レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci(1452年 – 1519年)は、ミケランジェロ、ラファエロなどと共にイタリア・ルネサンスを代表する芸術家である。いまさら言うまでもないことだろうが、さらに、発明家であり科学者でもあるということが異彩を放つている。
その非凡な才能は絵画、彫刻、音楽、舞台などに止まらず、デザイン、建築、土木、地理・地質、地図、造船、流体力学、水力動力機器、織機、武器・兵器、自動車、飛行機、機械、そして解剖学、植物学、光学・天文学、物理学、幾何学、心理学、哲学、作家などにも及ぶものだから凄い!?現代社会では、それらがそれぞれに専門分化しているだけに、自らの分野の先駆者として時代を突きぬけた万能の発想力に驚嘆し、レオナルドを信奉するものは多いはずだ。

天才の原点  レオナルドはヴィンチ村の名門であり、弁護士で会計士、公証人でもあるセル・ピエロと貧しい農家の娘カテリーナの間に生まれた。
この男女二人の偶然の結びつきが天才のDNAとなって生み出されたということになる。しかし、身分が違うと言う事で生まれるとすぐヴィンチ家に引き取られている。生母の愛情を知らず成長したが、私生児であるということが多感な心を目覚めさせたという事にもなるのだろう。レオナルドに終生のコンプレックスを与え、屈折した性格の一面をもたせることにもなっていた。 物心がつき、求めても得られることがなかった義母の笑顔。普通の家族にはない不思議な感情のひだを深く心に刻んでいたのではないだろうか。その寂しさを紛らわせるように自然に馴染み、山野に育まれて幼少期を過ごしている。 草花を摘んでは色や形を観察し、巨木の精気を身体一杯に感じていたのではないのだろうか。「観察」の眼を豊かなものにし独り想像し、創造する心を育んでいたということにもなる。レオナルド独自の鏡文字も、幼児期に鏡に映る文字を真似て左利きに都合よいように書いていたのではないかといわれている。?が、天才の資質として未知の形に異常なまでに興味をもち、好奇心いっぱいに繰り返しなぞっていたのではないかと思われることだ。小学校では、絵と音楽に非凡な才能を見せたが、ラテン語や数学は苦手だったと言われている。勉強が嫌いな落ちこぼれだった。しかし、多くの天才に共通するもの、自らの興味をもったもののみに集中する資質であるといえ、常識の眼からみれば特異な、我儘な奴としか見えなかったはずだ。

工房に弟子入り
14歳まで祖父アントニオの下で育てられたレオナルドは、祖父の死後にはヴィンチ村から大都市フィレンツェにある父セル・ピエロの家に移り住んでいる。 しかし、父は何人かの愛人を囲っており、何人目かの義母や、腹違いの兄弟たちとあまり居心地のよい生活ではなかった。また、生母カテリーナは、家政婦として働いており、レオナルドとも接することになるが、母と子という関係ではなかった。『 モナ・リザ』の謎の微笑み・・・。デルに実母・カテリーナを置きながらも、理想を求めた母親像を追求していたとのではないかとも想像されること・・・。
生涯15点とも言われる絵画作品の中でも、冷たく無表情を装う女性は義母たちなのではないか・・・。レオナルドの微妙な立場を理解出来ない父親。天才との感性は余りにも違いすぎるものだったのだろう・・・。「偏屈もので気まぐれ、移り気、憶えはいいが、何をやらせても長続きしない息子・・・」とみていたのも無理ないことだろう。それでも、父親としての責任上、生きるすべを考えていたようだ。絵だけは夢中になって描き、その才能は素人目にも理解出来たものらしい。その中の数枚のデッサンを手に息子を、ヴエロッキオ(1436頃~1488)の工房に連れて行き弟子入りさせている。 金銀細工、版画、彫刻、音楽、建築などもこなす当代の売れっ子の画家でもあり、その弟子にはボッティチェリ(近代絵画に大きな影響を与えた。代表作ビーナスの誕生)、ペルジーノ、ギルランダイオ、ロレンツォ・デイ・クレーディ、ロッセリなど、この時代に活躍する優秀な多くの弟子を育てていた。 もちろん、レオナルドの非凡な能力は、やがて、親方ベロッキオを驚かせてしまったらしい。その才能に驚嘆し二度と絵筆を握らなかったというエピソードまでもあるからだ。
信頼できる弟子を得て多くの仕事を任せていたということではないのだろうか。
独立する二十歳半ばまで、経済的にも面倒を見ていたといわれている。

天才の開花
神が中心であるとし宗教的支配が全てに及び、自由な発言や発想が許されなかった中世。しかし、徐々に個性を重視し、感性の開放が新たな文化が芽生える予兆があった。万能の才を開花させる刺激的なルネサス期の土壌があったということだ。この時代、レオナルドは才人ヴェロッキオに多くを学びながらも、工房の先輩や後輩が競いあう若い才能にも触発されていたのだ。
幼児期に馴染んだ自然への好奇心、観察する力が人一倍に培われていたこと、工房の仕事は絵を描くことだけにとどまらず彫刻や家具の制作、金属の加工などをおこない、洋服をつくることなどもあって、らゆるものが課せられてもいたらしい・・・。そのことがかけがえのない経験となって、発明の動機となるもの、万能の才を開花させる手掛かりを生み出していたのではないのだろうか・・・。  (9.30/2011 記)

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