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■清水教授のデザインコラム/連載 - 55(12/29/2006)

温故知新、年末雑感・・・・・

朝の慌ただしい中で、わたしの前を躓きそうなぎこちなさで歩く女性がいた。
追い抜きざまに見ると、やはり、メールを見ながら歩いていたのだ。暗がりでは、大声で怒鳴っている奴がいる。けんか?か!耳をすますと、こんどは笑いながら近ずいてくる・・・。
あぶない奴では・・・。
それとなく身構えながらやり過ごし、見るとケータイで独り話しているものだった。
対向車線、トラックの運転手が笑っている。片手を耳に、ケータイを掛けながら・・・。その眼は前方を見据えるものではなかったように見えた!
最近は慣れたが、しかし、まだまだ驚かされている。
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いつでも、どこでも、誰でも・・・。
まさに、ユビキタス時代の到来だろう。
電車やバスの中は言うに及ばず、車や自転車での移動中、歩行時にすらケイタイを活用している。
とくに、若い世代にとっては変え難いツールに違いない。
女子高生が恋人や友人との通話のやり取りは日に150通以上にもなるという・・・。
そして、2、30語もあれば、意志は十分に通じるものだろう。
耳にはイヤホン、無意識に携帯をもてあそぶ・・・。干渉お断りのサインなのだろう。
「子供に通話代が払えるはずがない・・・」という、世界の常識に反して、これほどに小中高生にまで浸透しているのは、一体なぜ?
面と向い、お互いの眼を見合わせることもないコミニケーシヨン・・・。
ひとの表情にあらわれる感情の機微を読み、その場の空気を感じ取ることもない生き方、特に若年層の過度のケータイ依存には経済力だけでなく、社会人としての「コミニケーシヨン力」、「考える力」などの「社会人基礎力」を失わせ、社会への適応力を失わせるものになりかねない。
そういえば、なぜか空気を読めない若者に会う機会が多いようにも思う。
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ところで、世相を表す'06年度の漢字一文字に「命」が選ばれている。
命の誕生、失われた命、はかなさ、尊さ、もろさなど、それらの全ては「心」の問題であるといわれる。いじめ自殺などが日常的な話題になり、命の軽さを痛感した年でもあった。この日本、いったいどうなるのだろう!という不安もおおきい。

選ばれたスポーツ選手の数十億円が、ことも無げに話題になり、ITバブルの一握りの勝ち組?は、余りにも異次元、並みの感覚では計りきれない、そのまばゆいほどの生活を見せ付ける。
そのギヤップ、なんとも言えない焦燥感には、もはや薄れて見えなくなった若い頃の夢を重ねて、自らを嘆くことに・・・。
学校教育による平等主義の錯覚に甘んじていた己を顧みることすら出来ず、嫉妬と不足の思いを一層つのらせることにもなる。
自分らしさを求めるあまりの一途な思いは、やがて焦燥感となり過剰な情報依存に陥り無力感へと変化していく。人一倍の努力も報われず、認められないという現実もある。
マズローの提唱する「人間の欲望5段階説」も、実は殆どの人が望みながら目指す、「自己実現」を手にすることはないのだという。自己実現社会、その教育は安易にその「夢」が叶うものとしての甘い幻想を与えてはいないのだろうか・・・。
人間にとっての競争と格差、ある意味では適切で公平なものであることを知らしめることも必要なのだ。
また運も左右し、勝ち、負けに分けられることも認めねばならないのが現実なのだ。
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わが国における教育においても、それらの矛盾を教え「生きること」、「学ぶこと」の意味、その「本質」を自ら考える時間を持たせることが、いまは、何にも増して重要なのだと考えている。見えぬ目標に向けて虚ろな目を向けるカタチだけの教育では、日本の未来はない。

人間の「知情意」、心的3要素のバランスと充実は、教育の根幹となるものである。
「愛国心」や「公共心」など、そして何よりも重要だといわれる「家族教育」などが見直されてもいる。「教育基本法」の改正、「教育再生会議」の成果は、我が国に於ける教育再生の効果を生むものであろうと期待している。

                ( Des.28 /'06 記)

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追伸:
「現代は、激動の時代である。だれの目にもここ20年の日本経済・社会・政治の変化の激しさは、明らかであろう。その動向を見定める努力をしなければ、現代の変化に即応しているつもりで、かえって、時代の滔々(とうとう)たる流れに押し流されてしまう。その変化が、人間の心身双方の生活に及ぼす影響についても深く考えなければならない。
数世代、都市の中で生まれ育つと人間の動物的活力、例えば視覚・聴覚・味覚・臭覚・触覚といった五感の力と肉体力、生殖力が衰え、健康と活力をなくしていくという。社会の変化は人間そのものまで変えているのである」

「現代科学がいまいま開きつつある技術的可能性が経済・社会・精神に与えている衝撃について十分な認識を持たねばならない。
逆に言えば、それらの科学技術の進歩を友好適切に管理運営しつつ、それをより高度の精神文明と共存せねばならない。
豊かな物質文明生活、しかし、物事には表があれば裏もある。
自家用車はあるものの日々の通勤電車は、十数年前と同じようにすしずめ、水と空気の汚濁は、年々ひどくなる一方であり、密集地の混雑は、一向に改まるふうはない。
街頭の騒音はいよいよ激しく、歩行の安全は保障されず、都市における犯罪は激増してゆく・・・。
また、農村は伝統ある村落社会が、青年の離村によって次第に崩壊していく。
高成長は経済を変えるのみならず、社会を変え、人を変える。
これからの日本にとっての問題は経済というよりは、むしろ社会にあり、人の教育にある」 
市村真一京都大学教授による「現代をどうとらえるか」は1970年に出版された。
我が国がGNP世界第2位となり、経済白書に「豊かさへの挑戦」がいわれ、日本人がエコノミックアニマルともいわれていた時代だった。
その予測はまさに、その後の我が国における発展の、懸念したさまざまな姿をいまに露呈している。