「マニフエストについてどう思いますか?」
「マニフ~ぇ・・・」、マイクを向けられた大物政治家。
「マヌフエ~、エ!なんだ、そりゃー・・・」と、息を呑み目をむいた・・・・。
自民党と民主党、2大政党が競い、総選挙前の論戦をそこここで繰り広げていた、
つい先頃。「マニフエスト」がはじめてマスコミに登場し数日目になるのだろうか。
カタカナ語・・・。次々に生まれる新語、造語、略語・・・。
関係ない、とやり過ごす訳にはいかない時代でもある。
「意味が分からない」、「文意が分からない」、「会話にすら入ってゆけない・・・」
まして専門領域になると、それこそ「話にならない」と、言う事になる。
専門家としてはかなりのダメージを受ける。
カタカナ用語の氾濫。その使用には、「言い換える必要があるの?」、「分かり難いのでは?」などと、かなり前から社会的な批判もあった。
だが、一向に少なくなる気配はない。
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先日、偶然に開いた本に「カタカナ白書」と表題が付けられたコラムがあった。
「役所の白書の季節である。国際化を反映して外国の言葉をそのまま使う片仮名が急増してきた」、「漢字、平仮名に加えて片仮名を持つ日本語は、外国語の導入には実に好都合だ。いちいち翻訳する手間がかからない。それに、片仮名の新しい語感を好む国民性もある。しかし、それらは十分消化されているのだろうか?」(朝日新聞 ’88・8・24日付)
更に88年11・26日付には「もう少し工夫の余地はありはしないか。カタカナはんらんの文章を読むたびに、そう思う。『最近の文章はカタカナだらけで意味不明』という苦情は以前からあるが、一向に減る気配はない」と。先ほど私が書いた様な文章も・・・。
勿論、読売新聞も毎年のようにこの事を取り上げ、大きく紙面を割いた特集を組んでいる。
そのカタカナ語を日本語として翻訳させる識者数名への試みもある。
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「用語」や「ことば」の意味・概念が、微妙に広がり、変化している。
人々の求める中で進化しているのだとも言える。
しかし、また<カタカナ>で表現すると・・・。途端に、新しく先端的でもあるようにも見えてくる。
だから使う・・・。そんな類のカタカナ語も少なからずある。舶来ものに弱い、我が国の特異性だろうか?
欧米や周辺学問を直輸入、自らのものとして「使う」ことも多いように見える。
新しい「コトバ」を使い、あたかも新しいものの様にも見せる・・・。
そんな紛い物も結構多いのでは・・・。
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周辺にある新聞や雑誌などから目に付いたものを任意に拾い出してみた。
サンプル、カテゴリー、ヒアリング、チヤネル、インタラクテイーブ、ニーズ、ウオンッ、シュミレーシヨン、インハウス、コンセプト、インパクト、クリアー、マーケッテング、マネージメント、データー、キヤンペーン、キーワード、フアイリング、サイン、オブジエ、シフト、プロセス、アプローチ、アイテム、アイデンテイテイ、アメニテイー、アナログ、デジタル、メディアリテラシイ、インターネット、イントラネット、インフラ、マインド、アメニテイ、グローバル、スタンデイングポジション、コラボレーシヨン、コンテンツ、シフト、システム、タスク、トレンド、ノーマラゼイション、モデル、バリアフリー、ユニバーサルデザイン、スキル、ブレーク、プレゼンテイション、ホームページ、モチベーシヨン、ブラックボックス、クリアーボックス、ロイヤリテー、ポジション、プランニング、ライフライン、レシピ、バックアップ、エンドユーザー、コストパフオーマンス、コミニティー、サステナビリテー、エコデザイン、グランドデザイン、イメージ、アクレデイテーシヨン、ソリュウシヨン、ガーデニング、ユーザービリテイー、フアジー、インターフエイス、モバイル・・・・・。
さらに団体、組織、企業名などの略、ODA,NPO,SONY、NEC,NOVA,INAX,NJK,SRA,NTT,JR,USA,IA,HIV,GUI,ID,
PD,CD・・・・。
「ウーン、これは何だったっけ!」と、「ニューロン」の隅々までも「サーチ」するのだが・・・。
当たり前のように使っている「ID」に至っては無数の意味があり、その使われている文脈から読み取るしかないものも。
しかし、こう見れば最早、生活の中に浸透し使われているものも結構多い。
それらのカタカナ語をまた、日本語に翻訳しようとするとがかえって難しいようだ。
先に行った読売による識者数人の回答も微妙に違うのだ・・・。
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ところで、「ユニバーサルデザイン」というカタカナ語も専門家の中ではいまだ、その呼称の適否が論じられている。
しかし、「モノづくり」も、「全ての人々に平等に・・・」という思想、主張は否定できない。
その共感?時代を映したコトバとして巷でもよく使われるようになった。
冒頭に上げた「マニフエスト」もまた、「政権公約と何が違う!」という声が今も聞かれる。
一層の強い意味、実行し得る「具体的な数値目標を掲げた公約」の事だとまた反論がある・・・。
しかし、「政権公約」も実行することを前提としたことであり、決して実行しなくてよいという意味ではない。
本年度の「新語・流行語大賞」、その1つとして、「何でだろー」等と並んで選ばれている。
次々に生まれるデザインと同様に、その時代を映した「コトバ」は適切であれば残る。使い続けられることにもなろう。
(’03/12・13 記)