学ぶ心さえあれば・・・、
万物全てこれわが師である。
語らぬ石、流れる雲、つまりはこの広い宇宙、
この人間の長い歴史、どんなに小さいことにでも、
どんなに古いことにでも、
宇宙の摂理、自然の理法がひそかに脈付いているのである。
そしてまた、人間の尊い知恵と体験がにじんでいるのである。
これらの全てに学びたい」
松下幸之助
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ところでわたしは、1本の樹に興味引かれた。自然律の秩序、しかし、同じものは二つとは無い自然の造形、その多様さにも驚き、その偉大さに思いを致したものであった。
日ごろ触れる人工物とは一見対峙したものにも見えるのだが、学び、考えることは多い。
わたしの年中行事の1つにもなったこの、銀座での燦燦会展はその時間を与えてくれるものでもあった。
その燦燦は33であり、昭和33年に入学してまもないころ、初めての専門の授業を受けたときのことを思いだしていた。
ただでさえ緊張気味の1年生、突然「お前たちの鉛筆を机の上に出しなさい!」といわれたときだ・・・。
壮年の偉丈夫、皮のジャンパー、そしてズボン。
まるでカウボーイ?
そういえば浅黒い顔、漆黒の長髪は?脂ぎって、いかにもエネルギュツシュに見えた。
その大きなシルエットは首をちじめ固まって居並ぶ学生の間を縫ってだんだんと近づいてきた。
時に大きな声で怒っているようにも・・・。
それが鉛筆の削り方を見ているのだということがわかった・・・。
わたしの机から3~4本の鉛筆を掴むと目の高さで凝視するように数秒間眺めていたが黙って元の位置に戻してくれた。
芯先への角度、6角の部分へ当てる切っ先の位置、滑らかで切れ味の鋭さ、芯先の適切なとがり具合、そして、その均質なバランスの美しさをみせること・・・。
この鉛筆削りには、わたし自身も多少のこだわりをもっていたのだ!
一通り教室を見回ると黒板を背に実習を受ける心構えを話された・・・。
「鉛筆の削り方、研ぎ方1つでも重要なんだ!」と・・・。
建築家でもあるその講師には、後におずおずと差し出す学生の課題を目の前で破り捨てるという厳しい指導を受け、そんな光景を何度も目撃させられることになった。
射すくめられるような眼光には怖じけて立ちつくす、そんな緊張の時間でもあった。
いまの時代には考えられないことだが、その厳しさが有り難く、懐かしくも思っている。
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「愛国心」や「強く生きるための教育」?
いじめや高校生での履修不足、中・高生の自殺や幼児や親族殺人・・・。
なにかおかしい時代を右往左往する教育の指針・・・。
学校教育での図工が、ますます少なくなる?と聞いた。
図工などは現代IT社会の中で生きていくことに、何の役にも立たない。そう考えたということだろう?
厳しい受験競争の中で、受験科目に関係しない世界史、音楽、図工、体育などの比率を減らし、主要科目に特化する。予想される競争社会で生き残りをかけた人材の育成をと考えてのことらしい。
しかし、義務教育の中でも図工は、有一と言える「自らが考え、そして、つくる」ことが出来る科目ともいえるもの・・・。ノコやカッターを使い、釘を打ち付けて作り上げる。そこから日本人の器用さと美意識は育まれたものであったのだが・・・。
一人の人間としての完全をつくるさまざまな感性を身につけることの重要性が忘れられているのではと懸念している。
「ゆとり教育」が失敗だったと言うが「学ぶ目標」を喪失させた今日の教育環境であることをわすれているのではないだろうか・・・。
また、主要科目とは異なるが生身の「自分」というものを意識させるものとして極めて重要なものでもある。
(31・Oct/2006 記)