滞在していたサンフランシスコから、アメリカ大陸を横断し空路ニューヨークのジョン·F·ケネディ国際空港へ・・・。建築家・プロダクトデザイナーでもあるエーロ·サーリネンが設計した巨大なターミナルは建築誌などでもよく見ていたもの。飛び立つ鳥の翼のようにしなやかに伸びた優雅な造形、そんな曲線、曲面にも魅了されていた。
しかし、私にとっては初めての二ュ-ヨークはイメージしていたように直立するビル群に圧倒されるものだ。その中でも高くそびえ立っていたツインタワーが世界貿易センター。日系アメリカ人建築家M・ヤマサキ氏の設計で完成時には世界一の高さでニューヨークのランドマークにもなっていた。その展望台からマンハッタンに広がるビル群を眺め回し、要所に辺りを付けるのは私の旅のパターンだ。
しかし、その時は想像すらなかった、あの衝撃の映像――2001年9月11日の『アメリカ同時多発テロ』によって跡形も無いものになってしまうなんて・・・。いまは、「グラウンド・ゼロ」、「ワールドトレードセンターサイト」と、しるされている。
その林立するビル群の下に地下鉄が縦横に張り巡らされているのだから、こんなに便利な乗り物には違いない。ただ、それが安全快適であればのことだが・・・。1970年代当時、落書きや車両破壊、窃盗などの犯罪が多発しその温床ともみられて人々に敬遠されていたのが地下鉄だったのだ。車両の壁面を埋めて落書きがされ、つり革やシートが破壊された映像がニュースにもなっていた。「危ないよ~ぉ!」そんな友人のアドバイスも聞いていた。「ビンボー人が乗るものだよー」とも・・・。
しかし、息を詰め、それとなくあたりに目配りしながら恐る恐る地下鉄に乗り込んでいた。まさに、車内も無法地帯!落書きがところ構わず描きなぐられて異様な雰囲気だった。薄暗い車内を歩くと両側に座る人々の射竦めるような目が重なって追いかけてくる。そんな気配を感じると2つ目の駅でそうそうに降りてしまった。多分、地下鉄に乗る日本人が珍しかった、ということかも知れないが・・・。いま思えば、私にとっては貴重な体験だったといえる。
そんな地下鉄だったが、さすがに1993年に、ニューヨーク市長となったジュリアーニ氏は「ニューヨークを家族連れでも安心して過ごせる街にする!」と公約。特に、「凶悪犯罪を生み出してきた地下鉄の放置されてきた落書きや破壊行為を無くすことに着手。その結果、犯罪が激減し街の治安が回復したのだ」と・・・。
そんな取り組みに日本人デザイナーが関わっていたのだという。そのことを、私は最近まで知らなかったのだが・・・。
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ニューヨーク在住の工業デザイナー宇田川信学氏は、まず、「自らが解決すべき問題点を捉えるために地下鉄各路線の朝、昼、夜、深夜と時間帯を変えて乗り込み、車両にある客層の雰囲気を感じながら、人々の心理・行動を観察、パターンを想定しデザインすべき問題点を探り、デザインする『目的』を熟考した」のだとか・・・。
まず明るいところでは犯罪が起きにくいと考え、薄暗かった車内照明の明度を上げ、白色を基調にした樹脂素材の壁面に変更した。空間を広く感じさせ清潔な気分にさせることで不潔な落書きや損傷を激減させた。また、床は滑りにくい黒色の天然ゴム素材とし小さい汚れを目立たなくするために数種の色を取り混ぜた斑点柄の床にした。ドア横のステンレス製ポールの仕切りは降車時のバッグなどのひったくりやスリなどを防止するためで、手すりを斜めにし子供たちがはしごのように登り、降りして遊ばせないためのアイデア・・・。つり革に変えてステンレスのポールに、外されないための専用ボルトで確り固定したのだと。
スリやひったくり、落書きや刃物で傷つけたくなる心理であり、人間の性悪な面を極力刺激しない状態をつくり出すことを心がけたデザインコンセプトでもあったと言えるものだろう。
宇田川氏は「人は無意識に物の形から機能や意味を読み取る能力を持っている。
つまりデザインの力で、『してほしい行動』に人々を導き、『してほしくない行動』も防ぐこともできる」・・・と。そうして、「犯罪抑止と快適性を備えた車両がニューヨーク市の治安回復に日本人工業デザイナーの地道な取り組みがより安全で快適な都市生活のために一役買ったということになる。
「ほんのちょっとした気遣いとも呼べるデザインによって、人々の行動は大きく変えられた。デザインの持つ力の素晴らしさを思い知らせられた」とも人々に言わしめたのだ。
(2015/3・1記)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・メモ:
・H13年、ヒラリー・クリントン、マドンナなどと並び、『過去25年間で、最も影響力のあるニューヨーカー100人』に選ばれた日本人・工業デザイナー宇田川信学氏48歳。未知なる挑戦に挑む宇田川信学を支えたのは、『根気が無くなったら進歩がないよ』という溶接業を営む父親の言葉だった。宇田川の原点は、下町の町工場にあった。
1964年東京都生まれ。千葉大学工業意匠学科卒業後クランブルックアカデミーオブアート留学。アップルコンピュータ、IDEOを経て、97年Antenna design New Yorkを設立。米国ID Review賞、IDEA賞などの受賞。
・メトロカード(代金先払いカード)の自動販売機」のデザイン。英語がわからない市民、観光客でも、日本語や中国語などにも対応していて観光客にも好評。分かりやすさを追求し、画面に一度に表れる質問や指示なども一つに絞って表示。このメトロカードの高評価が今回のプロジェクト・ニューヨーク地下鉄の高評価が、現在取り組んでいるワシントンDCのプロジェクトにもつながることになったのだと・・・。
・「デザインがニューヨークを変える!」彼が手がけた券売機や車両デザインは、より安全で快適な都市生活のために大きく貢献した」と。(「われら地球人――宇田川信学」AGORA 2014/11日本航空)
・(夢の扉+ 2013年5月5日“犯罪の巣窟”ニューヨークの地下鉄を再生させた日本人~“デザインの力”で人々の行動を変えより良い社会をつくる!)
