テーマ「自然の叡智」「人類と自然の共生」を考えることを目指した今世紀はじめての万博は9月25日、盛況の中で閉幕した。
何よりも閉塞間のある中部経済圏に活力を呼び込みたいと言う動機が大きいものだった。
1500万人の集客を目論む、がそれでも赤字覚悟のスタートであったと聞いている。
しかし、開催185日間には予想を遥かにしのぐ2200万人超の入場があった。
1日にはほぼ12万人が入場した計算になる。
赤字どころか1兆3千億もの純益、中部圏の経済効果は極めて多きいものであったと報告されている。興行的には大成功だったのだ!
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毎回、数万人の行列が開門を待ち、なだれを打って目指すパビリオンへと走りだす・・・。
人気パビリオンの前では、またまた数時間の行列・・・。
入場者の多くにとっては難行苦行の見物になる。
百数十回も来場したというお年寄りから数十回の若者まで・・・。
そんなリピーターには数時間の行列も、そのつもりになれば結構楽しめるものだろう。
しかし、多くの入場者にとっては僅かに1日か半日で数時間もの行列だけで終わるわけにはいかない。
人気パビリオン、個別のパビリオンを諦めて広い会場をただ歩き回ることになる・・・。

限られた時間、疲れ気味の体力、多大な費用・・・。
そのいずれをも消耗しての見物でもある。
より多くを見たい、と思うものだが・・・。
何しろ行列のない所を探すことは至難なのだが、歩くことで何かは見ることが出来ると・・・。
ただただ不満、疲労感のみが大きいものに・・・。それが万博?
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ところで・・・。
そのパビリオン、全てを覆い包むのではなく中の様子を多少なりとも見せる工夫は出来ないものだろうか?
その一端でも見ることが出来れば、多くの入場者にもそれなりの満足を与え、訪れた多くの人々の記憶に残るものになるのでは・・・。
勿論、並んでも入場したいと思わせる動機にもなる。
それこそが万博の<本旨>となるものではないのだろうか!

万博不要論が聴かれる中、新しい時代の「在り方」「見せ方」が考えられねばならないのではないだろうか。
愛知から「よりよい都市、よりよい生活」をテーマに掲げた2010年の中国・上海に引き継がれることになる。

(30 Sept./ ’05 記)
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万博メモ:
万博は1851年、ビクトリア期の技術力・機械テクノロジーを結集し、国威を諸国に顕示する目的でロンドンのハイドパークで初めて開催された。
ガラスと鉄による建物・クリスタルパレスが有名であらゆる国の生産品を展示するためでもあった。
1928年には万国博覧会条約がパリで締結された。
一般博(人類の活動で二つ以上の部門において達成された進歩を示すもの)と特別博(’75沖縄国際海洋博、’85筑波・国際科学技術博など)と大きく二つに分類され、5年周期で開催すると定めている。
我が国は ’65年に加盟し、’70年に「日本万国博覧会(大阪万博)」を開催した。
’64年には第18回「東京オリンピック」が開催され、東京?大阪間の新幹線が開通していた。また、GNPを世界2位へと押し上げた「モーレツ社員」が流行語となり「カラーテレビ」や「クーラー」、「マイカー」が新三種の神器といわれた時代・・・。
まさに国威発揚、産業振興を目的としたものでもあった。
「自然の叡智」を、「自然との共生」をテーマとする今回の万博は’97年にBIE総会で愛知県瀬戸市に決定していた。
しかし、予定された「海上の森」には絶滅を危惧されるオオタカの営巣地が確認され急遽主会場を近くの長久手に変更せざるを得ないというハプニングもあって、時代性を垣間見せるものとなった。

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