「白い大画面とのにらめっこが続く。見えないバリアに阻まれて、筆が入らない。足が前に出ない。ニュヨークのアトリエで時間だけが過ぎていった。
『時間はどれだけかかってもいいから本当に良いものを』と言われていた。
千年残る仕事だ。絶対、代表作にしなければ。
紙を特注し墨を揃え、準備は万端・・・。
しかし、『失敗は許されない』と思えば思うほど筆を入れることが出来なくなっていた。にらめっこは結局1年も続いた。
でも、もう駄目だ。『自分には無理でしたと告げるしかない』。
年も押し迫った12月下旬、そう決意した。
万事休すと諦めかけたとき、千住の脳裏に浮かんだのは高校生の自分だったという。描くことが楽しくてしようがない、純粋な気持ち。
『絵を描ける人生がどれだけ幸せなことか。ましてこの襖絵を描けるなんて・・・』
そうかみしめた瞬間、プレッシャーはどこかに吹き飛んだ。描く喜びだけが心にわき上がってきた。
『この絵でもっと有名になりたい、評価してもらいたい・・・。そんな思いで頭がいっぱいで、手も足も出なくなっていたんですね。なんて馬鹿なことを考えていたんだろうと恥ずかしくなりました』呪縛が解けて、自然と絵に向かうことができた。
そして、なんとたった2日ほどで、横幅60メートルの画面に滝の絵の大まかな構想が浮かんだ。
『今思えば、1年間ただただ画面とにらめっこをしていたのは、禅僧の修行のようなものだったのかも。芸術の女神は僕に、ある種の修行を要求していたのでしょう』」
千住が大きな壁を乗り越えられた理由はもう一つあるのだという。芸大時代の恩師、平山郁夫先生に『どんなに描けなくとも、毎日決まった時間にアトリエに入る癖を付けなさい』と言われたのです。
以来どんなスランプの時でも、朝早くアトリエに入り、にかわで絵の具を溶き、筆を並べて描く準備だけは続けてきた」という。
「あの時、ふと心が楽になり描こうと思った瞬間、手元に筆がなければ、絵の具がなければ、絶対的なチャンスを逃がしていたのかもしれない。襖絵は完成しなかったのかもしれない」
平成16年春、6年の制作期間を経て、無事、驟光院・別院に襖絵77枚は奉納された。
「水の森」「砂漠」「龍」「滝」「波」が織りなす、深遠な宇宙・・・・。
当時訪れた取材記者を前に千住は力強くいった。『46年間の人生を費やして、ようやくたどり着いた心境です』
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取材中何度も口にしたという、『心意気』。その原点は、高校・浪人時代にあった。
千住は悩んでいたのだ。
生徒の大半がそのまま大学へ進学する付属、恵まれた環境にあった。
周りを見渡せば目から鼻に抜けるような優秀な連中ばかり。
僕には何一つ、際立って秀でたところが無い。
が好きで美術部に入ったが『僕より絵が上手い先輩、仲間がざらにいた』と振り返る。家に帰ると、早く世に出たバイオリニストの妹、千住真理子が来る日もくる日も練習に明け暮れていた。
自分の将来に向き合う時期が来ていた。
美術系に進学したい。
でも、自分に才能はあるのだろうか・・・。
慶應への推薦を辞退したもののまだ、心は揺れていた。
そんな迷いがなくなったのは、高校の教師に進められて見に行った日本画の展覧会がきっかけ。
『目にした瞬間、動けないほどに感動した。絵じやなくて、岩絵の具に感動したのです。
キラキラとした粒子が、なんて美しいのだろう・・・。
僕はこれを使って描く人生をおくりたい!』。
結局、芸大の受験には2浪した。『でも、2浪なんて人並の苦労ですよ』とさらり。
予備校でも自分より優れた人は沢山いた。だが、もう卑屈にはならなかった。
『才能なんて関係ない、兎に角、あの絵の具で絵を描きたいという心意気は誰にも負けない』と思っていた。
先日約30年ぶりに高校の美術部の仲間で集まる機会があった。それぞれが様々な職業人に・・・。
しかし、画家になっていたのは千住だけだった。
あの頃、自分には絵しかないと思っていたのはもしかしたら僕だけだったのかもしれない。『才能とは結局、上手下手のことではなく、それが無くては生きていけないという思いの強さなのかもしれません』」。 「わたしの失敗」 (1)(2)/産経新聞 ’07/8・21~22の取材記事の引用が長くなった。
しかし、このような内容は、これまでに幾つかわたしのコラムにも書いており、テーマは違ってもクリエターとしての生き方、発想は同じものである。
大変興味深く読み、改めて日本画家・千住 博氏に興味を持った。
千住 博氏については、もう数年も前になるのだろうか、白いキヤンパスを立て絵の具を流すパフオーマンスをどこかのテレビの特集番組で見ていた。
「ザ・フオール=滝」、「ベネチア・ビエンナーレの優秀賞」の制作風景だったのだろう・・・。
上部から絵の具を流し、滝を表現する・・・。
素朴?技法はあまりにも直接的なのでは、と批判的に見たものの、記憶に残る存在になっていた。
軽井沢の画廊らしき店頭、イーゼルに数点の版画が並べられてあった。それも千住氏のもの・・・。
数人が取り囲み覗き込んでいた。どうやら、千住 博氏のファンらしい会話だった。
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比べるとデザインはあらかじめテーマが与えられており、目標とし、解決せねばならない条件がある。
そのアイデア、よりよい解を得るために、与えられた時間を精一杯に使っての発想である。
寝ても、覚めても・・・。
メモ用紙と筆記具はデザイナーにとっても必須のアイテムだ!
寝るときには枕元にあり、出掛けるときは常に携帯する・・・。
絵画、彫刻の場合も例外ではない。予めこれでなければという話ではないが作家本人が「自らの可能性を求める」ことになる。
あらゆる可能性から他にない新しいテーマを追い求めることになる・・・。
大変だろうが論理的に求めるというより、自らの心に問いかけるものであり、偶然のひらめきによる場合も多いはずだ。
ただ、ひらめきはそうそう簡単に得られるというものではない。十分時間をかけた思考を繰り返し、これ以上はないと言うところまで考えてこそ、はじめて得られるもの・・・。
また、いよいよ時間がない、と追い込まれたときに「決めねば!」という意思力が働き、ある種の「あきらめと妥協」があって、テーマは決まっていくものでもある。
そこから、生涯をかけた試行錯誤の制作活動は始まる・・・。
(29・August /2007 記)
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追伸:
・千住博(日本画家・京都造形芸術大学学長)、明(作曲家・音楽プロデュサー)、眞理子(バイオリニスト・12歳でデビュー)の芸術家3兄弟を育てた千住夫妻の話は有名だが、この道、決して平たんではないということである。
何よりも本人!確りと自分自身を見つめ、自らを、燭犬襪海箸世蹐ΑΑΑΑ
・高校生の一時期、自分の将来を考える十分な時間を持つことが必要だろう。
先生や先輩、そして両親のアドバイスを素直に受け、自ら考える・・・。
自分自身を納得するために・・・。
もちろん、乏しい経験の中で将来のことがそうそうに分かろうはずもないが、何より、「自ら考えた」という経験が重要なのだ!