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清水教授のデザインコラム/連載 - 73(06/30/2008)

時代の徴(しるし)・・・・・
 
連載コラムからの抜粋・ダイジェスト

●人の住む星・地球を1秒で見ると・・・(コラム/連載 - 33 2・28/'05)
1秒・・・。
まばたきする、その1瞬。「あっ!」と言う、その1瞬にある地球の変化・・・。20世紀のはじめに16億人だった人口は1昨年('03)には63億人、2015年には70億人になるといいます。
もうかなり前になる、この地球環境に生存しうる適正人口は15億人位ではという話を聞いたことがある。それからの年月を考えても、今はまさにひと1人が生きること自体が環境負荷、そのものでもあるのです。
飽食社会の中にまどろむ日本人にはなかなか実感し難い数字です。
その星に住む人々の欲望のきしみ、変化の悪しき連鎖は異常気象、地殻変動、食糧危機、地球上の各地にある変化に繋がる・・・。

●「生きぬく力」、学ぶ心、考える心と行動を・・・(コラム連載-64 9・29/'07)
ひとは与えられた社会や文化的な環境の中で生まれ父母、兄弟、友人、そして、様々な人たちとの複雑な人間関係をとりむすびながら生きてゆくことになります。もとより、本人が目標を持って生まれるわけではないので、周辺の思惑と両親の期待、幼児期、学童期、少年期、青年期と成長する過程で触れる「なにか」に感じ、感動した夢を膨らませてゆくことになります。それらの夢を実現するために、人はひとととして生きることになるのです。嬉しさや喜び、楽しみ・・・。また、苦しみや悲しみ、挫折をともなうものでもあるのです。その度に目標は揺れ動くことにもなります。
戦後の我が国を見ると、その成長と変化の激しさには驚かされます。「大衆消費社会」の実現にドイツは85年、フランス109年、アメリカは60年間かかっているといいます。日本は60年代以降に突入しており、わずかに30年。歴史的にも特筆されたことでした。その変化の早さに心構えを失い、自らが学び、考えるという「心」を持てないままの短絡に真似る、習うものに・・・。
その社会的環境が激変するなかでの教育、試行錯誤の成果、現在ある様々な問題点の発現は全てそれらの働きかけによる結果であるといえます。  
教育は地域や国の盛衰に関わる問題でもあり、「詰め込み教育の反省」が「ゆとり教育の導入」、その反省は再び「詰め込み教育」にという迷走振り・・・。
また、教える側・教師の「人間力」や「教師力」の未熟がいわれてもいます。
「教える技術」がない、なにより、教える意味をすら見失っているのでは、ともいわれてもいるのです。
教育者としての資質、人間としてのモラルを疑われかねない事件もあり、社会的な不信感を与えているのです。また、教育の現場には非常識を突きつける家庭が出現し、楽しく、面白くない授業、暗い先生は要らないとうそぶく我が儘で携帯依存症の生徒たちを生み出しているのです。
育った時代、世代間の価値感はがらがらと変わっています。
先生は教育の場で権威ある存在ではなく、競争原理と少子化に生徒との立場は逆転していたのです。
・・・
●「夢」に挑戦するのが豊かな人生・「10代のアンケート」から・・・
 (コラム連載-8  4・12/'03)

「夢もって生きましょう・・・」、「夢を・・・」
しかし現実は、「夢すら見ない時代だ!」というのです。
厳しい、我が国の長引く不況、閉塞感がそう言わせてもいるのでしょう・・・。
「だから夢を見れないんだ!」とも・・・。
とはいえ、人は誰でも夢を見る。見ることは出来るのです。
人は夢があるから生きていけるのだといいます。
その「夢」が青少年から失われるとすれば、それは極めて深刻・・・。

'03年2月22日の読売新聞には中学生以上の未成年者、五千人(有効回収数2,942人回収率59%)に実施した「全国青少年アンケート調査」が掲載されている。
「社会観」や「人生観」、そして「日常生活」について聞いたもの。
「日本の将来について」、4人に3人が「暗い」と思い、75%が努力をしても誰でもが成功出来る社会ではないと見ている。
更に質問は、「日本が外国に侵略されたらどうする」という。
「武器を持って抵抗する」 13%、「武器以外の方法で抵抗する」 29%に対して、「安全な場所へ逃げる」 44%、「降参する」は12%でした。「どんな人生を送りたいか?」の質問には「好きな仕事につく」69%、「幸せな家庭を築く」 62%、「趣味などを楽しむ」 54%、「金持ちになる」32%、「人のためになることをする」 30・4%、「有名になる」 15・2%、「出世する」13・5%など・・・。
社会現実に否定的、悲観的な回答が目立つ一方、個人や家庭を大事にすることが伺える。
「悲観の10代」の大見出し、夢より現実・・・。
「内向き世代」大きな夢や希望は抱かない「血の気の薄い」若者達の姿が調査からは浮かび上がってくる、と。右肩下がりの元気の無い日本、大人を見て育った世代であるとも・・・。上田紀行東工大助教授(文化人類学者)のコメント。

