ひとは与えられた社会や文化的な環境の中で生まれ父母、兄弟、友人、そして、様々な人たちとの複雑な人間関係をとりむすびながら生きてゆくことになります。
もとより、本人が目標を持って生まれるわけではないので、周辺の思惑と両親の期待、幼児期、学童期、少年期、青年期と成長する過程で触れる何かに感じ、感動して欲求を芽生えさせてゆくことになります。目標を実現する嬉しさや喜び、楽しみ・・・。
しかし、また苦しみ、悲しみ、挫折がともなうものでもあるのです。
その度に目標は揺れ動くことに・・・。
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乳幼児期には両親の期待!
情操教育をとクラシック音楽が流され、バイオリンやピアノ、バレー、或いは絵画教室などでの習い事を・・・。
子供は健康が一番と野球やサッカークラブに・・・。
いやいや少しでも早い方がよいのではと語学塾や学習塾へ通わせる・・・。
最近は幼児期の海外生活体験ツアーなるものもなかなか盛況なのだとか・・・。
親の思いは大きい。成長過程で受ける教育、様々な体験の影響は大きい・・・。
よりよく生きるために学び、日々の生活のなかで生まれる疑問、その答えを求める行為が知となり行動力ともなります。なにより、その「学ぶ意味」が理解され、「学ぶ方法」が分かれば、人として生きる基本は成功でしょう。
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戦後の我が国を見るとその成長変化の激しさに驚かされます。
大衆消費社会の実現にはドイツは85年間、フランス109年、アメリカは60年かかっているといいます。日本は60年代以降に突入したと言われており、わずかに30年間、歴史的にも特筆されることでした。ただ、その変化の早さに心構えを失い、自らが学び考えるという意識を失ったように見え、短絡に「真似る」「習う」ものになったと言うことでしょう。
その社会的環境が激変するなかでの、試行錯誤教育の成果、現在ある様々な問題点の発現は全てそれらの働きかけによる結果であるともいえます。
教育は地域や国の盛衰に関わる問題でもあり、「詰め込み教育の反省」が「ゆとり教育の導入」、その反省は再び「詰め込み教育」にという迷走振り・・・。
また、教える側・教師の「人間力」や「教師力」の未熟・・・。
「教える技術」が足りないとも言われ、なにより、教える意味をすら見失っているのでは、ともいわれています。
教育者としての資質、人間としてのモラルを疑われかねない事件もあって、社会的な不信感を与えてもいるからです。
また、教育の現場には我が侭と非常識を突きつける家庭が出現し、楽しく、面白くない授業、暗い先生は要らないとうそぶく携帯依存症の生徒たちを生み出しているようです。
家庭教育の放棄?
育った時代、世代間の価値感はがらがらと変わった。
もはや、先生は教育の場で権威ある存在ではなく、競争原理と少子化社会に生徒との立場は逆転しており、戸惑いも大きい。
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「教師力養成塾」という教師が学ぶ予備校が開講されている。
真剣な眼差しで受講しているのは小学から大学の現役の教師たちだという。
そういえばかって「自己開発セミナー」「人間開発塾」なるものが話題になった時代があった。
企業人としての自己改革を目指したもの、極限状態を体験させる過酷な研修だったが・・・。
「先生は、生徒を本当に学びたいという気持ちにさせられるのですか!」と問いかける講師。
生徒の”学ぶ力”を引き出す力!それらの教え方を進学塾が編み出した授業のテクニックを短期間で効率的に学ばせるものだという。
生徒の「集中力」を引き付けること、徹底出来ることを学び、教師自らが鼓舞されるとも言う・・・。
「それぞれの先生の素養に任されている部分が非常に多かったと思う。いざとなるとそれが上手くいってない」、だから進学塾が協力するのだと・・・。
早稲田ゼミナール・教師力養成カリキュラムの教育手法は
(1)授業を始めるまでの空気感作りにある!
(2)教師のメやる気モを表現する→覇気を持って教室に入る生涯最高の授業を提供しよう(教師の魅力?)
(3)出席、一人ひとりと目線を合わせアイコンタクトを取る→全員を参加させる
(4)礼!挨拶は師弟関係?をつくる上で大切→各動作を徹底し縦の空気感を築き、
先生の教えを聞かねばならないという心構えをつくる!
(5)「オーよく頑張ったね!次も頑張ろうね!」オーバーなジェスチヤーはそのことで頑張る生徒が出るはずだとも言う。
生徒と同じ目線で授業に臨みたいと考え教壇を降りて挨拶をする教師。兄貴的存在として慕われたいと思っている。
「やるときはやって、抜くときちやんと笑わせてくれたりとか、楽しい・・・」と、言う生徒。
立場をわきまえない生徒たち、自分のために教えさせるものと勘違い、面白く、楽しい授業のみを期待する。
学校は生きるための基礎を学ぶところ、面白、可笑しく、そして楽しいだけの場ではない。
時にオーバーに褒めることも必要だろう。
が、学習意欲を引き出す指導能力は要求される。
人間として、自らが学ぶ意味を理解させること、生徒が中心の教育ではないのだ!
様々な教師がいて、その教えに学ぶこと・・・。性格の差、教え方の違いを感じ取る、その癖なども含めて、その空気を読み取る眼識を養うことも立派な勉強なのでは・・・。
先生の使命感と動機だけでは多様な性格、自己主張する生徒とどう接するのかすら理解出来ないのではとも危惧される先生が多いのも事実だろう。
が、画一的であるよりは、多様である方がよい。
一つのあり方に偏向するのは日本人の短絡な特質。
ICT革命の高度化は、ますます日本人から思考力を奪い等質化し、退化していくていくことにもなりかねないからだ!
( 29.Sep.2007 記 )
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追伸:
○早稲田ゼミナール養成塾カリキュラム
1~3授業開始前の環境づくり
・発生・表情
・授業開始の雰囲気作りなど・・・
4~8生徒のやる気を出す
・ほめ方、叱り方
・黒板の書き方
・生徒への助言法など
9~10カリキュラムの実践
・生徒相手に実践