i-pad、そしてi-phone G4と相次いで話題の情報端末機器が発売された。
予約があるにもかかわらず一刻も早く手にしたいのだと胸ふくらませての行列、徹夜組もあって熱狂的なマック・フアンが増えているようだ。
特に、i-padは大学ノートサイズのスクリーンの広さ、何よりも指1本の操作であり、複雑なボタンもないことからユニバサルデザイン製品としてとらえられている。「パソコンは苦手ェ~」と敬遠しがちなお年寄りや熟年女性の関心を集めているのだとか・・・。
新聞や雑誌を読み、メールを打つ・・・。数万冊の本だって収蔵、携帯できると云うのだからすごい! 出版業界や書店などは、その対応に大わらわだ。
医療現場では手術中にも映像データーをまじかに見ることが出来ると重宝がられ、教育的な利用には電子教科書や参考書などと、その学習の在り方をすら大きく変える可能性など、様々な場面で使われることになるのだろう・・・。
しかし勿論、いいことばかりではないだろう、さまざまな「負」の問題が予測されるからだ!
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「カリグラフィー」に学ぶ・・・・
ステーブ・ジョブスがアップルコンピュータを仲間と創業したのが1977年、22歳の時だ。が、妥協のない独断専行の性格が嫌われ1985年には追放されることになる。
それぞれが野心家でもあろう、際立つ個性を持った若者の集団・・・。
その中でも群を抜く自己主張は狂信的なものであったのだろうとも想像される。
しかし、請われて再び復帰すると、業績不振に落ちいつていた会社を瞬く間に立ち直らせてみせた手腕・・・。エポックメーキングなデザインが話題をさらった。
そんなステーブ・ジョブスの強烈な個性、その信念から生み出された商品の1つ、1つ。そして、そのコンセプトには世界のマックフアンを魅了しワクワクさせるものであったのだといえる。
人生に目標もなく、学ぶ意味もわからなかったのだと云う大学を6カ月で退学し、しかし、18カ月間も大学にいて学んだのだと云う「カリグラフィー」の講座。
その繊細なデザインに触発されたことが、その後の彼のデザインに大いに役立っているのだという。
ところで最近は日本製品の「ガラバゴス化」が話題になっている・・・・
たとえば、日本の携帯電話は世界の携帯電話事情と関係なく、独自の進化を遂げているのだという。周辺地域から孤立した環境に順応した独自の生態進化をとげた「ガラバゴス島」とよく似ているのだというのだ。
ガラバゴス化といわれる中で、それでも高い質を要求するユーザーの心を捉えねばならないこと、失敗を恐れ、用心深くデザインの理由付けを見つけることに終始する日本企業のマーケッテイングの特性であると云える。
市場間シエア、せめぎ合う競合他社を意識し若い女性や若者をターゲットユーザーとして捉える商品コンセプトに・・・。
その方針をデザイン発想のフレームとして与えるところに問題がある。
しかも「通話するモノ」としての基本的な性能ではなく、あくまでもゲームやカメラなどを組み合わせた複合機器であり、欲望を満足させた進化という意味としか捉えられないもの。
また、過剰な機能を携帯に付加し世界の携帯よりも性能が飛躍的に向上しており、日本は世界と比べてもレベルが高いのだという思い、それ以下の性能商品が日本市場に投入されても上手くいくはずがないという縛りが、それらの問題を生み出しているのだともいえる。
常識としての方法論、金科玉条の方程式には常識を超える発想の飛躍はない!
瞬時も止まることもない膨大な時代の情報を洞察するにしても、すべてを数値化し反映する独自評価の視点を持たねば意味をなさない。
何よりも独創性を持って発想し熟考する多くの時間を持つべきなのだ・・・・
経験を経たデザイン力こそが大切にされなければいけない・・・・
単なる「足し算」的発想ではなく、生活・使用者のニーズを超えて発想される日本人の豊かで確かな感性を「ものずくり」に活かすことが必要なのだ。
かって国際社会での日本の立場はいまや韓国や中国企業にとって代わられている。
3D対応テレビやEV車、情報機器の端末など・・・。しかし、わが国の技術的優位性、品質や技術力、デザイン力などを競う強い意志の持続こそが「Made in Japan」としての評価を確かなものにする。ガラバゴス化が云われる中で形骸化した方法論、見せかけのコンセプト、環境問題などの諸条件・・・など、余りにも多いしがらみは「わくわく感」を捉えるべき発想、デザイナーの感性をも萎えさせてしまうことに。
デザイナーには一層の発想力、しがらみや常識を突き抜ける自在で奔放なアイデアを期待したい。技術の革新力、「デザイン力」こそが次代を創り、我が国存続の生命線にもなるからだ!
(2010/7・31 記)
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メモ:
ガラパゴス化とは・・・・
生物の世界でいうガラパゴス諸島には、独自の進化を遂げた生物が数多く生息する。一見グロテスクな彼らも、実は外敵の襲来にめっぽう弱く、絶滅が懸念される存在であるように、技術やサービスなどが日本市場で独自の進化を遂げて世界標準から掛け離れてしまう現象のことである(ウィキペディアWikipedia)
『ガラバゴス化する日本』(講談社現代新書)の著者、吉川尚宏氏は「日本製品の・・・」、「日本という国の・・・」、「日本人の・・・」のガラパゴス化を指摘し
ている。その製品の典型が、携帯電話。日本の携帯電話は、機能も、サービスも、世界の先端を走っているが、世界シェアの断トツがフィンランドのノキア、次が韓国のサムスン、米国のモトローラ、韓国のLGであり、日本製品はソニーが5位、シャープ、パナソニック、富士通、日立、東芝、NEC、カシオ、京セラ8社を合計しても10%程度という状況である。
高度な日本製品は、「電話とメッセージで十分」という新興国市場では、ニーズに合わず受けいられていないのだ、と云う。
脱ガラパゴスのために、日本の制度を世界標準に合わせ、海外からヒト、モノ、カネが集まる環境を整備するべきだと識者は力説している。また、英語教育などのコミニュケーシヨン能力の改善も指摘されている。
品質であることの証明・・・・
我が国のあらゆる製品、車や家電製品はもとより、自転車、車いす、サングラス、捨てられた鉛筆やボールペンなど、そのガラバゴス化故の高品質?に、使用され廃棄された後でも、アジアやアフリカ諸国などに輸出され、喜んで使われているのだとか・・・。
日本製品のすべてが優れていることの証しなのだ。
また、先日の読売新聞には、「NGOが放置自転車を悪路でも耐えられるよう改造しアフガニスタンに寄贈を続けている。自転車は同国では年収に相当する高級品、個人ではとても買うことが出来ないのだとか。保険の知識を持った数百人の小学校教師ボランティアが自転車で村々を巡り、母親や子供の命を守る保健や衛生の知識を伝えているのだ」と報じていた。