「暗い未来」「努力しても報われることのないだろう未来」に向けて「夢を持って生きよう!」「学び、意欲を持つて頑張ろうぜ!」などと、とてもいえない・・・。
「夢」を断たれ、夢を失った青少年が短絡に自ら生命絶つ者。そんな悲しいニュースも多い時節でもあるのです。
日本国民としての誇りは「ない」 33%・・・。

我が国の「生き方の価値観」は単一、短絡過ぎるのでは・・・。
「失敗」「失望」「挫折」・・・。「辛い」「苦しい」「悲しい」こと。
夢の実現はそれらの前提が常にあることを学ぶことが必要なのです。
その厳しい現実、困難があるから「夢」なんです。
誰でもが簡単に実現するものであれば、そんなものは「夢」ではない・・・。
筆舌に尽くせない困難、挑戦があってこそ、大きな喜びとなるのです。

その「困難」は、「解決すべき問題」と置き換えてもよい。
この問題への挑戦は、日々の生活にあるもの・・・。
夢があるから頑張れる。辛いと思うときも我慢が出来る!
困難な夢を実現させる、問題に向かう生き方が、豊かな人生でもあるのです。
・・・
●新年に思うこと-日本人・日本人としての誇り・・・(コラム連載-20  1・25/'04)
かって謙虚さや謙譲心は、私たち日本人の美徳だったのです。
いまは、あまり意識される事もないが、儒教思想や武士道に通ずるものです。
「己の善を語らず・・・」と、いう故事も極めて日本人的な意味あいを持っています。
その信念、誇り高く真っ直ぐに生きる心、その生き方が日本人でもあったのです。

しかし、自国を誇りに思うことがなさ過ぎるのではと思う昨今・・・。
兎に角、斜に構え否定してみせる大人社会を映したもの・・・。
或いは、その時代の価値観を左右する評論家、マスメデアの一方的な意見や報道に洗脳されたもの・・・。
「自国を誇りに思うか」のアンケートに 65%の若者が「はい」と、答えています。
しかし、それでもアジア圏では最も低いものであったと言います。
また、企業人へのアンケート・・・。
「大学をどう思うか」という問いに、「評価出来る」と答えたのはフィンランド、カナダ・・・。その上位国に対して我が国は、調査49ヶ国中の49位だったと言います。
つまり、「最低・・・」だったという評価なのです。
それらの評価上位国が自国の次代を託す人材・エリートを育てることを大学に託しているのに対して、我が国では余りにも開かれ過ぎた個人、高学歴社会の大学であるという事でしょう。
目的も無く、大学生が何をすべきか、最高学府という自負心も無い・・・。
「何か判らないが、否定する」「教えてくれなかったから・・・」「分らないが、より以上を望むから・・・」、自分には甘く他には厳しい? そんな甘え、不満がアンケートになるのでしよう。
その当事者となる若者が確りとした目的意識を持って欲しい。我が国の次代を託すのですから・・・。
生きる意味や目標すら考えたことが無いと言うのでは、大学に居ても、自らが学ぶという事にはならないし、また、現在が「よい」と思い、「有難い」と思うのか、「良くない」と思い、「有難くない」と思うのかの相対的な比較も出来ない・・・。
つまり、比較出来るのは彼らが知る「豊かさ」の中だけでのことになる。      
皮肉なことだが、営々と汗した努力・・・。
「子供だけには苦労させたくない」と言う親の思い・・・。
豊かさの実現は、「感謝する気持ち」、「有難いと思う心」を忘れさせた。
問題なのは「生きる」こと、「学ぶ」という意味と目標を失わせたことです。

豊かさの中の欲望、自己実現、何かを求める心の戸惑い・・・。
不安は、不満となり、往々にして自分へではなく、他人や大学、社会、国へと転化、変質させていくのです。
・・・
●何をやったらいいか分からない。だから、取り敢えずデザインを学ぶことに・・・
(コラム連載-34  3・31/'05)

しかし、何をやりたいのか、将来、何をやったらいいのか?
自分に何が出来るのか?いろいろと考えたが分からない・・・。
そう迷いながら大学に進学した者も決して少なくはないだろう。

