20XX年、第5回 軽井沢セミナーが始まった。
参加者は例年どうり1年から4年までの100余名・・・。大学院生も3,4名が参加していた。
博士課程の1人はそのことを「博士論文」に纏めるのだと張り切っている。
各自がテーブルの周辺を整えるとおもむろに取り出したモバイルを卓上に置く。
皆と声を掛け顔を合わせることもなく発表されたばかりの「テーマと条件」を打ち込む・・・。
今回のテーマについての「解答」をアウトプットするのだ!
『その可能性はおおよそ15、983コデス』
「ウウ~ン、じゃー取り敢えずその中から上位の100コほどをアウトプットしてみるか」
『ハイ!分りました、おおよそ40枚になります』
「40枚・・・! ところで、『アイデアも多いほど良い』と言っていたな」
「ウウ~ン、ギリギリだなァ~、じゃー200コ程にしとくか・・・。」
「80枚かァ・・・」
「まあ良いだろう・・・。アウトプット!」
『了解! アウトプットに23分掛かります・・・』
「取り敢えずこの中から1コを選んで4枚にプレゼンだ!」
「200コかァ~、結構あるなあ~・・・」
「条件は・・・」
「機能的で使いやすい・・・」「何だ、どういう意味だっけ?」
「『機能的』って何だっけ?」
「ものの働き?。良く分らンけど・・・」
「ま、いいッか! どうせコンピュータがやるンだからァ・・・」
「これか? それともこれぇ~?」「これもあり?かァ・・・」
「ウウ~ン ヤバイ! 分らン! こんなに有るんだ!」
「考えるとイライラする、もう!」
「そのシーンが浮かばないんだから、決められないよ!」
「そうだ! 鉛筆だ!」
「20年前には結構流行ってたらしいな~」
「その為に1本持っていたっけ・・・」
「転がして決めようッと!多分どれも同じだろ・・・、分らんけど・・・」
「転がして数を出しても面倒だから・・・。そうだ!目をつぶって1枚を取り出して・・・」
「その1枚に鉛筆を放り投げて選ぶかァ・・・」
「ァ、コレかァ!」
「いいのかな~、考えても分らん! コレだ、コレにしようッと・・・」
「しかし、待てよ!」
「こんな事で苦労するくらいなら・・・。コンピュータに1コを選ばせたらいいんだよ!」
「そーだよ、ナーンダ簡単なことを忘れてたな!」
「ウウ~ン、分らんがコレだろう・・・。コンピュータが選んだんだし・・・。
間違いないッ! 俺より確かだよな・・・」
「プレゼンは4枚かァ~」
「レンダリング?手描き?何時もの授業ではCGなのに何故ェ?・・・」
「最近、描いた事も無いしナー」
「レイアウトを考え、レンダリングはなるべく大きくなんて・・・。
そんなこと言ってた先生がいたらしいけどナ・・・」
「『美意識』を持って、『手を使って考える』なんて事もネ!」
「手で考えるって? そんなこと出来ねえよ・・・」
「『美』って? みんなの勝手じゃん、関係ないよ!」
「ところで『レイアウト』って何だっけ!」「何でそんな面倒くさいことやんなきやァいけないんだよー」
「もう出来ちゃったな~。大分てこずったけど、こんなンでいいかッ!・・・」
「描けないし余り描いた事もない。必要ないもんナ! いまどきCGでやればいいんだから・・・」
「3泊4日など長すぎるよナァ・・・」
「しょうがない、時間まで2,3日ある」
「昼寝! 散歩やショッピングと行きますかァ~」
「初めの頃のセミナー、なんであんな苦労をしてんだ! ご苦労なこった!」
「あんなバッカ見たいに頑張って、要領悪いよな・・・」
「最終日の朝7時が締め切りだなんてョ・・・」
「面倒だから講堂に並べて出かけよう・・・」
「オイ、オイ、オイ・・・」
「もう皆、出してるよ~」
「こいつは84枚枚、こいつ44枚・・・」
「ウワー、こいつ頑張ったナー444枚・・・。さすが負けん気・・・」
「ところでどんなデザインだ?・・・」
「あれッ!俺と同じだ!」
「あいつは・・・、同じ?・・・」
「アレッ!! 同じだョ・・・、皆!」
「と、言うことは間違っていなかったと言うことだよナ、俺・・・。」
「良かったァ~、皆と同じデザインで!?」
取り敢えず自分!自分の能力を研ぎ澄ますこと・・・
「来年のセミナーは日帰り?」
「うん、多分ナ・・・」
「先生だけが行って俺達はデータで送れば・・・」
