あの日からからもう3カ月近くが経ったのだろうか? 緊迫した震災の状況が連日の新聞やテレビなどで報道され、繰り返し放映される当日の映像には改めてその異常な事態が起きたことに驚かされてもいる。
三陸沖を震源としたマグニチュード(M)9.0という極めて強い地震。さらに宮城県北部などの複数地点では震度7の烈震が観測されていたが、それだけであればなんとか耐えることができたはずだ。しかし、その複数の地震に誘発された巨大な津波によって災害は想像を絶する規模のものになっていた。
東日本各地の防波堤の構造や高さが被害の大小に影響していること、日頃からの防災、避難訓練の大切さも実証されている。2度、3度と避難場所をより安全な場所へと移したことでかろうじて難を逃れたのだという中学生たち・・・。「ひたすら避難する姿を見せることが人々に危機感を示すことにもなる!」との教えを守ってもいたのだという。
事実、「まさか、ここまで来るはずがない!」「ここなら大丈夫・・・」。そう言っていた人の多くが亡くなっていたのだとか・・・。
あり得ないと思うほどの大津波は、城壁のようにそびえ立っていた堤防に打ち寄せ、2~3百トンもあろう船や車、バスなどとも押し流し呑み込んでいたのだ。
安全安心の設計
確かに設計者の想定をはるかに超えるものであったのだろう・・・。福島原子力発電所に打ち寄せる巨大な津波の破壊力はまるで爆弾でも投下されたのかと思えるほどの激しさの映像だった。
近代化をはかり、快適な生き方を得るには電気エネルギーに負うところが多いものになる。経済的な利害を含めて問題はその運用処理も関心の比重を占めるものになり、近代化をはかる中で原発の重要性と恐怖は世界に共通する問題となっている。
失敗!考え足りなかったのではと言われる原発施設の設計、安全性、管理維持・・・。
過去数百年余の災害をカバーしての設計だったということでは許されない重大な結果になってしまった。国策的ながら企業としての経済優先志向、思考停止状態での過信を生みだしてしまったのでは、とも言われている。余りにも傷口を大きくし痛ましい結果になってしまった。
「想定」を学び読み取る力
「想定」をのみ信じるあまり、「想定外」を意識することが無かったのではないか。「人間とは考え足りないもの」と知り、「失敗」に学ぶ様々な条件を確りと身体の記憶に留めおくことが大切なのだ。また、いまの試練に耐えるものとしての強い意志を持続させることこそが世界の視線に応える「技術立国」としての再評価を確かなものにすることになるのだろう。「安全・安心」をとらえる「まち」や「もの」づくりの発想。
私たち日本人は、おりおりの自然災害に見舞われながらも、森羅万象の存在や動きに注意深く触れながら生きてきた存在である。
観察し、もの事を見抜く力や洞察力などを身体に連動して考える。つまり、いわゆる五感を働かせて全身で空気感を捉え、全身で触れるという皮膚感覚の情報経験が生体に組み込まれ「想定」を読み込むこと、発想を確かなものにすることが大切なのだ。
心に刻む記憶
災害の記憶・記録―私たち日本人は、この脆弱(ぜいじゃく)な複合プレートの上にある島国。当然、その大地は揺れる。繰り返される自然災害への対応は、まだまだ安心・安全を常に保証するものにはなっていないということなのだ。
自然災害の衝撃も人々による復興力によって痛みを、悲しみ、悔しさを忘れさせてくれる。人間としての性、それらの記憶を忘れ去らせる時間であり、防災の心が失われ繰り返されることにも・・・。全てが形骸化しはじめるときが問題でもある。考え思いめぐらすことがなくなり、往々に体験とイメージ力に欠ける。過信や気のゆるみがあったのではとの反省の弁もうすれがちにも・・・。
今回の東日本・東北地方の大津波は歴史に刻まれる古く数十年、数百年という周期で繰り返されており、そのうちの何回かに1回は今回の様な連動型になっているのだとか・・・。その周期の予測から次の地震も近いうちに起こるのだと言われている。素早い対応で安全に避難する方法を日常的に意識しておくことが必要だろう。
数万年単位である地軸の変動による地球規模の災害を未来の子孫に伝えようとする試み。子孫にこの被害の教訓をどのように伝えるか、近々迫りつつある連動型の地震にはどのように備えるのかが早急に議論される必要がある。
自然災害を宿命ずけられている我が国の「生き方」の独自性を確りと考え、「幸せ」の存続が次世代の指標にもなるものだろう。
よりよい生き方を求め、安住と安定を求めて努力して来た。しかし、人間社会における安定・安住の状態に到達するということはない。人間にとっての「健全」を保つものは、常に「問題」を突きつけられる状態にあり、注意深くあり謙虚であることなのだろう。
(2011/6・1 記)
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メモ:
失敗だったという原発。その原因究明に「事故調査・検証委員会」の委員長として「失敗学」の畑村洋太郎東大名誉教授が起用された。(デザインコラム:51/2006・8 「失敗に学ぶこと」)