お笑いブームなのだという。
もう数年も前に聞いたような気もする。
はっきりと見えぬ景況感、なにかと鬱積する不満!いらだちを忘れるためなのだろうか?日々、伝えられるニュースにも殺伐とし、空しさを覚える内容が多い。
憂さを忘れて笑うしかないということなのかも知れない。

政治を語り、学問を語るお笑い界のキヤスター、コメンテーター、俳優などと活躍が目に付く。親しみと分かりやすさを謳う必要からなのだろうか・・・。
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帰宅すると、直ぐにスイッチを入れた。
黒板を背に爆笑問題が立ち、小林康夫教授が司会なのだろうか?
映像には笑顔の学生席、その一角を占める参加教授の紹介がされているところだった。
東京大学の教養学部が新入生のために主催したシンポジュームには異色とも見える爆笑問題が招待されていたのだ。
その主旨、ゲストの紹介はその始めにそれらしき説明とやりとりがあったものだろう。

10分ほどが過ぎており、そのやり取りを見ることは出来なかったのだが・・・。

笑い爆笑するなか、ひととうりの紹介が終わると、「教養について我々にも厳しいご意見を頂きたい」と小林教授。
「じゃー、ビシビシと言いますから・・・」と太田光。
「うん、受け止めてみたいと思います・・・」というやり取り、なごやかな雰囲気の中でシンポジュームは進められた。
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「大学はいま、大きく変わりつつあります。いや、大学だけが大きく変わりつつあるのではなく、誰にも感じられるように、世界中で、また、さまざまな分野で、これまで長い間、機能してきた制度的な仕組みや、それを導いてきた理念が行きずまりを見せはじめています。そして、人々は、旧来のものに替わる決定的に新しいものがなんだかはっきりとは分からないまま、日々、試行錯誤しながらそれを模索しています。知の制度の変革も、こうした世界史的な規模での変化の流れの一環である??というより、実は、高度にテクノロジー化された知の在りか方そのものが、こうした大きな変動の最大の要因なのかもしれないのですが、その意味で大学という場の原理について考えることは、とりもなおさず、人間の文化の過去・現在・未来について考えることにもつながってくるのです。」
「知の技法」小林康夫/船曳建夫編 東京大学教養学部「基礎演習」テキスト1994年の冒頭の文章から引用するまでもなく10年余のいま、その事は一層鮮明に私たちの前にあり閉塞状態にある。
これまでの理念の延長上に答えを求めようとする方法論に限界を感じ、新しい切り口に活路を求められねばならないという事なのだろう。

爆笑問題と東大教養課程のコラボレーシヨンはそんな時代を映した試みなのだろう。
選考委員久世氏の強い推薦を受けて「芸術選奨文部科学大臣賞」を受賞したとはいえ太田光、田中裕二の爆笑問題を招待してのシンポジュームには新しい時代を象徴する試みがみえるものだった。
象牙の塔で語られ、つくりあげられた権威・・・。肩肘張らずに笑いのなかで考え、問い直そうということ、開かれた大学を示すものでもある。
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「教養論」、「教養って」、「人生って何・・・?」
その手掛かりをえるために「教養人」とは、「平成日本の教養人」というアンケートから始められた。
(1)北野武(2)小泉純一郎(3)天皇(4)筑紫哲也(5)石原慎太郎、皇后陛下、養老孟司(8)桜井よしこ(9)タモリ(10)石坂浩二(11)久米宏・・・(27)立花隆、中曽根康弘、池田大作・・・(32)みのもんた五木寛之、田中康夫、長嶋茂雄・・・(41)荒俣宏、所ジョージ、小柴昌俊、竹中平蔵、ラサール石井・・・(58)さんま、王貞治、太田光、枡添要一、竹村健一、武田鉄矢、梅原猛、テリー伊藤、堺屋太一、宮崎峻、菅直人・・・。
(1000人のアンケート読売新聞調査研究本部)
表から読み取れる代表的な人物を書き出してみた。
教養とは、教養人とは何かを考えさせられる多士済々の顔ぶれ、しかし、分かりにくいランキングではある・・・。
本家、東大教養学部の出身者から選ばれた人が少ないということに首を傾げる小林康夫教授。
同じ質問アンケートがあらかじめ参加学生に課せられ爆笑問題が小林康夫、小泉純一郎、小宮山宏東大総長、北野武らを抜いて教養人1位に選ばれていたのはご愛嬌だろう。
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教養学部新入学生に配られるDVD、小宮山宏総長の挨拶には東京大学2008年までのアクションプランの初めに教育を据え世界最高の人材育成の場を提供し、21世紀の地球人に相応しい教養を身につけた世界的リーダーの育成を目指すという目標が述べられている。
「本質を捉える知」「他者を感じる力」「先頭に立つ勇気」をもち最高学府としての世界的視野を持った市民的エリートをを育成し・・・。
「市民エリート?」「地球人?」「世界のリーダー?」・・・・?!
「宇宙人?とんでもない話だ!よけいなこと、誰もあんたたちに頼んでいないよ! 」とチャチをはさむ・・・。
その最高学府としての自意識。きわめて真面目な当事者たちの苦笑を誘うが、笑い飛ばせる相手なのだ!
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西欧社会において教養cultureとは、耕す=cultivateを語源とし幅広い知識によって頭の中が良く耕され豊かで柔軟な思考を可能にすることと解釈されている。
わが国へは明治時代に輸入され「教育」と同じ意味で使われ、大正時代になって知的エリートの間で西洋哲学を中心に教養主義が流行した。
学生は日々哲学書を読み、デカルトやカント、ショペンハウエルなどを口角泡を飛ばして議論し、夜を徹して教養を高めたといわれる。
ロンドン帰りの夏目漱石などは西欧古典に通じる代表的な教養人と呼ばれていた。

