レオナルド・ダ・ビンチ
たとえば、「モナ・リザ」をみる。と、なぞといわれるほほ笑む口もと、見つめる目・・・。
光をとらえたひたいや、柔らかくふくらむ胸元、そして、まとった黒い衣服・・・。
それらは輪郭線ではなく、光と陰影によって自然な形として立体的に、より写実的に表現するためにフスマート技法として描いている。また、背景は遠近法、空気遠近法などという絵画表現上の技法をみてとることができる。それらは、500年前にレオナルド・ダ・ビンチによって発見されたものとされている。
遠近法・空気遠近法、スフマート法の発見
しかし、遠近法については建築家でもある師ヴェロッキオもかなりのレベルで使っていたとされている。さらに、古代ギリシャやローマの壮大な建造物などをみると、それらを造りあげてきた技術などの知的遺産があったと考えるべきだろう。
彼が21歳の時に描いたとされる「1473年8月5日 雪のサンタマリアの日」とメモ書きがされた風景画には遠近法や空気遠近法と明確に見える構図どりや表現がされている。
当時は宗教画や肖像画がすべてであったから、美術史上はじめての風景画として目の前に広がる風景を描いた人物だったといわれている。
その風景画はアルバーノ山からビンチ村を遠望し、描いたものだといわれている。レオナルドらしいのは、そこに城砦のイメージを重ね、描き入れていたことだ。
生まれ育った村、遊びまわる中でもそんな思いを膨らませ、ヴェロッキオ工房での実務的な経験が描かせたものだろう。
天才と言わしめる豊かな感性と観察眼によって遠近を直勘的に見極めていたものだろう。さらに自然の物象を眼にとらえる科学的な訓練を意識したことで「遠近法」、「空気遠近法」としてとらえ、理論的に体系化したもの。「フスマート技法」とあわせて、発見者レオナルド・ダ・ビンチの名が冠されたということだろう。
「何事もよく観察し、デッサンする」
レオナルドはこのことをなによりも信条としていた。
あらゆる物象に好奇心をもち、絵心をもってみる「観察眼」には、形の構造を正確にとらえることができるものだ。私たちに求められるデザイン力の根幹に通じる特性といえるものだろう。
馬や犬などのデッサンをみても、そのための比例や、寸法がきめ細かく書き込まれている。
とくに、人体についての寸法、比率は正方形や正円といった幾何学形との相関性の研究としてしられている。それら人体の比率にもとずく建築物の設計や宇宙空間との関係性までにもおよぶものになっている。
また、人の形をつくりあげている筋肉はどのように機能し、骨関節はどう動くのかという疑問を解くために解剖をしている。人体を正確に、生き生きととらえるためにはその構造を知らねばならないと自らメスを握っているのだ。
人体についてはほぼ老若男女30体ぐらいを解剖し研究しているのだとか。この時動脈硬化などの発見があり、描いた精密な心臓や内部臓器、筋肉や骨格構造の仕組みなどのデッサンは医学的な見地からの参考資料として貴重なもの、近代医学の研究資料として役立っているといわれている。
これら人間や動物の仕組みの妙を知り、経験となった思考は、工学的な発想につながるものとしても大きいものだろう。
それらのさまざまな経験が刺激となるもの、人の感性に極めて大きな役割を果たしている、ということだ。
形あるものへの好奇心
レオナルドにとっては、森羅万象というべきなのだろう。
あらゆる「形」あるものへの好奇心は孤独だった幼児期からのものだ。「レオナルドの幼児期、理由は分わからないが正当な教育を受けていないのだ」という記述がある。またその一方では、「小学校で美術や音楽にはひときわ興味を示していたがラテン語や数学は全く駄目な落ちこぼれだった」という記述もある。
早熟な天才にとっては、堅苦しい学校教育に馴染めず、興味ひかれる周辺の大自然の山や河に遊び、学んだということなのではないか。「変わり者だったと言われる叔父が何かと面倒をみており、遊び相手になっていた」という話もある。
幼いレオナルドの好奇心に影響力をもった常人にはない「見かた」や「考え方」、「生き方」が多感な幼児期の感性を刺激していたのではないか、とも想像されることだ。
学校教育を放棄すると、独りの時間はたっぷりある・・・。
公証人で、弁護士でもある父親の文書類の文字を鏡にうつし強く興味ひかれたに違いない。
レオナルドにとっては鏡にうつる見慣れぬ形を好奇心一杯に、夢中になって繰り返し書き写した。幼児の好奇心と集中力は、独自の鏡文字として瞬くまに熟達していったに違いない!
レオナルドの遺稿として残され、びっしりと書き込まれている見事な鏡文字は、その後、成人してからのものだ。
左利きだったからという理由はあったのかもしれない、しかし印刷するためになどという理由は、それが幼児期であったことを考えれば、説明に欠けることだ。もちろん、この頃には、グーテンベルクの活字印刷機の発明(1440年頃)があり、しかしそのためにと考えるのはもっと後になってからのようだ。なによりも、その印刷機をより効率のよい可動式に改良したアイデアがあり、印刷機がそのように改良を続けていることだ・・・。
天才たちの言葉
レオナルド自身が自らを「無学の人」homo sennza tetteremと称していたと言われる。
工房の修業を終えて独り立ちし、さらなる学究を意識したときなのだろう。
「もう少し数学やラテン語を勉強しておけばよかった!」と。
彼の書斎には、関心領域を示すように多くの書籍が積み上がっており、読み解く必要を痛感したということなのだろう。
先日、惜しまれながら亡くなった今世紀の天才・アップル創業者のステーブ・ジョブス氏。
彼は退学した大学に潜り込んでまでも唯一、受講したのだという「カリグラフィー」の授業。なにか、その文字の形に魅力を感じ、喜びを感じたレオナルドと通じるものがあったのかも知れない。彼もまた私生児として生まれ波乱の人生を送っていた。
スタンフオード大学での講演では、学生に向つて「ハングリーであれ、愚者であれ」と呼びかけている。「知ってまーす」という賢者?であるより、貪欲に謙虚さをもって学べと示唆したものであろう。常人では真似ることが出来ない信念の人でもある!
「レオナルドの作品はインスピレーシヨンを呼び起こしてくれるのです。
若い頃の手稿を読み、一人の人物が自然界とその営みを通じて思いをめぐらせることの素晴らしさを感じたのです」と。
今世紀、もう一人の天才でもあるウインドウズ創業者ビル・ゲイツ氏はレオナルドのオリジナル遺稿を手にし、その感動を語ったものだ。
比べると余りにもささやかな私ごとで恐縮だが、カリグラフイー文字の書類・・・。
イギリス19世紀中頃に手書きされた文字がびっしりと紙面を埋め、流麗な曲線の大文字、小文字が見事にレイアウトされている魅力的な紙面だった!
その文字の美しさに感動しロンドンの古書店で入手していたものだ。
分厚いが小さく折りたたまれた新聞全紙大はあろう3枚が綴じられた書類を開いて見ている。
試みに鏡に映してもみた。幼いレオナルドが興奮して見つめたであろう鏡文字、その気持ちにも触れてみたいと・・・。
(10・31/2011記)