昭和が平成へ変わると時代はさらに複雑になり、ITによる社会への浸透が思いがけない価値観の変化をつくりだすことにもなった。
2002年度から始まった学習指導要領のもとで学んだ新世代がうまれ、その共有する体験を特徴づけるのは「ゆとり教育」・・・。
しかし、生まれ出た新人類は、これまでの人種とは少し異なるようで、その対応には戸惑い困惑させてもいるようだ。
ゆとり教育・・・
ひとが「学ぶ」ということは、学ぶ者の「主体性」がなによりも大切なこと。
「心構え」も「ゆとり」もないままに、ひたすら知識を頭に詰め込まされるだけの学習。必要と考えられた事項を暗記し記憶することが1970年代まで我が国の「詰め込み教育」だった。
疑問を持つ者も多く、そんな体験が成長期の日常だったと言う思いが膨らんだものだ。自己を見つめながら、「ゆったり」と学ぶことが出来ていたら・・・。それこそが理想であり、「ゆとり教育」を「詰め込み教育」の対極としてつくりあげられたものだったのだが・・・。
ただ、物事を暗記するだけの勉強は、とにかく忍耐力を要することであり「飽きずに学習意欲を持続させることは難しいのでは」と。 つまり、「暗記主体の詰め込み教育では積極的に学ぶ意志、創造力を育むことは難しいのでは」というのだ。
知識の詰め込み学習は一過性で、テストは一夜ずけ終われば忘れてしまうだけではないのか。
ある程度の学力の低下はあっても、子供のゆとりを増やして豊かな「心の育成」に力点をおく方がよいのではないだろうか。
主体的に学ぶ、「ゆとり教育」は、学ばねばならない教科の凡そ3割を削減し、土曜日を休みにしてはじまったものだった。
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そんな、「ゆとり」世代がはじめて大学に入学してきたのは、2003年頃からと言うことになる。彼ら世代の全てを一率に判断することは出来ないが、しかし、学ぶ基本的なモチベーシヨンにこれまでの学生との差を感じると言う声はそこここで聞かれるようになった。その原因の一つは、「ゆとり教育なのでは」と。しかし、その学力面の影響はよく聞くことだが、それ以外の部分も問題になることが多いのだ。これは、ゆとり教育だけの問題ではないと言うことであり、「豊かさ」と「情報化」、「少子化」などとの複雑な重なりが学ぶ「目的意識」を喪失させていることが大きいのだと考えられることだ。
深く考え行動する習慣がない
男女間の会話も面倒なのだと言う学生も多いようだ
自ら面倒な行動を起こさなくとも「生きていける」と考えている?
自分を見つめること、自分の「生き方」を考えることも、学ばなければならないことも、予め自らが「考える力」をもたねば理解出来ないことなのだ。
そのことも理解出来ていない「素」のままに成長しているのでは、と。皮肉なことだが、しかし、なにしろ本人自身がその事を理解出来ないのだから事は重大だろう!
最近は「学ぶ姿勢」に疑問を感じる学生が目に付く。授業には欠かさず出席するものの講義に集中することもなく、ほとんど聞いている気配を感じないのだ。まるで時間が来るまではそこに居る、というだけの存在なのだ。
見渡せば、手元に広げた紙面にスケッチをしている様子の者も多い。演習授業の課題なのだろうが、その程度のアプローチで済ませる積りらしい・・・。
想像する力の欠如・・・・
一つの答えを得るために、あらゆる可能性を列挙して見る・・・。
「あらゆる」では分かり難いだろうと具体的に「20個」、あるいは「50個」と具体的な数を指定するのだが・・・。少なくとも期待した数、あるいは期待を超える数は無い!
情報を思い返してなるべく多く記述する―足りない資料は集める― アイデアをなるべく多く発想するなど・・・。
それらの事を忍耐強く繰り返すことが、確実に自らのスキルアップになっていることを理解し、想像することが大切なのだが・・・。
もちろん、自ら努力し、失敗した結果であっても多くを学べるのだということも・・・。
「情報はインターネットや携帯」に有る。必要があれば、「いつでもアクセス出来る」・・・。「マニュアルを読めば、いま憶えなくともよい」のではと考えている。つまり自分自身の頭には考えるための情報が無いということ。繰り返し述べてきたことでもあるが、成長する過程においては極めて重要なことで幼少期から必要な知識を覚え、学ぶ方法を身に付けねばならないことなのだ。その後の人生における思考や判断する材料となるもので、そのことによってまた、豊かな発想力を持つことが出来ることになる。
単なる記憶力に頼るだけではと言われる「詰め込み教育」も、とりあえず何もわからないのでは考えることも習慣も身につかないということになる。生きていくうえで必要な知識を詰め込むこと、併せて、その「努力」や「忍耐力」も極めて重要なことだといえる。
そのことで物事について考え、対処しなければならない発想力や判断力をもち、変化する社会を生きる多くの知識や専門性を身に付けておくことが必要だろう。
(2013/2・2 記)