その頃の皇居北の丸公園には学徒援護会があり、学生たちにアルバイトを斡旋する場があった。
いまは様変わり、それがどのような建物で、どの位置にあったのかは全く憶えていない。アルバイトを求める大勢の学生、中には、たどり着いたが帰る電車賃がないと座り込んでいる者までがそこここにたむろしていたのだ。
そこには仕事の内容や期間、報酬、募集人員などが記入された用紙が張り出されており、学生は条件にあった職種を選び申し込み用紙を投函、結果を待つという手順だった。勿論、今ほどに選べるというものではなかったが・・・。
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その帰り道だった。
皇居のお堀沿いを一人で歩いていた・・・。
立ち止まり皇居門を見ると、警備の警官が敬礼する中を、黒塗りの乗用車がゆっくりと走り出てきた。その後部座席の窓越しに一人の女性の顔が見えた。
その眼が私を捉えると微笑み目を伏せるように会釈をして走り去っていった。
人影もない静かな空間、一瞬の出来事だった。
漠然と見送っていた車の女性は皇太子妃となる正田美智子さんだったのだ。
新聞やテレビで軽井沢のデートやテニスの恋、電話でのプロポーズなどと・・・。そして婚約の話題が連日のようにニュースとして報道されていた頃だった。
あの日はご婚礼の数週間前だったろうか?
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1959年4月10日・・・・・
世紀のご成婚はお二人を乗せた儀装馬車が皇居から東宮御所までの8.8キロをパレード、53万人余の人々が沿道を埋め、お祝いの旗を打ち振っていた。
そのニュースは海外にも広く紹介されていた。
そのご婚礼の中継を見るためにテレビが一挙に普及したのだと言われている。
また、相前後して幾つかのテレビ局が開局し、文春や明星、平凡、現代などという週刊誌などが誕生し、ミッチーブームが引き起こされた。
空前のテニスブームとなり、華麗なフアッションや「親しみをもたれる細やかな気遣いが・・・」と女性週刊誌。
ミッチーマネキンは、その注文に生産が間に合わないほどだったともいわれている。大企業社長令嬢としての英才教育ばかりではないだろうその心使いは、皇室の品格としても多くの人々に共感されるものだった。

皇室としては前例の無いことだろう・・・。
新居となる東宮御所にキッチンを作り、手料理やお弁当を自ら作ったりと・・・。
民間出身のお妃として時代に相応しい家庭の在り方を実践されるという大改革は皇室関係者のみならず昭和という時代をも変えるほどのものでもあった。

半世紀が経過してもそのご苦労は尋常ではなかったのだろう。
そのために目線を合わせ、目線を下げてまでも国民と共に在りたいと言う皇室の新しい時代の心でもあるのだ。
折々に思うことだが、世界のどの王家よりも道徳的であり、国民の象徴として、範となるものとして誇らしいことだと・・・。

作家/曽野綾子さんは「皇后陛下 卓抜な表現力」として寄稿・・・・
天皇、皇后陛下の金婚式、その「記念の記者会見の中で、皇后陛下はさりげなく天皇陛下のご性格の魅力を『誠実、謙虚、寛容』に集約して述べておられるが、これは時間の限られたジヤーナリズムの質問に対して、正確かつ手短に陛下の魅力をお伝えになろうとした皇后陛下の表現力の見事さでもある。
この3つは、人に幸福を与える究極の徳である。本当は誰もが備えられるもののはずだが、さりげなく3つを兼ね備えている人というのは極めて少ない。
この3つの徳は、ともに濃厚な他者との関係の認識のうえにできる。
他人を幸せにしようという本能的な願い、身分の上下なく他者によって自分は生かされているのだというという静かで確実な関係の認識、そして人はときに間違えることもあるが、多くの場合、欠点とともに十分な存在意義を備えているという信頼である」(産経新聞 4/24)
よいときも、悪いときも寄り添って生きる誠実な日本人の夫婦像を見る思いでもある。人々は支えあって生きる時代でもあったから・・・。

50年の年月は、その心を見失わせたのでは・・・・
わが国の経済成長と重なる、半世紀には世界でも有数の経済大国となった。
しかし、それと引き換えに人としての多くを失なったように見える。
あのパレードの沿道を連ねた家々の素朴な佇まいも、人々の誠実も今は見るべくもないほどに・・・。
これまでの日本人の多くは共に生きる中での常識をわきまえ、意識しながら生きてきたものだった。
しかし、自由平等、男女平等化への潮流は男性らしさ、女性らしさを否定し、これまでの社会的な在り方の基盤を失い、存続の危機をすら感じさせるものになっているように思う。
何でもありの世相、時代背景は常識という基準を分かりにくいものにしているようだ。先に引用した曽野綾子さんは、「誰が何をしようが人間の権利だという放任の時代にあって、この記者会見の内容がどれほど重く日本人の在り方を見せて衝撃的なものだったのか。それは政治を超えて政治力を持ち、道徳を超えて深い徳性を考えさせるものであった」と、その文章をくくられている。

特にここ数年来のことだが、意識してみると・・・・
『国家の品格』以来、新聞や雑誌などに「品格」とつく記事が激増していた。
『人間の品格』、『男性の品格』、そして、『親の品格』など等・・・。
品格、品性、人格・・・。勿論、誰でもが品格のある人間になりたいと思うのだろうと考えていたのだが・・・。
しかしいま、時代はその言葉を忘れていたということなのだろう?

2007年のベストセラーには『女性の品格』が200万部売り上げている。
購入者の8割が女性というデータも脅威らしい・・・。
今の自分をよりグレードアップ、キャリアアップするための品性。生き方の常識を人に指摘されたくはないが、一寸気になる!ということ。

しかし、それよりも、私にはそんな素晴らしい著者を育てたご両親、特に母親の育児力が大きいのだと考えている。
戦前、戦中、戦後の厳しい社会が影響したのだとも思える。
社会の厳しさを経て生きる人間としての強さが重要なのだ。
その母の強さと確かさは動物的な本能であり、子育てのあり方なのだとも思う。
共に生きる社会、「誰か」を意識し相手を思いやる心使いが重要なのだ!

(2009/4・28 記)

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