扉が開くと人々が押し出される。
その人波に身を任せ押されるように階段に向かう。
その端にはエスかレターに並ぶ列が連なる・・・。
ステップに立つ人は左に寄って立ち、急ぐ人を妨げないというルールがいつの間にか出来ているのだ。
話し込んでいる人も、お年寄りの手を引いていた人もそこでは前後になって昇降することになる。
人混みに紛れて列を押し出されると、嫌でもそのステップを1歩1歩あがらざるを得ないことになる。
この利用の仕方は一見合理的とみえるが極めて危険なことでもある。
特に、高齢者などは辛うじて立っている様子。注意して見ると両の手に荷物を持っている。腕に2、3個の買い物袋をまとめて腕に下げ辛うじて手すりにつかまっている母親、その横には幼児がいた。
ある調査によると高齢者の55パーセントが歩行を危険と感じ、まして駆け上がる若者の勢いに恐怖感を抱いてもいるという。
駆け上がる若者の肩に食い込むほどの大きなショルダーバッグやカバンなど。
その荷がまともに当らないまでも、風圧にすら危険を感じているとも言うのだ。
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この立つ位置は大阪では右が一般的だというから旅行者は戸惑う。
そう思って注意深くみていると、東京と大阪の中間にある名古屋では右も左もいるという按配で特にルールは無いようにみえた。
私が左に立ち、それとなく後ろを振り返ってみると結構その列は左に立っていた。片側を空けるというのは結構皆の意識にはある。
人も少ない昼下がりのデパート、まして、都市部のエスかレターだから、東京や関西の旅行者が利用していることを考えれば必ずしも客観的な話ではないのだが・・・。

しかし、このルールが当然のこととして見過ごされることになると問題は大きい。
特に、それらによる高齢者事故の報告は多いからだ。
エスカレターに適応できなくなった生体のリズム、高齢者の増加は重大な事故に繋がりかねない問題なのだ!
ときおり、当然のこととして前に立つ人を押し退けて歩くものがいる。
移動する階段の不安定さの中でますます事故が増加するであろうことが予感される・・・。
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わたしがエスカレターの片側をあけて立つという、こんな利用の仕方を体験したのは凡そ40年ほど前、ヨーロッパへ向かう途中で立ち寄ったモスクワの地下鉄だった。
「大理石造りの構内は素晴らしいからぜひ一度利用してみたらどうですか・・・」、と言うロシア人ガイドの勧めがあったからだ。
周りの利用者に習って切符を買う。
改札を通ると同じようにエスカレターの左側に立ち右側を駆け下りていく人のために空けていた事を記憶している。
一直線に地底深く運ばれているという恐怖感・・・。
かなり、速いと感じたスピードに手摺を確りと握っていた。
ホームまでは結構な深さだったように思う。

地下深いところはロンドンの地下鉄のよう、有事には核シエルターになるの?と聞かなかったが・・・。

その地底は重厚できらびやか。大理石で覆われた構内はまるで宮殿のような雰囲気があった。

当時、私は27歳。日本経済の発展期でもあり「昭和元禄」と云い、「いざなぎ景気」に沸く慌しい時代だった。心せわしく働き、皆が足早に移動していた。急いでいるのだから、特別に急ぐ数人のために譲ることは無いのだとも考えていた。
片側を空けて乗るというよりも皆がステップを埋めて昇降するのが自然なことだった。
そんな人々、企業のため、家族のためにがむしゃらに働いた人々もいまは高齢者と呼ばれる世代になっていたのだ。
*
わが国では安全性と満足できる速度として毎分約30メートルを標準として設定している。
そのスピードを利用する大部分の人は「丁度良い」と感じている。

しかし、高齢者にとっては乗るタイミングや降りるタイミングを外してつまずき転倒する事故が起こり、横をすり抜けていく歩行者に危険を感じる。
体や、荷物の接触でバランスを崩すことになるからだ。

バリアフリーとして設置された駅のエスカレターも、案外若者の階段代わりになり、単なるスピードを満足させるものとして使われかねない現状・・・。
設計の再考、利用の再考が早急になされねばならないだろう。
大惨事になって初めて再考を誓う当事者・・・。
頭を下げる場面が余りにも多すぎるように見える。
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(29 April/2005 記)

人々の生活圏が広がる中で様々な交通機関が発達した。
都市空間の構造は複雑に重なり下に、そして上に拡大し、上下に移動する交通機関が発達した。人々を入れた箱が昇降し、階段の機械化がステップに立つ人々を上に引き上げる。

エスカレターの普及は1900年パリ万博のアメリカ館にオーチス社により出展されて以降、急激に普及したと云われている。

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