■清水教授のデザインコラム/連載 - 59(03/31/2007)
「美しい国、日本!」
車窓を流れる風景を楽しんでいた。
「美しい・・・」
田畑やこんもりとした木々に埋もれた白壁の土蔵がことさらに、美しい・・・。
遥かに望む丘陵地帯は黄褐色に溶けてけむり、まるでだれかの水彩画を見ているような感覚にもなっていた。
ところが・・・。
それが関西地方を襲った黄砂だったのだ。
そのことを知ったのは京都のホテル、部屋で見たニュースだった。
大陸から風に乗ってわが国にまで飛来したもの・・・。
中国の砂漠化、1年間に2,460平米の土地が1秒間には78平米。
ほぼ、48畳分に相当する面積が刻、一刻と砂漠化しているのだとすれば・・・。
それは恐怖感をすら覚えること。まして、中国や韓国などに比べ、海を越えて日本に降り注ぐ黄砂は、より細かく気管に入り込みやすいのだとか。
黄砂が増すと花粉症や喘息が悪化する恐れもあるのだという。
感動している場合ではなかったのだ!
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上空に黄砂、地底にはマントル・プレート?
近年、各地に突き上げている衝撃波が我が国を揺すりあげている・・・。
北海道、新潟、能登半島、三重亀山、鹿児島・・・。
まさか、と思われていた関西。
神戸・淡路島の地震にはじまる、その大惨事から10年・・・。
その「まさか!」が、「こんな所で」と言う驚きをそこここの地元民の口から聞くことになった。
この小さい島国にいったい何か起ろうとしているのだろうか。
そして、いつ・・・。かなりの高い確率で警告されているように、この大都市、東京を襲うことになるのだろうか・・・。
現代の都市空間は象徴するガラス壁のビル群が林立する。
果たしてこのビルは、構造は大丈夫なのだろうか?
その時、多分、厚さ十数ミリというガラスが降り注ぐ路面、右往左往する人々が・・・。
それが明日のことではないだろうという楽観的な気持ちは私も人並にある。
しかし、街を歩き、ビル街を見上げる時に、ふっと、そんな瞬間を想像し不安を感じる。
いま、地震があったら・・・。
どこか逃げ場はあるのか。それとなく目を周辺に走らせるがしかし、諦めるしかないのではという思いにされるものだった。
大都市に住まうものにとって、それなりの覚悟がなければならないのだろう。
それにしても、最近の頻発する地震は、危弱な地盤に林立する構築物への警鐘?
人間の慢心を戒めるものであり、仮説的構築である空間の検証を促すものだとも思っている。
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「六本木ヒルズ」、「表参道ヒルズ」、「新丸ビル」・・・。
大規模な地域開発が世界の情報基地として計画され、次々に生まれてもいる。
「東京ミッドタウン」も、美しい国ずくりのコンセプトの一つだろう。
このプロジェクトに参加した建築家・安藤忠雄は「21ー21DESIGN SIGHT:代表三宅一生」を東京ミッドタウンにつくり、「車やテレビ、家庭電化製品やフアッションなどの生活デザインを世界に発信する。生活文化においては、日本は世界1だと思う。これは1つには毎年新しいものを作らないと納得しない大衆がいたからだと思うのです。大衆のレベルが高かったからデザインのレベルも上った。今度はデザインのレベルの高さに大衆がついてくる形ででも、日本のもう一つの顔が出来ないかと考えたのです」と読売新聞のインタビューに答えている。
ちなみに、この東京ミッドタウンには「Gマーク」の「産業デザイン振興会」がオフイスを構え、九州大学大学院の芸術工学系のサテライトオフイスも設置されている。
ただ、これら大規模開発に共通する魅力ずくりはレストランとショッピング?
世界の有名なレストランやショップが出店を競うことになる。
かくて、「有名店」を求める行列が出現することになる。
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この美しい国、日本に無いものはないのでは?
食料やモノ不足の時代を経験しない世代にとっては世界1とも言われる幸せと豊かさの中に「どっぷり」と浸っている自分を実感することは出来ないだろう。
「有名店に並ぶ時間と忍耐・・・。
私には耐えられないことだが、日本人もいつの間にか行列をつくる時間を持ち、忍耐する心を持っていた。
しかし、それは、自分が自分であることを失い、世評に流されて個性と主体性を失ってゆくことの証ではないかとの警鐘が聞こえる。
考えさせられることでもある。
(28 April/2007 記 )