いつも意識していることではないのですが、最近の脳科学の成果は、思考する私たち
の脳の機能やしくみを徐々に明らかにしています。
左脳は、身体右半分の運動や知覚を支配し、文字や言葉、会話、計算など言語機
能を扱う能力があり、論理的思考をおこなうなど思索型ともいわれています。
対して右脳は感性的でイメージ脳ともいわれ身体の左半分の運動や知覚を支配する。イ
メージ、空間、図形、音楽、人の表情なども読み取り、視聴覚情報の総合的な把握と直感的思考などをおこなうのだといいます。
生物としてのヒトが人間らしい感性をもつための五官――眼-視覚・耳-聴覚・鼻-嗅
覚・舌-味覚・皮膚-触覚などは、外界のあらゆる情報を感受することで自らの身体を安
全に、快適に維持するために機能しています。
それぞれの器官が捉えたもの、そのすべてが直感的なものとして瞬時に認識・判断した情報データとして脳内に記憶するのだともいいます。
デザインをおこなうときも、右脳はイメージとして記憶されているデーターを直感的なひらめきをえて誰もが考えつかないアイデアを産みだすのだといいます。
瞬時に判断する力にすぐれた右脳は動物系、芸術系として左脳間との交流もつよく,蓄
積されている知識や経験など、さまざまなコト・モノを関連づけて巧みに機能しているのです。
しかし、年齢を重ねるごとに徐々に使わなくなるのだという右脳・・・。対して、左脳だけは70歳までは総合的な判断能力は形成されていくのだそうです。
わたし自身も、右脳で養ったイメージや経験も、ある種の常識にとらわれる分別くさい自我によって、左脳が優先するものになっているようにも思います。右脳的思考は、意
識し敢えて使うべきなのでしょう。
クリエターとして意識すること・・・・
私たちは、ニューロン(神経細胞)の情報処理ネットワークをどれだけ緊密にはりめぐら
せるかが脳のはたらき、発想の良し悪しを左右するのだといわれています。
デザイナーとして生きるためには自らの5官に刺激を与えること、好奇心や注意力にくわ
えて、記憶し発想する力のレベルを、さらに高める意識とその訓練が重要なのでしょう。そのことが、ニューロンの情報処理ネットワークを緊密にする、ということでしょう。早いし便利だから、と単純にコンピューターを使い、デジタルツールに依存する作業にしないことです。
自らの五官(感)を駆使した「遊び」や「実験」、実務的経験を繰り返しながら問題解
決のプロセスを経た学びからデザイン力の充実、高度化をはかること、マンネリにならない努力が必要なのでしょう。
情報化時代の最先端デザイン?
しかし、私たちは、いまだ20世紀的工業時代のデザイン、固定観念にとらわれているの
ではという考えがあります。
ユビキタスの時代、もはや21世紀なのだから新しい発想イノベーシヨンが必要なのだと
いう強迫観念みたいなものかもしれませんが・・・。
「21世紀」・「グローバル」・「高度情報化」・「科学」・「知識」・「デジタル」な
どのキーワードを冠したデザイン?になること・・・。
勿論、その資質あるデザイナーにも期待したいもの。多様なアプローチが有ってこそ、その可能性は広がるはずだからです。
しかし、まずは理論・論理的アプローチからという方法論が全てのテーマに適しているとはいえないわけで、デザイン発想の阻害要因ともなることも多いのです。
・・・・
私もよく「デザインプロセスにおいて、まずは、コンセプトから・・・」といいます。
だから左脳的・論理的なコンセプト作成からだろうということではないのです。
発想するそのきっかけは、「直感」や「ひらめき」によるものなのです。
それは幼時から培われてきた思考手段であり、眼の前にある状況を読み取り、なすべきことを直感することからはじまるのです。
これまでの我が国の学校教育は、その成果を見えるものとして考えるあまりに、左脳を刺激する教育傾向にあったようです。
デジタルツールによる教育も、まさにそのためなのでしょうが、発想し、判断する行
為は動物に共通するヒトの本能的なもの、一朝一夕に教え込むことは難しいことではあるのですが・・・。
どのような形であれ、人間としての思考のはじめは直観からはじまるのだ、といえます。「テーマを決める」とき、「結果を決断する」とき、右脳による熟考は、様々な論理的・左脳的思考をも経て「直観」し、「ひらめき」を得るようになることが重要なのです。
ヒラメキの発想―デザインは右脳思考からはじまる!
