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清水教授のデザインコラム/連載 - 79(12/31/2008)

「日常生活の中の問題意識・・・・」

 本コラムはデザインについて、デザイナーが関心を持つべきだろう諸々について考えたものである。もちろん、デザインを学ぶ若い世代の読者も意識したものでもあるが、なによりも私自身の感性を覚醒し日常的な生活の中で問題意識を喚起することが出来たのではとも思っている。
2002年の10月にはじめて掲載し、今回までに79篇になっていた。
ほぼ、月に1回のノルマではあるが幾つかの仕事が重なる忙しさに取り紛れ、何度かは放り出したくなっていた。
それでも諦めず頑張れば何とかなるもの、ということを何回か経験したものだ。
いまは書店やコンビニにあるさまざまな雑誌、週刊誌などにも掲載されていて「デザイン」は結構生活の中にも浸透しているようだ。
それらの多くはウィンドーに飾られるたぐい? 美しさと魅力を売りに誌面をうめ、「形」や「色」をのみ強調したものである。デザインの実体を見せるものではない。
しかし、そんなページをめくりながら、「デザイナーになりたい!」という衝動にかられた者も多いのではないだろうか。
授業の中でも時折りそんな学生と話をすることがある。
演習であつかうテーマの意味、「その次の可能性を求められる意味」が分からないというのだ。
確かに、欲しいものを持ち、満ち足りた環境にドップリとひたる生活・・・。
なんの不満もない生き方の中では、デザインとして求められる答えが見出せないからだ。
モノを自ら造ることなどまるで念頭になかったことだから・・・。

デザインには動機がいる・・・
デザインは「美しい」「可愛いい」「カッコいい」ものではある。が、それだけではない多くのことが潜んでいるからだ。そのことは一般的に余りにも理解されていないことでもある。
ただ「なにか、美しい形を」と思っているだけではすまないことだ。
勿論、そのことは間違いではない!
しかし、その「美しい形をつくる」ということが、実はそう簡単な話しではないからだ・・・。
常に変化し続ける人の社会はまた、新たな変化を必要とするものでもある。
デザインはその「変化」を求める人々の兆候をとらえ、欲求を読み解きながら未来を描き具現化することでもあるのだ。

時代は必ず次の「欲求」を突きつけているもの・・・。
その生活者の潜在する欲求を注意深く見ること、感じ取ることが必要なのだ。
クリエターが持つ感性は新たに開発された「技術」や「素材」、使用者や環境の変化にあわせて「使いにくい」「収納しにくい」「魅力がない」「造りにくい」などという生活の中での「不満」を感じ取るのだ。
デザインの美しい形とは「用途」や「機能」「構造」「材質」など、そして、それらが「形」となっておかれる空間とのバランス、よりよく調和したときに言われることなのだ。
その意味では学ぶことは日々の生活の中にあり観察力を手掛かりとしての問題意識を持つことである。
それらのメモを描き記しながらスケッチの発想量の厚みを持つことがデザインとしては重要なのだ。それは、一人ひとりの「眼」と「手」で創りだすものであり、その忍耐と努力の時間があってこそ発想は飛躍し『デザイン力』は確かなものになっていくのだ!

「眼」で見るということは捉える対象を瞳孔の0・4ミリ伸縮させるだけで、20センチから無限遠までを瞬時に捉えることである。ただ、それだけではない、「行き方」や「考え方」「欲求」などという見えないものを「見る」ということであり考えることをも意味する。
また、「手」は勿論、人間らしさを皮膚に触れ、心に触れる繊細な「モノづくり」を意味すること・・・。

イメージする力を・・・・
ところで、デザインを語るときには写真や図版を指し示すことが一般的だ。 が、ここでは読者が持つイメージ、図や映像を文章に重ね、行間においてもらいたいと考えている。
「デザイン力」となる「表現力」や「具現力」と併せてイメージする力、そのこともまたあらゆるクリエターにとっては必須の能力でもあるからだ。
そのチエックだと考えてもらえればよい。

コラムとしてはいささか長い文章になっているが、様々な思いと期待をもって日常性の中から直接・間接にデザインと関わる話題を拾っている。
インターネット、ゲーム、携帯、コンビニなどが生まれ生活スタイルが変わった。
豊かさと快適さを獲得し、そして失なったものも多い・・・。
様々な価値観を持つた世代、そんな多世代のデザイナーが「何か」を感じ、考え、触発するものになればと考えている。
                         (2008/12・31 記)
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追伸:
 偶然だろうが・・・。
書棚から取り出した新旧数冊の本、その「おわり」には経済の低迷や不況についての話題が異口同音に取り上げられていた。
まさに、歴史は繰り返しているということだ。
私もいままた何度目かの不況に遭遇することになった。
サブプライム・ローン、その負の連鎖は全世界に拡散している。
併せて、原油暴騰、暴落があり5〜6年も続いた我が国の好景気も急ブレーキがかかった。
中小企業の倒産はもとより、大企業、あるいは、国が破産するのではとも懸念される地球規模、100年に1度とも言われる金融大恐慌なのだ。
その仕組みに問題があり、これほどの不況に拡大するとは誰もが予想できなかったのだという。
その震源地となったアメリカでは、「変化」を求め歴史的な「変革」を期待して黒人としては初めてオバマ大統領を選んでいる。
凋落が言われる大国アメリカの再生は叶うのだろうか?

・グローバル化の中であの超優良企業トヨタが営業益7割減を発表。円高と消費の冷え込みが予想以上であったという。
我が国は敗戦、1次、2次石油ショック、そして'90年代のバブル崩壊をも経験している。
その経験は組織の当事者意識を生み、耐える中でも一人ひとりの工夫改善の知恵を出し合い、その後の成長を強固で確かなものとしていることだ。
「朝の来ない夜はない。特に、夜明け前は一番暗い」という。それら経験に裏付けられた格言がある。
勿論、日本人の自然観にもとずく発想力は緻密な「モノづくり」に生かされることになり、デザイン再考のチャンスでもある。
再び、あの頃のように世界の中で輝くことになる。