音楽3

何かが降りてきて「語った」メロディ、魂をふるわす文字にはならない言葉としてのメロディ.。

メロディは『魂』をふるわせ、共鳴させてくれる文字にならない言葉、普遍的常識です。

それは感性によると表現してよいと思います。

デザインで重要な感性、広義の意味でデザインはあらゆる場面で使われ、音楽することも感性からのデザインだと言えます。さらには人生をデザインする、言い方もできるわけです。

音楽でのデザインは作曲が根っこにあって、伝達者、伝導者としてのパフォーマーによって、我々に感動エネルギーを伝えてくれます。

ライブに参加すれば会場を伝わる波動が〔うなり〕となってを揺さぶります。

ジャンルにこだわらず、それぞれの人のに響く音色や音楽は異なっても名曲としての法則は「調和」「発展進歩」されていなければを揺さぶるまでにはなりません。

受信するオーディエンスの感性はシンクロする周波数に自然にチューニングされるのです。

普段の生活の中で、突然美しいメロディが飛び込んできて感動した瞬間を味わった経験があると思います。

それは頭で受信して理解しているのではなくセンサーである耳を通して直接に飛び込んできた瞬間に、ハッとして音楽を認識するのだと思います。音楽、デザインは理屈ではなく感性の問題であるといわれる所以です。

感動エネルギーの化学変化はアートと同じで、への響き無しには語れません。

感動により共鳴した波動は、語り継ぐように、打ち寄せる波のように繰り返しを揺さぶり、パフォーマーからオーディエンスへ、インフルエンスする過程においてが自然に結びつき、一体感、連帯感を助長させてくれるのも、それぞれの感性が結びついた、感動の連鎖といえます。

感性はを外に向けて素直に扉を解放している状態の感覚を意味していると思います。そこに内なる感性、発意によってデザインの基礎条件である普遍的常識が整ったことになるのではないでしょうか。

 

日本を代表するエポックメーキングな加藤和彦が、この世を去りました。

ザ・フォーク・クルセダーズ時代からの偉大な活躍と業績は語りつくせないものがあります。

残念です。日本のシンガーソングライターの先駆者と言っても過言ではないと思います。

それぞれの時代に、エポックメーキングな音楽家が輩出されているのは人類全体をデザインする何かの力によって作用しているように思えます。

音楽全体の大きな潮流としてみるならばクラシック音楽では19世紀のリヒャルト・ワグナーが彼の音楽以前以後で、その業界に与えた影響は、インパクトは文化全体にまで響き渡りました。

20世紀の60年代くらいまではデューク・エリントンを中心にジャズがそれに変わる世界的な現象として位置付けられ、60年代以降はビートルズを含めたロックな時代だったと回想できます。

21世紀の潮流は何になるのか楽しみです。日本において応用から育ったアニメやゲームの音楽が、映画音楽と同じように世界に愛される21世紀の音楽になる日が近いと予感します。

世界中でテレビ放映されているアニメの70%近くは日本製で、世界の子ども達が日本製アニメを観て刷り込まれるように、すべてではないにしても主題曲も同じように放送されていれば自然に、母の子守唄と同じように美しいメロディが脳裏に焼きつき脳を通して心、魂をふるわせてくれると感じるからです。

理屈ではなく感性です、原理原則の根っこであり音楽の三要素であるリズム・メロディ・ハーモニーと人生論としての易学:不易、易、発展進歩に通ずる普遍的常識を実践することでメロディがその時代を映す鏡となります。

官の造った歴史ではなく、音楽史ではなく、世界規模で人々に愛される文字にならない言葉であるメロディが連綿と受け継がれてこそ、魂と魂が連帯感で結ばれ、潮流になり、メインストリームになっていくと感じるのです。

人類全体をデザインする何かとは、人々の中に存在する魂からの波動が融合され大きな〔うなり〕となり、そのエネルギーの跳ね返りが言葉を超えた意思疎通と同じように、目には見えない超大なエネルギーであると想います。 それを人は、というかもしれません。

 

作曲家もパフォーマーもオーディエンスも、すべて人間ですからの扉を開き解放した状態である感性を、この21世紀にチューニングすることで、たった一人の人間が技術・スキルを別にすれば作曲家、パフォーマー、オーディエンスとなりえるのです。

またそうでなければ、それぞれの時代のエポックメーキングな音楽・メロディは何かが降りてきて多くの人々のをふるわすものにはならないのです。

音楽における普遍的常識の感性も、デザインの根っこにあるの扉を解放した状態に自身をチューニングすることが大切です。

キーワードは正直、素直がヒントになるのではないでしょうか。

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