・JFケネディ空港の設計者エーロサーリネンは宇田川信学氏と同じクランブルック アカデミー オブ アート(大学院のみ デトロイト郊外にキャンパス)の出身者。その校舎建築を設計し教授でもあったフィンランド出身のエリエルサリーネンは父親。その助手時代、現代椅子デザインの先駆けチヤールズ・イームズ(34才研究生 後に教授)と合板のオーガニックイス(MOMAコンペ最優秀)の共同制作、エーロは30才だった。
・1970年代、大国アメリカ経済は疲弊しており、貧困人口を増大させていた。当時、我が国はGNP世界2位(1969年)に。アメリカを追い上げてきたと言えるが・・・。しかし、ひたすら働く人々には、そんな生活実感などなかった、といえる。
その後の石油ショック(1973年)は世界的な省エネ意識を喚起し、ガソリン垂れ流しと言われるアメリカ車に代わり小型低燃費の日本車が注目され、米国の自動車産業は壊滅的な打撃を被っての不況感が対日感情までも悪化させ、人心をも荒廃させ犯罪が多発していた。
・ニューヨーク市の治安回復を地下鉄のイメージを修復することで果たした。「Broken Windows Theory=割れた窓理論」。これは1960年代末から70年代初頭に、アメリカの心理学者フィリップ・ジンバルドー博士と犯罪心理学者ジョージ・ケリング博士が提唱した。『小さな犯罪を放置すると、やがて、それが大きな犯罪につながる』という犯罪心理学だ。
例えば、地下鉄の落書きが放置され、誰も注意をしない→ひとは、さらに、落書きをし、ガラスを割る→この位は大したことではない、と考える→次第に利用者のモラルも低下する→協力的な姿勢が失われ、さらに環境は悪化する→この繰り返しが凶悪犯罪を生み、犯罪が多発する。このことを逆に考えることが治安回復の手法のひとつ。つまり、軽い気持ちの落書きも決して見逃さないことが、犯罪の連鎖を断つことになるというものだ。
学ぶ態度!雰囲気!やる気!課題の提出などにも・・・・通じる?
・東京都の犯罪発生ワースト5
ある日の世田谷区。街頭インタビュアーが通行人にアンケートをしていた。「東京で犯罪発生件数が多い区はどこでしょうか?」と・・・。
「そうですねー、足立区かしら・・・。」そう異口同音に数人の区民がそう答えていた。
確かにそうだろうなーと、私も・・・。「実は世田谷区なんですよ・・・!」
勿論、回答した区民の反応は、「エエ・・・ツ!」
「Broken Windows Theory=割れた窓理論」の手法。不名誉なイメージ払しょくを図った足立区職員の努力、特に多い自転車盗難を防ぐアイデアがその効果を上げることに・・・。
14年は世田谷区以下、新宿、大田、江戸川、練馬、足立区は6位に・・・
ディズニーランド、日本の街路にもゴミが少ないのはその弛まない実践だろう。
・このニューヨーク地下鉄の車両は川崎製鉄製だということは、コラム-65(2007年)「新幹線・高速鉄道車両のデザイン」で紹介していた。
我が国でも新幹線や私鉄など、次々に新しいデザイン車両がリフアインされている。今回のニューヨーク地下鉄に比較することは出来ないが、しかし、決して遜色ないものだと思う。宇田川氏のように日本人的な優れて繊細な感性が世界のデザインを生み出してもいる。
我が国では、アノニマス性が尊重され、デザイナーの名が表面に出ることは少ない。つまり、世間的な名声がないと、中高生の目に触れることも無く、「憧れの職業」として飛び込んでくるものも少ない、とうことになる。
私が知る優れた工業デザイナーでも実は、「偶然に目に止まったので・・・」と、言うものが意外に多かったようだが・・・。