このコラムの連載を始めた頃、2回目にノーベル賞の田中耕一さん、3回目にはあの青色発光ダイオードの中村修二さんを取り上げた。
発明家としての共通する資質、しかしそれとは対象的に見えるお二人の性格や生き方・・・。
大変興味深く思ったからでした。
そして、前回のコラム(20回)では、その日本人像に実は田中耕一さんを重ねていたのでした。
「己の善を語らず・・・」極めて日本人的な特質です。
俺が、俺がと自己主張をせず至って謙虚なのです。
他人に対しての細心の心配りはいかにも「人の和」を大事にもしているのです。
「研究仲間がいて今の自分があるのです」と感謝の気持ちをいっぱいに表現もしています。
一方の中村修二さんは、発明後、直ちにヘッドハンテイングされたアメリカへ移住し対価を求める裁判をはじめている。
多分、逆境と孤立無援の中に「独り取り組んだのだ!」という強い想いがある。
これまでの日本的な通念からは理解され難いのだが、意志は強固なのです。
そして裁判闘争で勝ち取った発明の対価は200億円!
凡の予想をはるかに超えたもの、わが国産業界には大きな一石を投じたことになりました。
田中さんのノーベル賞の発明は企業特別報酬として1千万円。
およそ2000倍の開きと言うことになります。

国際コンペに挑戦したこと
 発明の対価?個人の知的所有権?は大学における教育とは無関係ではなくなっています。
学生のあらゆるものにも知的所有権が発生するというのです。
しかし、現実に大学で、その授業の中で権利者を特定すること自体、判断が極めて難しいのです。
まして何がしかの金銭が絡み、自己主張が絡むと相互の信頼関係をすら失いかねないのです。
極論すれば授業として成立しない事にもなりかねないのです。

かってクラス単位で数回の国際コンペに挑戦したことがありました。
コンペへの参加によって世界のプロ、アマを問わない競合と自らが求めたモノとの比較が出来ることがいいのです。
テーマによっては、その教育効果は極めて大きいのです。
「個人で参加したら・・・」と薦めるのですが、課題と並行しては中々難しいというのです。
という訳で、演習としてチャレンジすることになったものでした。
チャレンジはまず、テーマに対する理解、解釈が重要になります。
出題側の要求条件を十分に咀嚼(そしゃく)もしなければなりません。
解決の可能性を浮かびあがらせ、微かだが最初のビジョンによって解決、可能性への指針を持たなければならないからです。
また、一体何人の人数でテーマにチヤレンジするか?
専攻生26,7名を1グループというのではさすがに多過ぎるでしょう。
意思の伝達も難しい。
テーマによるが3,4名でしょうか。多くても5,6名がせいぜい。
つまり、グループ全員の分担による調査、デスカッション、相互の触発し易い人数なのです。
そんな5~6グループによるプレゼンテイションがクラスとしての刺激的に機能し合うものも学習効果をあげます。
限られた演習の時間がグループ夫々の異なる方向性、可能性を比較する効果やアイデアの比較、グループ相互に触発しあうものになる。
問題の解釈、理解が深くなり、そして広くなれば当然独自性、独創性の芽も多くなるのです。
理解が狭く短絡なものであれば余り独創性が高いものにはならない。
意見を交わしお互いに足りないものを補い、独自性を発見する。
グループワークが進み締め切りが間近じかになる。と、そのグループの連携は見事なものになってきます。
その効果の体験はグループが次にやるべき事を理解し各自の勘を鋭く研ぎ澄ますことにもなるのです。
兎に角、プレッシャーの中でやり終えたときの達成感、その体験が貴重なのです。
まして、入賞となれば「サイコー!」と言うことになる。
賞金を手にする喜び!そして、人が変わる・・・。
「あれは俺のアイデアだった・・・」、「一人で頑張ったから・・・」、「一人でやれば賞金は分ける必要がなかった」と言う論法なのだ。
そして、翌年からは一人でチャレンジする・・・。しかし、残念ながらその後入賞したという話は聞かない。
多くの場合はアイデアにつまって応募すら出来ずに放棄してしまうからだ。
グループだから入賞した、と考えるべきでしょう。陰に陽に仲間と影響しあった効果なのだと考えるべきなのでもあるのでしょう。
グループ相互の責任分担は良い意味でのプレッシャー。
1人の身勝手で「駄目なら止めちやう・・・」という安易さ、気楽さは否定されることになります。
独りでは気付かなかったことにも気付くこと、気付かされることが多いのです。
調べる範囲を分けあえば知識量は数倍に拡大します。
「ブレーンストーミング」がそうである様に、仲間のアイデアのヒントで次のアイデアを生むのです。その連鎖効果・・・。「つまりそれが能力の拡張にも繋がるものなのです。

勿論、決して独りの挑戦を否定するつもりはない。むしろ奨励したい事なのです。
しかし、独りでそれらの事をやり通すには、強い信念と高度の能力を必要とするのだと言う事です。その孤独に耐える気概が必要なのです。
(26・Feb,’04 記)

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