■清水教授のデザインコラム/連載 - 135(02/05/2014)
「世紀の大発見!」という喜び・・・。そこからはじまった一連の騒動は我が国の科学に対する信頼をも揺るがしている。
それは、この分野が抱える様々な問題を明るみにだすための必然だった?と、そのことも考えさせられている。
つい先頃は、小保方さんの論文について厳しく断罪していたはずの理研調査委員会の委員長が、自らの論文についても疑義がいわれけじめとして辞任。さらに、ノーベル賞を受賞した山中教授にまで飛び火している。急遽、記者会見がもたれ謝罪するという一幕は、過去に発表したES細胞に関する論文中の画像や図表に不正の疑いがあるというネット上の指摘だった。もちろん、きっぱりと否定、ips細胞についてはすでに多くの大学での研究が進み、実績が発表もされている。日本を代表する科学者として襟を正しての謝罪でもあったのだろうと思う。
いまは世界的にもデータねつ造や改ざんなどが起こりやすいのだ。論文であれ何であれ詰めのだんかいの慌しさは想像に難くないが、迂闊な手違いが起きぬように、心せねばならないことだろう。
・・・・
ところで、小保方晴子さんは高校生の時にたまたま手にした雑誌の特集記事で「社会に貢献できる再生医療」に強い興味をもちAO入試で早稲田大学へ。そして大学院―女子医大研修生―博士課程在学中にはハーバード大学医学部に留学している。留学先では「可能性の夢」をバカンティー教授と語り合ううちに、「動物細胞を外部刺激で初期化できるのでは?」という漠然とした「ひらめき」を得たのだ。その後、ips細胞についての山中伸弥教授の講演を聞いたことで、「ひらめき」は確信と言えるものに・・・。
人的な繋がりで理研という最高の研究の場を得、ユニットリーダーという立場に抜擢されたことが問題につながることにも。
世紀の大発見は驚異的なこと、たどれば余りにも順調、性急に過ぎるようにもみえる。
その間にも学ぶべき研究者としてのルール、自ら意識し自覚する時間すらも持てなかったということにもなる。
時代の持つ特殊性は、女性や若い能力を尊重し引き出すこと、自由闊達な研究環境を大事に育てようとする組織の寛大さが、ややもすると緩い心を醸成することにもなる。「科学者としての『ありかた』、育てる『厳しさ』も必要だったのだ。
特に科学論文は発表まで内容を外部に明かさないのが原則だろう。論文の根幹にかかわる画像で流用を見過ごしたこと、全体を確認することが出来なかったと言うことが取り返しのつかない大失態につながってしまった。
まだ、事実のすべてが明らかにされた訳ではないが、事例として示唆され、心せねばならないことは多い。人は自ら積み上げた経験や繰り返した失敗すらも必ず生かすことはできる。STAP細胞もその可能性を信じたいものだ!
(2014/4・30記)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
メモ:理化学研究所野依良治理事長の人となりを知る記事があった。研究者の性格?今昔の比較?
・異端の発想で挑む―心優しい気骨の研究者
十日,ノーベル化学賞受賞が決まった野依良治さんは,そんな形容がふさわしい。「既定の価値観の中でやっていたらつまらない。異端でありたい」。そう語って,困難な研究に挑み続けてきた。
化学の道に進む決意をしたのは,神戸市の私立灘中に通う中学生のとき。父親に連れられていった発表会で,ナイロンが「空気と水と石炭からできている」と聞かされ,感動したことがきっかけ。
京都大学進学後は勉強嫌い。ラグビー,マージャンなど勉強以外のことは何でもやったという。卒論のための実験で有機化学の面白さに改めて触れ,実験にのめり込んだ。 京大助手時代,ある実験でフラスコをのぞき込んだとたん,大音響とともに実験装置が粉々になるほどの爆発事故に遭った。
顔面を十八針も縫うけがを負ったが,三日後には包帯を巻いたまま研究室に現れ,周囲を驚かせた。この迫力から,「鬼軍曹」と呼ばれるように。
二十九歳で名大理学部の助教授,三十三歳で教授に。四十六歳で日本化学会賞など,異例の若さで大きな学術賞を次々と受賞し,有機化学界のトップを走ってきた。 仕事への取り組みは厳しいことで知られる。「野依さんの通った跡(研究分野)はペンペン草も生えない」と仲間にいわれるほど,徹底的に研究する。いまも「日曜日も家で朝から夜まで論文書いたりして働いています」(野依さん)という仕事ぶりだ。 昨年の名大の公開シンポジウムでは「若い研究者は自主性をなくし,家畜化が進んでいる」と若手にはっぱをかけた。学生たちの間にも「野依先生は厳しい」ともっぱらの評判だ。 だが実際に指導を受けた研究室の学生は「徹底的に付き合ってくれるのは,本当は優しい人だからです」と打ち明ける。人間味あふれるエピソードにもことかかない。四十代のころまでは酒濠でならした。野依研究室で助手,助教授を務めた岐阜大の鈴木正明教授(54)は「スナックで朝まで飲んだこともある。神戸育ちなので,酔うとカラオケで『そして神戸』です」という。野球は熱烈な阪神ファン。 「阪神が強ければ,もっと早い時期にいい研究ができていた」と冗談まじりにぐちることも。「名古屋駅できしめんを食べ,店に大切な資料を忘れ大慌てしたこともあった」(鈴木教授)とそそっかしい一面もある。
「研究室では”いい子”だけではなく変人,奇人を10%ぐらいキープしておかなくてはだめ」。 一昨年の中日新聞のインタビューに答えて,そう話していた。そんな野依さんの反骨と優しさが,日本の基礎科学研究の国際的な評価の高まりと呼応して,ノーベル賞という最高の栄誉となって報われた。
(2001/10月11日(木)産経新聞 掲載)
・生体内では酵素が光学活性体を合成する際に重要な役割を果たすが、フラスコの中で人工的に一方の光学活性体を合成することを不斉合成という。2001年のノーベル化学賞を受賞した野依良治(理化学研究所理事長)の業績は、不斉触媒を用いた水素化反応に関するもので、超微量の光学活性化合物を用いるだけで、大量の光学活性体を合成することができる。
(知恵蔵2014の解説 市村禎二郎 東京工業大学教授 )