もう、数十年も前の話になる・・・。 ドイツのバーデンバーデン州の博物館を訪れた時だ。新旧の「うつわ」を並べた特別展が開催されていた。 古い「うつわ」はギリシャやローマ時代以降の職人が作りだしたものだったろうか?新しい方は、現代の職人や作家、デザイナーの「うつわ」などだ。 多分、目的や用途は「注ぎ」、「手に取り」、「口にはこぶ」など、食生活のためのものだろう。それらは加工方法の素朴さと数百、数千年の時間を経たものもあり青銅や石、陶土、ガラスなどであり、その多くは現在も使用されている素材だ。営々と作り続けられるカタチも質の劣化を除けば、ほぼ同一形のそれぞれ一対が比較出来るようにレイアウトされていた。 単一機能のカタチには独自性や多様性を求めることの難しさを示すものでもあると思うものだった。 中世の王侯貴族のためにお抱え工房の伝承技術として密かにつくり続けたものもあるのだろう・・・。たまたま当時の私にとっては、「デザインの個性、独自性とは何だろう?」と考えさせられてもいた。あくまでも機能性を前提にしたデザインアプローチが一般的だった時代、デザインの「発想力」や「カタチ」の独自性をもつためには、「モノ」が生まれ―使われ―変化してきた過程を知ること、現在にまでに繋がるさまざまな製品を直接目にし、手に触れてみることを心掛けたいとも・・・。 発明がカタチの原型となり→改善改良の中で→差別化、差別化の可能性のスタイリングを生み出すことにもなる。その知‐感覚がカタチをつくる力になる。 その確信はいまも変わらない・・・。
(2015/8・2記)
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メモ:
・私のはじめての海外旅行(1967年?)は横浜の埠頭からナホトカ(ソ連)へ向かうという船旅から始まり、ナホトカからはソ連国内航空機でイルクーツク(バイカル湖)、モスクワ(ソ連=ロシアの首都)へ。更に、シベリア鉄道でウイーン(オーストリーの首都)への片道4泊5日の旅程だったろうか。 当時、ヨーロッパに行くには最も安価な方法だったが数日間かかった。しかし、考えればはじめての異国、広大な領土を持つ国を様々に体験した有益な旅だったように思う。 ヨーロッパの入り口 ウイーンを起点にほぼ3ヶ月、ヨーロッパ12ケ国、数十の主要都市を2~3巡回する行程は車での移動だった。 帰国後、大学の報告書のための古ぼけた下書きが2枚、3枚目が見当たらず正確な年度が不明だったが――ウルム造形大学、シュツッガルト芸術大学、ハンブルグ芸術大学、ハンブルグ工芸博物館、ベンツ博物館、トリノ自動車博物館、レオナルド・ダ・ビンチ博物館、ドイツ博物館、バウハウス資料館、バーデンバーデン州立博物館、サグラダフアミリア教会、ポンペイの遺跡・・・。
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・公募によるオリンピックエンブレムに酷似問題が・・・
コンピュータによってアイデアを求め、練り上げるデザインアプローチは、基本的な文字、レイアウトの方法、寸法、比率、色彩などのデザインの表現要素が絞り込まれる結果は、今回のように相似性をもちやすいし類似性を指摘されることにもなろう。まして、自ら求めるアイデアやイメージが重なる場合は、目にした先行作品が脳裏に残ることにもなる。 「報道されているロゴについては全く知らないものです。制作時に参考にしたことはありません」と制作者。 しかし、デザイナーであれば「見なかった」、「知らなかった」といえることでは無いように思う。 ネット社会の今、専門家であれば知らないということは致命的なこと、類似性を持ったすべてを目にしたうえで初めて自己を主張できるからだ。 誤解されないものに変え、独創性、独自性を持たねばならないことだ。 「エンブレム」と「ロゴ」・・・。意味は異なり用途も違うことにはなるのだが、組織委が国際商標を確認したのだと説明し、劇場のロゴは商標登録されていないのだとか。しかし、「2013年に公表しておりインターネット上で見つけるのは難しくないはずだ。著作権は優先される」と主張する。また、スペインのデザイン事務所の作品。配色の類似性は「恐らく偶然の一致」と、一蹴するだけでは済まされない問題でもあるが・・・。
地球規模で情報が交錯する中で、デザインや知財については特に敏感に反応する時代でもある。オリジナリテイを主張するにはそれらを知った上であえて類似作品と異なるものにする努力も必要だろうし、自らの主張を持つべきだろう。