2005年もあと数日を残すだけ、今年は本当にいろんなことがあった。
旱魃や豪雨、寒波や熱波、地震、津波などのあらゆる自然災害が猛威を振るう・・・。頻発するテロや殺戮の報復・・・。1人の判断ミスがとんでもない大惨事を引き起こした。
良識を失った1級建築士が人々の不信感を募らせ社会不安を引き起こし、家族の安全が脅かされてもいた。まさに異常、前例の無いことの連続だった。
これまでに増え続けた人口は出生率1・26と過去最低を記録し早くも人口減の分岐の年に・・・。
長引く不況、閉塞感への不満は政治体質の改革を唱える政治家に託す一票となり、奔流となって永田町を変えることになるのだろう。
何かと話題に上るヒルズ族、IT企業社長は次世代のビジネスを予感してか、宇宙旅行ツアーを手の届くものにしたいと目論んでいるようだ。
数日間の宇宙滞在、数十億とも言われる費用・・・。
人間を包む最小限スペース?三角錘状のカプセルに詰め込まれることを想像するだけでも息苦しい・・・。
閉所恐怖症にとってはとても耐えられないことなのだ!
しかし、何といってもIT業界、セレブ?との格差をいやという程に見せ付けられた年にもなった。
フッと顔を上げ時計を見ると、秒針が音も無く時を刻み続けていた。
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その針が1つのメモリを通過する瞬間に、地球は太陽系の軌道上を秒速29・8キロという猛烈なスピードで飛んでいるのだという。
その速さは実に音速の88倍だとか・・・。
広大な宇宙空間を自転しながら高速で飛び続ける地球、それが、<宇宙船地球号>なのだ! いま、私は漆黒の宇宙空間を飛行している、と言う事になる。
日頃は考えることも無いが、時にそう考えると不思議な気持ちになり、楽しくもなる・・・。
わざわざ小さな宇宙船で飛び出し、<宇宙船地球号>の姿を眺めて帰ってくるのに数十億円をかけなくてもいいじゃないか!
人間は理屈をつけて自分を納得させることが出来るもの・・・。
「しあわせ」か「ふしあわせか」は自分の心が決めるものなのだ!
目先のことにくよくよせずに自らの幸せを感じ、この宇宙の旅を精一杯、楽しみたいものだ!
気宇壮大!そんな宇宙のロマンを感じながら・・・。
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この地球を宇宙船に擬えたのはあのフラー・ドームの提唱者バックミンスタ・フラーだったろうか・・・。地球資源は無限にあるものと思い、経済活動は永遠に成長拡大するものと考えられていた時代だった。’70年にローマクラブは「成長の限界」を唱え、「人類の危機回避」を探り、’72年には「国連人間環境会議」においては「かけがえのない地球・宇宙船地球号」がスローガンになっていたと記憶している。
’69年、我が国の経済白書には「豊かさへの挑戦」がスローガンになり、翌’70年に「国際万国博覧会」が大阪で開かれた。GNPが急拡大し経済発展はバブルへと向かう勢いであった。
’73年に第1次石油ショック、’79年には第2次石油ショックが相次いで世界経済を襲い省エネ運動の高まりを促すものになった。
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石油や天然資源の有限性が俄かにクローズアップされ、デザイン分野でも強い関心事にもなっていった。
当時、参加していた「産官学研究会・ゴミニテイ」(ゴミ+コミュニテイー)のテーマとして「カンコロジー」(カン+エコロジー)を唱え、カン(缶)の回収・資源化、ゴミ収集と資源化問題が話し合われていた。
各地の清掃局の「清掃課」がゴミを処理することであったのに対して、「資源回収課」へと名称を変更したのも、その頃からだった。
その研究会の中から今日のデザインキーワードとなった「エコ・デザイン」が生まれ、障害者の行動圏の拡大を図る研究から今日の「ユニバーサルデザイン」に繋がったと考えている。
いずれにしてもこの「宇宙船地球号」の限られた資源を有効に使うことはデザイン条件としても重要なものである。
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「もったいない!」という日本語がその「心」を意味するものとして世界に広がっている。
いま、<宇宙船地球号>は65億の地球人を乗せて時空間の中を飛行中、まもなく2006年へと突入することになる。
心新たにまた、宇宙の旅を楽しみたいと思っている・・・。
(Dec.29/ユ05 記)