「へェー、アイデアだよな、これ!・・・」
歩み寄って来た数人の若い男女が嬉しそうに覗き込んできた。
一人がカメラを向ける。
それを目の上に翳し、透かしてみるものもいた。
日頃よく見かける何でもないビニール袋が数十枚重ねて置かれていた。また、花を数輪挿し、花瓶として幾つかのサンプルが並べられてもいた。
「確かに、面白いね、これ!・・・」
多分、シャンプーや、リンスの入れ替え用?コンビニに置かれている少量の米を入れるパッケージ?よく見かける何の変哲も無いビニール袋だったのだが・・・。
そのビニール袋には表裏、夫々に平行線が印刷されている。
水を入れると、膨らんだ平行線がレンズ効果とモアレ効果で立体的に花瓶を浮かびあがらせてみせると言うアイデアだ。
「やられたね!これには・・・」と私もショックを受けたものです。
その表裏の平行線が合せると若干交差するように印刷されている。しかし、重ねて置かれるとそれとは気付かないものだった。
水による自立、線の拡大、屈折、線の交差で生じるモアレ効果・・・。
ただ、それだけの、一寸したアイデアがビニール袋を花瓶に変えたものです。
Gマーク審査会場(東京ビックサイト)に並ぶ膨大な製品群、テレビや車、工作機械などでは見え難いアイデアも、これは極めてシンプル、分りやすいものの例でしょうか。
ただ、念のために申し添えれば、これがGマークとして評価されたのかは私は知らない。その審査にはまた、別の条件が加味されねばならないからです。
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アイデアは「思いつき」、「着想」、「創意工夫」、「誰もが気付かなかったことに、気付くこと」・・・。
デザイン活動に止まらず、日常生活のいろんな場面でも良く使われて案外重要な事なのです。
同じ「問題」、「同じ条件」を与えられても、決して「同じ答え」では無い事を意味します。
新しい可能性、独自の着想がアイデアだからです。
ちなみに、デザインで言う、「アイデアスケッチ」はその「問題、条件」に対する「答え」の新しい可能性を探リ、記述する手法だと言えます。
デザインを学び、アイデアの開発訓練をする時、そのパッドの厚みが発想量、思考時間量を自ら実感する視覚的なモノサシにもなるものです。
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「アイデア」の発想力を持ちたい。その「発想力を学びたい!」
そんな思いは誰でもが持つものでしょう。
実は、私自身もそう思った時代がありました。
大学を終える前後、昭和36、7年の頃です。
課題に取り組むたびに発想力の非力を痛感し、「もっとスムースに発想出来たら・・・」と思う事ばかりだったのです。
まだまだ、デザイン自体がその手法を欧米に習う時代でもあり、手探りの時代でしたから・・・。
自らのデザインの独創性、アイデアを生む確かな手掛かりを持ちたかったのです。
と言う訳で・・・。
A・F・オズボーン「独創力をのばせ」、C・H・クラーク「アイデア開発法」、E・V・フアンジェ「創造性の開発」、H・R・ビュール「創造工学による設計手順」、川喜多二郎「パーテイ学」、井尻正二「科学論」等など・・・。
当時の貧乏学生は神田の古本屋街によく通つたものでした。
誰が読んだか分らない本。書き込まれた傍線や、メモ書き。少なくとも私と同じ目的で読んだものでしょうから、それすら有難いと思ったものでした。
「発想」や「思考法」、「脳の仕組み・・・」など、関係がありそうな本は結構買いあさったものです。
しかし、読めば出来るという類のものではなく科学性、論理性を学べば得られると言うものでもなかったのです。
「科学的、論理的に発想すれば、それは誰がやってもその答えになる。だから、それはアイデアではないよ・・・」と、ごもっともな意見も。
「確かに!」
その発想プロセスのはじめはを変えたり、を変えてアプローチする。だが、最終的にはそれらの問題全体を捉えたによります。
右脳、左脳に限らず、全身体で発想するのです。
独創的なアイデアのはそこから生まれるのです。
(2003/9・14 記)