社会の成熟とあわせて、ひたすらユーザーに応えたデザインを心掛けているうちに、ガラバゴスと言われる我が国独自の進化を果たしている・・・。
先進国に習い、模倣することからはじまった我が国のデザインも、いまは、成熟過程にあります。
デザインの成熟、21世紀は知識や理論化されたデザインをと考えているものも多くなっ
ているようです。周到な商品戦略の中では、失敗を恐れるあまり委縮し、注意深くなり過ぎているともみえます。あるいは、ガラバゴス化が言われるほどの高品位のデザインレベルに、加えるべきアイデアがないと考えたのでしょうか、デジタル時代の進展するなかで、それらの感性を失った人々が増えてきたようにもみえます。
人は左脳に偏向する論理的思考も案外衆知の表現にも陥りがちなのです。
デジタル化社会のなかでは左脳がつかさどる内容が優位にあるようにもみえます。ま
た、それらの教育ゆえに、そのように思い込んでいる者も多く、独創性が育ち難いとい
う結果になってしまったのではとも考えています。
当然ながら、斬新でわくわくするような発想力は失なわれることになります。
右脳を使わなくなることが脳の働きを硬直化させ、発想効率を悪くするという悪循環をもひきおこしているのです。
直観的で、情緒的な思考力を失わせる環境であることも自覚し、自らの5官を刺激する努
力、人々の欲求にこたえるデザイン発想力を、強く意識すべきだろうと思います。
(2011/2・28 記)
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・・・・メモ:
・ひらめき―鋭敏な頭の働き。優れた思いつきや直感。
・直感ー説明や証明を経ないで、物事の真相を心でただちに感じ知ること。
・直観ー一般に、判断・推理などの思惟作用の結果ではなく、精神が対象を直接に知的に把握する作用。直感ではなく直知。(広辞苑)
●「新たな物を生み出し、すでに存在する物を再生し、未知の側面を発見し、独自の方
法でそれを比較対照する能力、すなわち、「創造力」は、芸術家や科学者、発明家が発
揮する能力の中に見出せる」(『創造力の不思議』アルベルト・オリヴェリオ:川本英明
訳:創元社)
●「左右学」ーの提唱
右と左をテーマにした様々な分野の雑学。複雑化した現代社会においては、複数の分
野を、また、全体を理解しなければ問題の解決は難しい。すべての分野に於いて大事なのは全体把握であり、トータルバランスをもった情報力である。「文系の学問は人を文
化の面からとらえようとするあまり、人が生物の一員であることを忘れてしまった」のだともいう。自らも物理学→生物学→経済学を渡り歩いたのだとか。「左脳的な発
想で作り出した人工知能は失敗」左脳だけを人類の「知」の源泉として考え、これを見
本にしてコンピュータを作り、人工知能の研究を進めてきたのが80年代までの科学で
す。ところが結局これはダメだった。人工知能は人間の代わりをしてくれないということが分かったのです。
(『左右学への招待』―自然・生命・文化 西山 賢一 風濤社)
●「いま、私が、ニッポンにいちばん言いたいこと!」
その”誕生”から”奇跡の帰還”まで、20年を超える間「はやぶさ」に携わり続けた川
口淳一郎教授が、今を変える24の思考法
1.減点法を止めて、加点法にしようーーフィギュア・スケートや器械体操は「加点
法」で採点されます。当然、難易度の高い技は高得点ですから、選手はより高度な技に挑戦しようとするのです。
2.教科書には過去しか書いてないーー「学びのプロ」が信仰する教科書には過去し
か記されていません。答えの有無すらわからないことがゴロゴロしている現実におい
て、新たな発想を提供するものではないのです。
3.教育の時代から研究の時代へーー今後も日本が発展を続けていくためには、フロン
ティアを自分で切り拓いていかねばなりません。イノベーションを引き起こし、新しい産業を育成・発展させるインスピレーション研究が必要です。
4.天の邪鬼のすすめ
5.システムエンジニアリングより親方徒弟制
6.「失敗する」チャンスを与えよう
7.スケジュールは必ず遅れる
8.トラブルは勲章と思え
9.迷うくらいなら、どっちでもよい
10.どうしたら運を拾えるか・・・などなど
(『はやぶさ』式思考法 川口潤一郎 飛鳥新社)
● モノづくりの能力は合理的になんか身につかない
人は「遊び」の中で自主的に道具をつくってきた。ものづくりは緊張感と刺激の連
続で、その中に充実感や達成感が潜んでいる。この充実感や達成感というのはスポーツ
や勝負事に通じているんだな。
そもそも、ものをつくる仕事ってのは、智慧を働かせる遊びのようなものだ。だから楽しいし、飽きることがない。音楽も絵画も料理にしても、何かをつくる楽しみは、全て
は遊びという要素につながっている。ものをつくる能力は、「遊び」といった一見合理
的でないことから育まれる。
人は遊びながら、いつしか自発的に何かをつくるという習性を、太古の昔に身につけたんだ。今までにない、まったく新しいものをつくる時には、想像力と感性、智慧、ひらめきがものを言う。・・・・ひらめきなんだ。(『日本のものづくり』岡野雅
之10/8・20/ 極細注射針の開発で‘05年度グットデザイン大賞を受賞‘05/11コラム-41回に記載)
●心身が健康であり、学力、感受性、芸術性、創造性、自立性、協調性、運動能力、社会性・・・・を育てたい親心!
乳幼児期を振り返れば、私のこれまでにおいても最も大切な時期になっていたのだと、いまさらに思うことが多くあります。
子どものうちから好奇心の赴くままにあらゆる体験をすることが出来ていた
ら・・・。今は、色々と学ばせることで、子供の能力を伸ばすべきだという脳科学者の提言もあってか、さまざまな幼児教育塾が目につきます。
やや乱立気味であるようにもみえます。親としての夢、可愛いわが子をどのように育てるのかは悩ましいことでしょう。