人間はよりよい生き方を求め、つねに新らしい変化を求める。
その「変化」の中で生まれた新しい世代によって、また「不満」が生まれ解決されねばならない問題として提起されることになる。
「要求と変化」、そして「適応」のプロセス・・・。
人間の営みはその中をえいえいと反復してゆくことになる。
デザインはその要求と変化のプロセスを可能性を求める自在な形をとりながら、しなやかに、そして確実にその機能を果たしてきた。
しかし、高成長は経済を変えるのみならず社会を変え、人を変えた。
我が国にとっての問題は経済というよりは、むしろ社会にあり人の教育にあるともいわれる。
ITの浸透、その成熟、変化の過程で高齢少子社会への移行は、ざまざまな理解し難い問題をも露にしている。
多くの識者はいま、地球規模の大変化が起きつつあり、これまでに創り上げられた人間の生き方、資本主義社会システムの根幹から見直し、より新しい「変化」、「未来」への可能性を探究せねばならないと述べている。
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「我々は未来について二つのことしか知らない。一つは未来は知りえない。
未来は今日存在するものとも、今日予測するものとも違うということである」と・・・。
世界的に影響力をもつ経営学者であり、「マネージメント」の父とも呼ばれるP・F・ドラッカーの言葉だ。
「それでも二つ、未来を知る方法はある」のだとも・・・・
一つは「自分で創ることである。成功してきた人、成功してきた企業は、すべて自らの未来をみずから創ってきた」
そう言うP.F.ドラッカー自身は『マネージメント』なるものが生まれることを予測する必要はなかった。自分が生み出したものであるからだ。
もう一つは、「すでに起こったことの帰結を見ることである。そして行動に結びつけることである」というのだ・・・。
ほぼ、毎年末に、私は数冊の経済誌を購入する・・・・
新しい年の予測、未来予測が夫々の専門家を集めて特集を組んでいるからだ。
正月の数日、それらを読み比べ、眺めながらさまざまな未来をイメージするのは楽しい・・・。
その中の一冊が「週刊ダイヤモンド/2009年の総予測」。「P.Fドラッカー『経営学の巨人』の名言・至言集より」が綴じ込みとしてあつた。
読み始めても、しばらくは気付かなかった程のものだが・・・。
そのぺージをめくり最初に眼に飛び込んできた「見えない未来を可視化するドラッカーの洞察力と先見性・・・」という見出し。
デザインの機能としてあげる「見えないものを見る。見える形にする」と言うこととも同義であると思えたからだ。
しかし、ドラッカーの言う未来を知る方法の一つ、「自らの未来をみずから創る・・・」は、そのはじめの段階においては「未来」をイメージし、一つ一つ構想したであろうが、しかし、あくまでも仮説として考えるべきこと。
その思索、行動したものが積み上げられた結果があって、はじめて「マネージメント」と呼ばれることになるからだ。
人は「現在」を行動する。知りえない未来を望むことになる。
その行動を確かなものにすべきだろうと様々な変化を読み解き、高い予測値を得て理想を、未来をイメージする。
94歳まで現役として活動を続けていたといわれるドラッカーは、「過去」と「未来」を同時に併せ持った人でもある。つまり、若い時代は先達(過去)であり、その晩年は目指した未来。その仮説的過程を経た帰結を検証しうるということでもある。その判断、可能性を見極めるのは個人の感性でもある。
繰り返される日々、生活の中にある様々な変化・・・・
その気にならなければ昨日と同じ今日という単調な生活!
しかし、その時間、実は決して同じ時間ではない!
クリエターは、その変化を見極める、個人としての感性や判断力を研ぎ澄ますことである。その能力は勿論、一鳥一石に身に付くというものではないが「意識した」日々の生活を心がけることなのだ!
様々な変化を捉えるための日常に、テーマが対象とする世代、領域の把握が有れば効果はより大きくなる。
テーマが明確であり、目的意識があればその精度も増していくものになる。
また、それらのメモは脳内にありトータルイメージとして自在に描かれることになる。
ジグソウパズルの様に、その断片を手にアプローチする。しかし、その前にその全体像をイメージすることが必要なのだ。
また、テーマによっては、それらの断片から、その集合体としての全体像をイメージすることも可能だろう。
デザインは変化を捉え、変化をつくる・・・・
社会生活の先を読み、次代への潮流を捉えることがデザインの適切な方向性を見出し得るものにもなる。
あるべき方向を見失わず、本質に触れる感性と洞察力を大切にしたいものだ。
しかし、クリエターにとっては変化の潮流を捉える感性は必要だが、多くの時間をとることは難しい。クリエターとしてのスキル、なすべきことに多くの時間を取られるからだ。
「未来を築くために、まずなすべきことは、明日何をすべきかではなく、明日を創るために今日何をなすべきかを決めることである」(P・F・ドラッカー)
(2009/2・28 記)
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’09年1月31日ー最終講義のお礼・・・・
遠方からも駆けつけてくれたOB諸君! 在学生、そして諸先生・・・。
手紙やメールでお祝い頂いた皆さん・・・。
感謝です!有り難う・・・。
「仲間に会いたくて・・・」「リニュアルしているキャンパスに関心があって、その次いでに・・・」
いずれにしても懐かしく、変わり、変わりつつある江古田の街に降り立ったことだろうと思います。
「江古田駅」、「江古田」という駅名や地名だけが変わっていないのではと思うこの頃の変貌振り・・・。
「通勤の行き帰りに電車の窓からキャンパスを見ています」というOBからの年賀状。
しかし、なかなか下車することもないのだとか・・・。
どんな動機であれ来て頂いたことに感謝です。有り難う・・・。
お会いし、お話が出来て幸せでした!
末筆ながら、皆さんのご健康、そして一層のご活躍を期待しています。
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メモ:
なにかがおかしい、「変」な時代だった!
昨年末に京都・清水寺貫主によって墨黒鮮やかに書き表されたのは「変」という一文字。
私の最終講義、「デザイン・眼と手で考えた50年」のキーワードも、「変」・・・。
デザインが社会や生活環境の変化を読み解き、変化を創るものでもあると考えるからだ!
オバマ大統領は国の「変化」を求め、「変革」を目指している。
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65歳定年
定年が定められたのはドイツ・ビスマルク時代(1860~80頃?)であり、第1次世界大戦の時代にアメリカに導入された。今日の平均寿命と高齢者の健康状態を考え計算すると当時の65歳は現在の75歳に相当する(P・F・ドラッカー)
■ ピーター・フエルナンド・ドラッカー Druker,Peter Ferdinand(1909~2005)
ウイーンに生まれ、後にアメリカに帰化
現代経営学者、経営コンサルタント、マネージメントの父、社会生態学者、「断絶の時代」はサッチャー英首相の民営化政策に動機を与えたのだとか・・・。