「嫌い」だから、よく「分からない」から、やらないということになると、ますますやらない人間になり、何も出来ないダメ人間に成ってしまいます。
独りで考え込んでしまうことにも・・・。
嫌いでもじっとやり続ける忍耐が大切です。
必ず出来るようになり、楽しくなるものです。
分からない、出来ないから・・・与えられた課題に取り組んでいるのです。
手で触れ体で実感し、人間としての本能と向き合い、人としての感性を研ぎ澄ましていくことになるのです。
デザインは「生」の発想、人への優しいまなざしと美意識を育くむものです。
自分自身の能力の成長拡充はその挫折と克服する努力の繰り返しによって確実に得られるもの。そのことが実感されることで喜びも大きいものになっていく事になります。

人間という生物は、自らが生きる環境の様々な仕組みに触れ、身体を通して感じ、感性を培って成長するものです。
「好き」になり、自らの体を通して考えたことは何よりも身に付くものなのです。
・・・
●作家五木寛之氏は「ロスト感の喪失こそ今の日本社会だ!」と・・・
(コラム連載-35  4・29/'05)

人は誰でもが失敗するのです。
人類はまさに失敗に学びながら発展してきた歴史でもあるのです。
失敗を恐れ、ひたすら押し隠そうとすることが取り返しの付かない致命傷にも繋がります。強い責任感なくして数百人の命を預かる立場をとるべきではない。
高いプロ意識を持って学び、自己を厳しく律することであって欲しい。

高度IT社会にある危うさは、この悲惨な事故に学ぶべきことは多い・・・。
しかし、ITの進展、生活への浸透は人間関係を分断し、何か不思議な現象を引き起こしているのではないか? そう思える出来事が余りにも多いように思います。
これまでの考えからはとても理解出来ない犯罪、人間社会の運用の異常が生み出されてもいるのです。
JR尼崎線、脱線事故の大惨事にも「90秒」に凝縮されたIT社会の危うさ、危機の連鎖を感じています。
 ・・・
●理解を超えて、ITは確実に人々の中に浸透して・・(コラム連載-37  6・30/'05)
ITが確実に人々の中に浸透し、わたしの周辺でも殊更に意識されたものになっています。勿論、地方の町や村、そして世界の果ての情報なども眼にすることが出来るのです。
しかし、その進展は我が国の少子高齢社会の中で能力主義という一元的な価値観によってヒエラルキーの崩壊を生み、世代を繋いで受け渡されるべき知恵と生き方の伝承を失なわせ寸断してしまったようです。
それらのひと社会の仕組み・・・。
その底辺に在る見えざる連鎖反応が何か不思議な現象を引き起こしているようです。
そう思える出来事が余りにも多いように思います。
これまでには考えられない犯罪がそこここに起こり、理解され難い異常が若い世代によっても生み出されているからです。

恐怖感や罪悪感をすら感じないゲーム感覚の衝動と行動の単純さなのです。
これまで私が受けたショックは精神的なダメージはあっても、理解できるものでした。
ひとの道、神を畏れる心がその根底には見えたからです。
今の大人たちは、幼時より何かにつけて「バチ(罰)が当たるぞ!」と親に言われ、近所の老人に怒られたものです。
ことの善悪は、ことあるごとに教え込まれていたものです。
しかし、いま、IT化の中に育った人々の中には大脳を構成する神経細胞をも麻痺させ溶解させているようにみえるのです。
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●「自覚し、強く意識すること・・・・」・・・(コラム連載-48  5・31/'06)
「なぜ働かないんですか?」とレポーターが問いかける・・・。
「ひとと話すことが苦手ですから・・・。めんどうくさいし、おもしろくないから・・・」。
「おやが働いてて、いえもあるし・・・」「親に働かせて?居なくなったらどうするのですか・・・」とさらにマイクを向ける・・・。
「親が死に収入がなくなったら、働らきますよ!その時は・・・」目を伏せ感情もなく答えるニートと呼ばれる若者・・・。
彼らは大なり小なりわが国の若者のいまの姿と重なるものでもあるのです。

インタビューに見るように「生きること」や「学び」「働く」意味を喪失した若者の無力感は、いまここにいる自覚をすら失っているように見える。
テレビやテレビゲーム、豊かさの中に錯綜する刺激的な情報・その波動は彼らの幼少年期の心に大きな影響をあたえているように思います。
その生活、環境の劇的な変化は過去のそれとは比較にならないものです。
個人として受容する情報の量や質も違いすぎます。

変容に対応し得る家庭教育や学校教育がないことが歪をおし広げることにもなっています。社会的な責任を育むべき家庭の崩壊と人間関係の変化が人間として生きることの目標をも喪失させたのです。
ひとは母親の胎内に生命を宿したときから、その精神状態、喜びや怒り、そして哀しさ、楽しさなどを共鳴させているのだと思っています。
つまり、母親の胎内にあるときから人格は形成されているのです。

                          (30・6/'08 記)
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