ITが確実に人々の中に浸透し、わたしの周辺でも殊更に意識されたものになっている・・・。
勿論、地方の町や村、そして世界の情報の多くを眼にすることが出来る時代がそうなんだというわけなのだが・・・。
しかし、その進展は我が国の少子高齢社会の中で能力主義という一元的な価値観によってヒエラルキーの崩壊を生み、世代を繋いで受け渡されるべき知恵と生き方の伝承を失なわせ寸断してしまったのだ。
それら、ひと社会の仕組み・・・。
その底辺に在る見えざる連鎖反応が何か不思議な現象を引き起こしているのだ。
そう思える出来事が余りにも多いように思う。
これまでには考えられない犯罪が其処ここに起き、理解され難い異常が若い世代によって生み出されてもいる。
恐怖感や罪悪感をすら感じないゲーム感覚の衝動と単純さなのだ。
これまで私が受けたショックは精神的なダメージはあっても理解できるものだった。ひとの道、神を畏れる心がその根底に見えるからだ。
今の大人たちは、幼時より何かにつけて「バチ(罰)が当たるぞ!」と親に言われ、近所の老人に怒られた。
ことの善悪は、ことあるごとに教え込まれていたものだったのだ。
しかしいま、まさにIT化の中に育った人々の中には大脳を構成する神経細胞をも麻痺させ溶解させているようにみえる・・・。
「人がもつ感情」を失っているのだ。
もう十数年も前になるのだろうか・・・。
名古屋での「世界都市産業会議」???21世紀へ向かう中で新たな情報産業の可能性を探るものだった・・・。
「所詮、ひとはバーチヤルリアリテイの中で生きることは出来ないのですから・・・」と笑顔で話した研究者の言葉。
「そうなんだ!」と、うなずき共感した気持ちはつい最近まで私の脳裏にあった。
しかし、いまはそのことを疑っている・・・。
ゲームソフトから抜け出せない若者がいる。
現実の夢に破れ、ゲームのキャラクター、自分に都合の良い従順な女性と脳内結婚し子供をつくるのだという。
望む理想の脳内家族の誕生!宇宙食?アキバ系の桃源郷・・・?
ここ数回のコラムを書いているとき・・・。そして理解し難い事件の重なりに触れて、何か不思議なものを感じていた。
そういう思いを持ったとき、そのような内容の記事がおのずと眼に飛び込んでくるもの・・・。
丁度、デザインアプローチでキーワードを与えられたときのように・・・。
これまでにも幾度となくその様な経験をしている。
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6月2日の読売新聞夕刊には作家 五木寛之氏の「人間味失うデジタル化」という文字が眼を止めた。
中高生記者のインタビューに答えた記事だった。
「ロスト感の喪失こそが今の日本社会だ」という。その言葉の意味が分からないのだとか・・・。
・・・・五木さんは「ロスト感の喪失」という言葉で今の日本を表現していますが、これは何を意味しているのですか。
「たとえば、悪質で信じられないような事件や、大事故が起こっても人々は余り大きなショックを受けなくなったような気がするんです。今は、いろんな信頼が薄らいでいる。『信頼が崩れ去る』ことそのものがなくなっています。『まあ、そんなこともあるかもしれないな』というふうに。世の中をどこか冷めた目で見ている。
ある意味では、無感動で、心がプラスチックみたいに・・・。それを僕は喪失感の喪失、ロスト感の喪失と言っているんです。本当に失いたくないものを、今の人たちが持たなくなっているのではないでしょうか」
・・・・その原因は何だと思いますか。
「世の中がだんだんデジタル化されているでしょう。能率が上がり、便利になっている。しかし、一方でどんどん人間味を失っていく家族とのだんらんや、友情とったものがだんだん薄れている。問題なのは人と人とのつながりを失いたくないという気持ちがなくなることではないでしょうか」
・・・・では世の中で必要とされているものは何でしょうか。
「たとえば、阪神大震災の時、ボランテアの人たちが活動して、感動がありましたよね。経済的破綻とか、大凶作とか言う刺激モがあって、人々が何かを失って初めて本当に深い愛をしると言うことがあります。本当に悲しんだことが無くて、本当に喜ぶことは出来ない。その存在が永遠で無いからこそ、惜しいと言う気持ちになり、それが愛する事になるんです」
・・・・ところで夢を持てない子供が増えていますが、どう思いますか。
「将来の夢があって、本人は一生懸命努力を続けていても、どうしてもダメと言うこともあります。才能だって恵まれている人と恵まれていない人がいるでしょう。
それは仕方が無い。運と言うものです。
人間とは不平等なものです。だから何か夢を持っている人に、強く願えば必ずかなうとか、そういうことは言えませんね。夢に保証を求めてはいけません。それよりも、夢を見ることが出来る、と言うのもひとつの才能、個性なんです」
・・・・独特の考えのように思いますがどこからそのような考えが生まれてきたのですか。
「それはやはり僕が、努力いかんにかかわらず挫折したことがあまりに多かったからでしょうね。朝鮮半島で敗戦を迎えた僕は難民になっちゃった。
大きな歴史の中で、国の運命と共にほんろうされた後遺症かもしれません」
・・・・私たちに、メッセージなどはありますか。
「あまり他の世代のことについてとやかく言うつもりはありません。
ただ、挨拶だけはしっかりしてほしい。相手に敵意が無いことを示すから。
あるいは、ご飯を食べるときに『いただきます』と。相手が誰と言うのでもなく、感謝の心をもって食べるということです」
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インタビューの終わりに「独特の考えの様に思うのですが・・・」と、言う中高生記者、その興味深いコメントも記しておきたい。
・確かに夢が無い若い人が多いかもしれません。しかし、そんな中でも頑張っている人がいることを、大人も忘れないでほしい。私は夢を見つつも現実も直視し、きちんと将来の夢をかなえたいと思います。(中2 生能菜優)
・「心のデジタル化」。信じたくないけれど、当てはまる気がします。人とのつながり方を改めて考えさせられました。五木さんの意見は、大半の大人の意見と正反対でとても新鮮でした。(高1 江原桂都)
・五木さんは「夢はどんなに願ってもかなわないこともある」といいます。はっきり物事を述べる五木さんに、私は励まされました。夢をかなえるには、才能と努力が必要。私は私を信じて生きていこう、と考えさせられた取材でした。(高2 峰ゆかり)
・五木さんは「人にはそれぞれの経験があって、そこから得たそれぞれの考え方がある」とおっしゃいます。五木さんの独特な考え方をお聞きした、貴重な取材だったと思います。(高2 足立治朗)
若い記者、何れもが五木さん独自の意見だと思っているようだ。
しかし、私には理解でき、強く共感されるご意見であったと思っている。
まさに、その渦中にいる若者には「そのこと」が見えないと言うことなのだろう・・・。
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ちなみに、五木寛之氏のプロフイールを記しておきたい。
1932年生まれ、早稲田大学文学部を中退。67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞受賞。『さらばモスクワ愚連隊』『生きるヒント』翻訳に『かもめのジョナサン』『リトルターン』など、吉川英治文学賞、菊池寛賞なども受賞。
(June 29/2005 記)