NUDNimageNUDNとはimageID/PD分野についてimageお問い合わせ

image
partitionホームpartition芸術学部情報partitionデザイン学科情報partition学生作品partition卒業生作品partitionリンク集partitionメールマガジンpartition
image

清水教授のデザインコラム/連載 - 77(10/31/2008)

「真似ることからはじまる、学び!」

デザインを学び、そして、教える立場になってほぼ50年、まさに半世紀が経過していたことになる。
そしてこの半世紀に我が国発展の全てが凝縮されており経済的、社会的環境の変化は最も激しい時代であったといえる。
終戦といい、敗戦であったと言う事実もほとんどが夢? 実感のない時代になってしまったが我が国にとっての大きな節目。私にとっても全ての起点はそこにあると考えている。
もっとも、当時 私は7歳・・・。
国策としての大陸進出・・・。その夢を断たれ、全てを失って極東の小国となった日本は、民族としての誇りや自信をすらも失い失意のどん底でもあった時代だった。

まさに国家や企業、個人のリセットがなされ・・・・
生きるためのモノづくりが工業先進国に倣って始動することになった。
売れるものは何でも「つくり」売った。
売るためにはあらゆる知恵を絞り、時間を忘れて工夫改良を加えた。
売れそうなものを調査し、探る努力があった。
当然ながら途上国のもの作りは安い、先進国からの生産発注が集中し、世界の工場とも言われるようになった。
モノの性能向上と同時にデザイン性の要求も多く、強くなってきたということもある。企業経営者の欧米もうでと同様にデザイナーもまた欧米に習うものであり、その経済活動と軌を一つに機能することになった。
手探りのデザイン活動・・・。カメラを首に吊るしメガネをかけた日本人がそこここの見本市会場や店頭を徘徊しているうんさ臭い奴と担当者や店員に追われる姿も目撃した。
いま振り返ってみれば、汗顔の至りではある。
そんな涙ぐましい努力もあって、戦後日本の成長と変化の早さに世界が驚かされることになる。
「死に物狂いだった」と言う表現もまんざら嘘にはならない程に寝食を忘れて働いた結果であった。「働き中毒」と揶揄(やゆ)され、勤勉な日本人と恐れられることにも・・・。

目標であった欧米並みの大衆消費社会の実現・・・・
あのフランスは109年かかり、ドイツは85年かかった。アメリカは60年・・・。
我が国は、わずかに30年で達成しているのだから歴史的に特筆されることであった。
しかし、その変化の早さは実は自らが考え、構想して創るという過程を省略したもの、「創る心」を持たないままの極めて短絡なものであり、金と時間を掛けないものになっていたことは否めないことだった。
「学ぶ」意味と同義ながら、ただ単に「真似る」だけの日本人とも言われたことは屈辱的でもあった。
地理的環境の問題、後進国の宿命でもあるのだが・・・。
何かを置き去りにしての社会的環境の変化は、教育の試行錯誤にも世代間の様々な問題点の発現を「いま」に見せることにもなったと思っている。
その時間を過去に向かって遡ってみれば明らかになることなのだが・・・。                            

右肩上がりの経済成長・・・・
加速度的に進み始めた我が国産業界の順調な成長・・・。
1974年には GNP世界一位へと上りつめていた。
その関わりにおいてデザインもまたその姿を徐々に顕にしてきた歴史と重なっており、私自身がその過程のあれやこれの多くを自らが眼にし、手にした体験をもてたと言うことである。
その豊かさを求める過程は、必然的にゴミ問題を生み、資源化を計るものとしての社会問題へと発展し、今日のリサイクル運動、エコデザインへ繋がる過程をも生み出していた。
障害者の生活圏の拡大からバリアーと言われた公衆トイレ問題に・・・。そして、全国規模の「道の駅」へと提案は広がるものになっていった過程も・・・。
様々なデザイン、国際コンペを含めて、テーマとした製品デザイン、そのための手法も多くを体験することになった。
理論的な方法論も幾つかを試みたが、当然ながら多くの時間を要することになり、デザイナーとしての創造的衝動、感性に触れるものにはなり難いと言うことも分かった。

先進国としての発想・デザイン・・・・
いま、周辺をみまわしても、複雑で高度なレベルに到達したライフスタイルを読み解きながら、未来を「発想」する力が求められている。
先端的、先進国であると言う証しでもあるが、自らが発想し、最適な未来を創り上げて行かねばならないということなのだ。
その意味では、デザインもまた学ぶ視点を日々の生活の中におくこと、自らを意識して観察するということも問題を実感し認識するいみでは重要なのである。
個人の皮膚感覚としての「発想」が確かな未来を創ることになるからだ。

(2008・10・31 記)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・