時代の移る中で死語に・・・。情報化社会のいまは教養主義そのものが揺れているといわれている。
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・楽しくなければ教養じやない!
・学問は陶芸家のように自己満足をしているのでは・・・。
・教養とは引き戻す力が重要・・・。
・教養はクリテカル・シンキング、批判精神、反抗心が必要。
・教養は時代と向き合って生きるということ!
・教養は神秘を感じること・・・。
・レオナルド・ダ・ビンチの13、000枚のデッサン・世界を知る。
・教養とは生きていくための道具。
・我々はどこへ向かうのか?
・感動は学びの核となるもの・・・。
・教養は考える動機ずけを与える・・・。
・人間はイモリ以下なのでは?
(議論の中から見出された幾つかのキーワード)
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「東京大学の教養学部では『科学』と『芸術』を学ぶとうたわれており、さらに芸術について学ぶ必要がある」という学生。「日芸に学ばれた爆笑問題にお教えて頂きたい。どのように芸術性を学び、表現性を身につけるのか?」
「それが分かれば苦労はしない、ひとに受けたいということしかない」(田中裕二)
「表現は難しい、言葉の無駄を省いて・・・。伝えようとする意志が重要で相手に働きかけることが効果は大きいのでは・・・」(太田光)
「科学の神秘と芸術の神秘があり、教えたくても教えられるものではない。学生自らが科学や芸術に触れ感動して貰いたい!」(小林康夫)

教養とは・・・
・引き戻す力
・生きるための道具
・居場所を知ること
・一生の格闘
・疑うこと
・そして、問い続けること・・・

「ものすごく真剣だったネー、テンション高かった!二つの世界が違うんですね。その間には火花が散っていて、しかし、上から見ていると同じものが見えてくるんですよ!全然違う世界のものが・・・。しかしね、生き方において、真剣さにおいては、最後にどこかで同じになるんですね。それが分かったことが最大の収穫だった!」(小林康夫)

「学問の世界にいない爆笑問題などにガッンと言われると考えちゃいますね!将来のことを・・・」(学生)
「今まで両方の世界を知ってはいたのですが、その両方を並べて対比することが無かったので・・・。」(女子学生)
「やはり社会に分かりやすく伝えなければいけないとか・・・」(学生)
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日芸を中退し、目指す漫才の世界に飛び込んだ大田と田中。
「俺は習うことを信用しない」という太田。
学校教育に疑問を呈する太田光の体験的、独特の持論、口角泡を飛ばす勢いの発言には受け手も押され気味なのだが・・・。このことは、東大を中退しライブドアーを起業したホリエモンに通じるものだろう。独学者の信念、独りよがりにおちいり易いものだが・・・。
「俺は習うということを信用しない。必要に応じて、特に芸の世界で生きていくために学んだ!」という博学多識な人物である太田光の個性と生き方が際立つものであったように思う。
人々が生きる現場にいるという強み、独学ながら体験論的な発言には説得力があった。
時に駄々っ子のように挑み、否定する太田にもてあまし気味にもみえるのだが・・・。
東京大学の、小林康夫教授の「ウツワ」の大きさを感じたという田中・・・。
激変した人間社会、明日の大学教育がまさぐられるきっかけに、意義はあったのではと思う。
(july 31/2006 記)
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追伸:
ちなみに、広辞苑による教養とは・・・。
「教え育てること(cultureイギリス・フランス・Bildungドイツ)単なる学殖・多識とは異なり、一定の文化理想を体得し、それによって個人が身につけた創造的な理解力や知識。その内容は時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる」とある。
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彫刻家・画家A・ジヤコメッテイと哲学者伊原との交流を描いた著書に刺激を受けてフランス留学をした小林康夫教授。太田光に共通する感性を感じた。自分という壁を外すことが必要なのだとも言う。
テレビ感覚で授業を受けている彼らの興味を引き付ける講義が出来るのだろうか?
面白くない授業は受けない チヤンネルを即!変えるように・・・。
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コラムもどうやら節目の50回目を迎えた。毎月の終わりに追い込まれるように書綴ったものだけに読み返すと日汗が出てくる・・・。
脈絡が無い、思い違いもあるのだろう。
もっと早く書き始めなければという反省!しかし、追い込まれれば何とかなるという居直りのほうが強くなった。これも反省!

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