「先生が軽井沢で受け取る・・・?」
「コンピュータがデザインをしてくれるんだから同じものを送っても仕様がないんでは・・・」
「それもそうだょなー手描きのレンダリングなんて時代遅れだし・・・」
「無駄だよね、時間!もっと楽に出来るのに・・・」
「誰か人数分を送ったら?」
「そうだよ、何も皆で苦労すること、ないじゃん!」
「皆んなが、1番を選ぶから、同じになるんだシィ~」
「違う順番を選ぶようにしたら・・・」
「1番を外すとみすみす1位にはなれないしナー、辛いところよ!」
「コンピュータ時代にこんなセミナーかょ~、やめたら・・・」
「意味無いじゃん!うちらの大学遅れてるよなー」
「なんで、いまもやってんだ・・・??」
「それより・・・。コンピュータでデザインなんて・・・」
「誰でも出来るんだヨネ?、小学校からヤッテんだから今は・・・」
「俺たち、コンピュータに頼っているだけでは駄目だよネ~、きっと!」
「プロのデザイナーになるんならネ!」
「コンピュータやロボット・・・!! しかし、人間が何をやればいいんだ!」
「何が出来るんだョ!!」
「取り敢えず、自分!自分が持ってる能力を最大限に生かすことじゃないのか・・・」
「コンピュータやロボットに負けない能力? 俺が・・・」
「そーダヨ、その『能力』を使わない、だんだん駄目にしてるンじゃ~」
「そう言えば、ぜーんぶコンピュウター・・・」
「自分で『考える』なんて思わなかったもんナァ~、面倒くさくて・・・」
・・・・・・・
「おお???い、おまえ、大丈夫か! 寝てて・・・」
「・・・・? もう出したはず・・・。アレ夢を見てたんか!ヤバア・・・」
「今夜も徹夜、頑張るぞ~!! 締め切りは朝の7時だからな・・・」
(30 june 2004)
追伸:「自分を知る」ために学ぶこと・・・
コンピュータの革新はまさに時進日歩?一体どこへ向かうのか、どこまでやらせるのか・・・。
人間のもつ好奇心は未知へ向かう・・・。
ただ何よりも過渡の自由、国・企業間競争の果てにはどの様な生活の姿が現われるのか・・・?
「より良い生き方」を求める人々の期待感・・・。しかし、それ故の不安も大きいのだ!
この事は、何人と言えども確かには予知出来ない未来の世界だから・・・。
勿論、その情報化社会へはまだまだ緒に就いたばかり・・・。壮大な人類史の過程では僅かに1点の刻みを印したに過ぎないものだろう。
「20XX年の軽井沢セミナー」は、そんな時代の兆候を夢の中に比喩したもの・・・。
辻褄が合わないことも夢、許されるのではという計算もある。
「筋力に代わる機械」、「知力に変わるコンピュータ」という図式に何か教育自体の、人の退化の予兆を見ているからである。
20XX年の夢には「学ぶ」こと、自ら「考える」ことをしなくなった学生、知力を失っていくものの心の機微を表現し切れていないが・・・。
ある用途、目的のためには多分、はるかにコンピュータは優れている。そのことは明らかだろう。
しかし、人は人間として持てる能力を、たとえ効率は後れを取ろうとも「学び」、「考え」、「決断し」、「行動する」生き方が重要なのである!!
ところで最近、「手で考える」と言うことを「遅れている!」と考える人が多くなってきた。
「スケッチ」もいらない、「図面」もCGで良いのだと言う。
まして、「モデリング」などとも言うのだ・・・。
そんな短絡な発想がデザイナー感性のみならず、人間としての能力を失わせている。
教育は企業的な効率を求める事ではないからだ!
人間という「生体」は、あらゆる刺激を受けて思考力や感性を鋭敏にし、熟慮し得る知的能力を完成させている動物であることを忘れては無いのだろうか・・・。
「孤族化社会」の中での情報生活の浸透は目的特化した偏向教育と重なりまさに「バーチヤル新人類」を生み出す「素」になっているのだ!
自分が自分の為に求める・・・。その「意志」が学ぶ動機として何よりも重要なのである!!
ただ、与え続けることが教育だと思い込んでいる「マニュアルセンセイ」が増えている。一方、その事を上手くやり過ごし、ただ逃げ出すことに汲々としている学生が更に増え続けてもいるのだ・・・。
夢の中でのコンピュータ、ロボット依存症の軟弱学生は夢の中に描くだけにしたいものだ!
(19 july 2004 記)