音楽2

何かが降りてきて語った、魂をふるわすメロディという言葉は普遍的常識です。

美しいメロディは頭の中を晴らし、心を洗い流してくれます。最も素晴らしいのは美しいメロディがをふるわせてくれることです。かつてのシャーマン、カタリベから現代に至るパフォーマーの人たちの努力と情熱により、それはなされていると思います。美しいメロディは観聴(みき)きする人のを震わす言葉をもっています。

世界の様々な言語の違いにより言葉ありきと思い語学に勤しみ英語や21世紀なのだから中国語くらいは話せないとなど、言葉のスキルとして互いの意思疎通をはかる上では翻訳・通訳を欠かせません、これは〈魂〉、〈心〉、〈頭〉の三種類の中で〈頭〉・〈脳〉の時代に感じます。

〈頭〉・〈脳〉と〈心〉に響くのは、言語が違っても翻訳・通訳されれば数多くあります、しかし〈心〉と〈魂〉を、ゆさぶり感動させる〈言葉〉に翻訳・通訳は必要でしょうか?

 

脳科学の研究をしている学者たちによれば人間の〈頭〉である脳細胞は一般的に一生涯のうちで、13%程度しか使われず、残りの87%の脳細胞は、まるでコンピュータのハードディスクの許容量と使用メモリーの差である空き容量のように感じられても人間の頭はPCと違ってメモリー・空き容量とは違う化学変化を起こし使えば使うほど頭は、脳は良くなると言われています。

この脳の化学変化は、今の技術では応用・実現途中です、量子コンピュータが実用化されると完成度が上がるかもしれないという期待は残ります。

また遺伝子という「人間の設計図」であるDNAの研究家は、ヒトゲノム(ヒト1人創るのに必要な遺伝子全体のセット)のDNA配列は約30億も連なった長大なのもで、設計図なのだからキチンと書かれているかといえば、意味の無い部分が多量にあり、95%であるほとんどが現段階では何の意味をもつのか不明な配列で出来ていると語っています。

大雑把な理解でお叱りを受けるかもしれませんけど、〈頭〉は脳科学で言う脳細胞の使用量で、〈心〉はヒトゲノムのDNA、あるいはミトコンドリアに影響されているのかもしれないと想えるのです。

遺伝子の研究では核のDNAより20万分の1程度の情報量であるミトコンドリアの研究が先に進み〈母系社会〉を裏付ける結果が出ています。そのミトコンドリアは、人間とは違う組織体の一種で、そもそも別の生物として宿主である人間に飛び込んできて長い年月のうちに宿主細胞の一部となりエネルギーの産生をするようになったと言われています。

雑駁(ざっぱく)ですが〈メロディ〉と〈ミトコンドリア〉が造るエネルギーは、人を動かすという観点からすると、いずれも人間の内部の、ある種の化学変化から生まれるという意味では同じではないかと想えるのです。

普段よく使う〈考える〉という行為も歩くという行為もすべてエネルギーが必要ですからミトコンドリアの造るエネルギーを化学変化させているわけです、美しいメロディも感動という形でミトコンドリアからのエネルギーの化学変化を起こさせ、メロディのもつ不思議な力によって涙を流させ時には〈やる氣〉にさせてくれます。

「ライブでエネルギーを貰った!」とパフォーマーもオーディエンスの人たち両方がよく使うフレーズです。

この化学変化の最も基本で初期的な作用は連綿と受け継がれる母から子へ、母乳を含めた直接的に近いミトコンドリアによる〈何か〉の伝達と、世界各地のそれぞれの『子守唄』による、繰りかえされる美しいメロディを通して受け継がれる〈魂〉への呼びかけと、言葉を超えた〈絆〉で結ばれる、それを物語っていると感じます。それは様々な肯定的でポジティブ・〈発展進歩〉する気持ち、親から子へと受け継がれ、幸福な未来を想い願って表していることと同じだと感じます。

 

〈魂〉に訴えるメロディに〈言葉〉による翻訳・通訳は必要ないと判るのです。

〈言葉〉とは?メロディは〈言葉〉なのでしょうか?

私にはメロディは〈魂〉に通じる〈言葉〉に想えるのです。

人間として生きるようになって以来の人類の、文明は発達しても身体の構造や基本的な五感、六感と言われるセンサーはさほど変わっていません。

変わったのは人類が造り出した広い範囲での〈道具〉くらいで、それは音楽を奏でる楽器も同じです。楽器は打楽器から始まり、弦楽器へ、そして電子楽器を含め〈道具〉としてみれば同じように多様化していますから、奏者もその数だけ増えてきているわけです。

よく言われるソフトとハードの問題がここにもあり、演奏技術は飛躍的に伸びたかもしれませんが何を演奏するかが問題で、テクニックをひけらかすことに主体をおく奏者よりも、そこから奏でられ〈感動体験〉を味わえる〈説得力〉に満ちたソフト、コンテンツが重要であると誰でもが思うはずです。

〈発展進歩〉によって音楽はまとまりパフォーマーの人たちによって共通言語となり共鳴を呼び起こし、広義の意味でのデザインになると感じます。

メロディはスーッと〈魂〉に入ってきて何かを訴えかけるように〈魂〉をふるわせ共鳴させてくれる、これがメロディ・音楽のもつ力だと思います。

それは〈魂〉に語りかける〈文字にはならない言葉〉としてメロディが存在すると想います。

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