「まだ、実感ないょー!」というサラリーマンの声も。それでも、明らかに気分は高揚していることを認めねばならないだろう。
これまでの厳しい情勢のなかでも生き残るための「改善」、「改良」を重ねてきた中小企業製品の高い技術力。それらの積極的な進出もあるのだろういま、「再び世界の中心へ・・・!」、そんなフレーズが現実味を帯びて聞こえてくる。
次代を創るデザイン力!
ところで、この流れのなかで次代へのデザイン力が求められ、日本ブランドのこれまで以上の質的なレベルが期待されることになるのでは・・・。デザインのつぎなる次元だ!
デザインは常に時代の要求にしなやかに応えてきた存在ではある。が、さらに柔軟な発想力によって世界に貢献するのだという意識も大切なことなのだろう。
勿論、誰もがそこを目指すのだが、ただ、学べば出来ると云うものではない。 個々人の資質や脳力・・・なによりも意欲、やる気だろう!人一倍の努力を重ねて数十、数百のアイデアを考え、スケッチ化する。世界の人々に繋がる独創性のヒラメキは、そんななかで得ることが出来るもの。
もちろん、「資質も脳力もない!」と謙虚な気持ちで学び、頑張る姿勢こそが最も大切なんだ!ともいえる。
「なにか方法論を習いたいのだ・・・」と期待するだけでなく、まずは、自らの脳力=思考活動の素材としての情報を頭に詰め込むことだ!
観察・情報の記憶ツールとしてのスケッチ・・・・
例えば、彼らの眼の前においた「ペットボトル」。日頃は何気なく眺め意識することもなく、使い捨てる「モノ」なのだが・・・。
講義の合間に観察し、スケッチをさせてみた。また、次の週にも・・・。ただしこの時は、記憶によることを条件に同じペットボトルを紙面に描かせた。各自の「記憶力」について考えさせるものだから予告はしていない。いささか慌てる者もいて、この試みは、彼らの記憶力に対する意識を覚醒するものだった。
一瞬、あの時のスケッチの記憶をたどっているのだろう宙をにらむと、紙面に眼を落し描き始めた。
携帯に記録した写真を見ながら描きだす者もいる。明らかに違反だ!
そう携帯は一時的に記録するものとしては便利だが、かれらの思考脳力を奪っている、ということになる。
自分の頭に詰め込むべきものを、他人の頭に詰め込むのだ。「軽くなっていいね!」という話ではない。
こんなことが繰り返されると、自分の頭に詰め込まれた「情報は何もない!」ということになる。
「そうかー、そんな人、いるね!」と頷けることだが・・・。
たとえば、ペットボトルの形・・・・
一定量の液体を入れるものとしての容器。手に握りやすい、店頭に並べやすく、自販機の他の容器類との寸法関係も・・・。内容物が見えるように透明、そのための材料はペット。キャップは簡単に取れ液漏れがないように考えられているが、安全性と使い勝手は十分検討されねばならない。シールはボトル内容の情報、個性を表示する。キャップ同様、プラスチック材として別に回収される。構造、寸法、材質、加工性、手で握り、口元まで運び液体を飲む動作、注ぐ量などなど・・・。
観察すべきことのほんの一部、紙面を考えるととても書ききれるものではない。
この観察力、そしてスケッチ力がなかったならば、記憶を形づくるための観察は大雑把であいまいになり、記憶された情報もまたずさんなものでしかないということになる。
そうだとしたら、デザインの発想もまたままならない。その意味で、デザイン脳力の基礎として好奇心を持って観察力を磨き、スケッチ力を持つことが何よりも大切なのだといえる。
あらためてルーチンワークとしての観察力やスケッチ力を根本的に鍛え直すことだ。
観察力とはものの見方であり、対象となるモノを注意深く、丁寧にみることで、全神経を対象に注視し物事の本質を見抜き核心に迫ること。 これまで気付くことのなかったものが見え、読みとることが可能になる。
デザインを学ぶうえで、「観察する」と云う態度は極めて大切なことだといえる。
丁度、夏季休暇になり、意識して過ごす重要な時間だ!
いうまでもないことだが、ただ漫然とデザインを学んでいるというだけでは、デザイン力が体得されることは絶対ないと断言できる!
デザインを学ぶうえでの観察力、スケッチ力は態度であり日頃の問題意識でもある。
まずは身の回りにあるすべてに注目し注意深く観察し、繰り返し練習する習慣を持つこと。
観察とスケッチ、その記憶量が自らのデザイン力、人間力の根幹となるものであり、思考や行動の根拠ともなるからだ。
(2013/8・1 記)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
メモ:これまでのコラムから・・・
・意識して「デザイン力」を・・・。
ディター・ラムス、ジェームス・ダイソン、ジョナサン・アイブ・・・。共通するのは優れた「デザイン力」・・・。そして、なにより強い自負心!だろう。ある意味では生来のクリエター資質であり、才能でもあるのだ。
「デザイン力」、その表現・提示する力は、独創的で最適な形を考えるための素材=形、質感、色彩。そして、点、線、面、立体、空間などの造形的要素を持って思考する力・・・。最適なカタチを求めるには、その組み合わせ、その可能性を極力多く発想することが必要なのだ。造形のための形体要素が少ないと、その可能性は制限される。また、それを適切に表現する力=スケッチ力が重要で、学ぶべきデザイ力の一つとして大きな意味を持っている。日頃から絶えずあらゆるものの「形」に興味を持ち"観察する"という心構えが必要だろう。理性と感性、意識する心をもった「眼」を養うことも・・・。モノの機能は最終的には手で触れ、視覚的に捉えうる形として具現化される。その形を決めるものは、デザイナーのセンスや感性が大きくものをいうことになり、感性と審美眼の有無がそのモノの質的完成度を分けることにもなる。
・デザイン感性の成分?
自然や人工の形の成り立ちを理解する。形状や構造、仕組み、質感、規則性、部分の結合、細部の変化・・・。
ものの「カタチ」を明瞭に観察し把握することができる太陽光や人工光・・・。
もの形を捉える明暗、陰影、投影、反射など・・・。造型、視知覚的な法則性の理解、錯視、空間、点線のパースペクテーブ・・・。紙面という物理的空間とスケール空間の把握・・・。比例関係、構図、収まりを考える美意識の理解が重要でもある。勿論、自然物や人工物の美醜の判断力を持つ識者、専門家の意見も参考に、理性的、数理的な正確さ、仕組み、色や形状の秩序には見習うことも多い。デザインを学び目指すものにとっては意識して努力することでその能力は確実に研ぎ澄まされてゆくものである。ただ、人よりは周辺を見る眼をもつと自負し、資質として体に刻み込んできたというその感性も、考えるまでもなく過去のもの・・・。常に最先端であり、未来を目指す問題意識が必要なのだ。メモやスケッチとしての記録、手の動きを大脳に刻む一連の行為、その繰り返しが生来の資質を豊かなものにする。 (コラム86「時代が変わり、デザインが変わる」7・31/2009記)
・わが国のマンガやアニメは世界的な評価を受ける中で、私自身も今後の可能性について有望な分野だと思っていた。しかし、先日の宮崎 駿監督の話は以外なものだった。「いやあ、ダメですね・・・。デジタル時代に育った人間には、アニメが理解できないようですね。アニメはバーチヤルでは描けない。人の痛みが分かる、その場の臭いや空気感を感じることが必要なんだ」と。(コラム74:07・31/2008「一層の開発競争?手のひらの携帯・パソコン」)