「イタリアでは、世界をマーケットとしながらもまずは100個、200個という少量を生産する、そんな規模の企業が多いから出来るのです」10月に行われた「イタリアン・デザイン・ワールド展」のプロジェクト担当マッシモ・イオザ・ギーニ氏の講演会は中々の盛況でもあった。
氏はメンフィスのポストモダーン運動にも参加したイタリアを代表する建築家である。
折々に私達を驚かせる大胆で奇抜なデザイン。わくわくする様な楽しさは、特に我が国の若いデザイナーの共感を得ているようでもある。
それとは対照的とみられる我が国のデザイン。大量生産を前提としており極めて大きな資金を投下する、リスクを回避するきめ細かな条件はデザイナーのみならず企業を上げてクリアーすることになるのだ。デザインされる製品は一人デザイナーのものではなく、企業の盛衰を賭けたものでも有るからだ。
当然、デザイナーの<思い>は薄れ、失われかねないことに・・・。満たされぬ思いは欲求不満をつのらせ、イタリアのそれをを羨ましく思うことに。
しかし、その日本的なリスク回避、多層のフィールターを持たないデザインは、かなり危ないデザインも多いのだ。
また、「イタリアのデザイナーは市場のニーズが顕在化する前に思い描く事が出来るのです」といい、デザイナの能力は市場ニーズの予測と創造性に強い自信、イタリア人らしい自負心を見せて語るギーニ氏。さらに「ユザーとのコラボレイト」という、市場の反応を見ることで、その「モノ」の生産を継続するか、止めるかを判断しリスク回避をしているのだという。
「日本人はよく真似をすると言われている様だが決してそうではない・・・と私は思っている。」とエールをくれたマッシモ・ブオノコーレ氏(貿易振興会東京事務所副所長)だが・・・。
現代の先端的製品の多く、自動車、精密光学製品、家電製品等など大量生産品による世界的な市場への拡販はあるものの独創的な、日本独自の製品は無いのでは?といわれている、そんな気分でもあった。

ユーモアを生む・・・イタリア
 ブルノ・ムナーリを囲み談笑した学生時代、オリベッテイ社を訪問した時のマリオ・ベリーニの話、DOMUS誌にロドルフ・ボネッティの置時計、ポータブルテレビや多軸ボール盤の見事な造形を見たときの感動!
「日本ではギリシャやローマ彫刻をデッサンしデザインを学ぶが、あなた達も同じ様に・・・?」と講演の席でジアンカルロ・ピレッテイに質問をしたことも。
’66年には初めてヨーロッパ諸国を車で2ヶ月余、ほぼ2周した。まだまだ日本人旅行者が珍しい時代でもあった。
イタリアでは、あの「太陽の道」を北から南、南から北へと縦走した。ローマのコロセオ、ナポリ湾に臨むポンペイの遺跡、ベニス、フレンツエ、ミラノのフィアットの自動車博物館、レオナルド・ダ・ヴィンチ博物館・・・。
古色蒼然とした建物が連なる都市。
半身を乗り出し手を振り上げてがなり合うドライバー、なにかあったのか?
しかし、そんな事にはお構い無しに突っ込んでいくフイアット、瞬く間に交差点は埋め尽くされた。決して譲らず、謝らないのだとか。喧騒・・・。
家具や洋服、食器、用品を飾るモダーンなショウウインドウが一際明るく眩い。そんなカルチャーショック!27歳の若者には強すぎる刺激が脳裏を突き抜ける、興奮の日々でもあった。
我が国とは余りにも落差が大きい時代を私の脳裏は確りと記憶しているのだ。
ユーロ圏で見る製品の多く、そして、この展示会場に選ばれた製品「銀の水差し」「照明器具」「水道のノブ」「食器」など・・・。それらの多くが形状の特異性、非生産的、芸術的、感性的、そして高価であるという共通性を持ち、当時との40年の時間差を感じないのだ。
そう云えば細江勲氏(本学理工学部OB、イタリアで活躍するデザイナー)との話しで「5年、10年はイタリアでは最近の事なんです」と言い笑った事を思い出した。
時間に対する観念は日本とは明らかに違うものだろう。
数千年、数百年を意識させる、まるで博物館のなかで暮らしている彼らには、この4,50年ですら大した時間ではないのだ。遊び心一杯のデザイン、楽しくやろうよ!

短絡を求めた・・・日本
 日本の戦後から今日まで、そのめまぐるしい変容、激しさ・・・。
「紙と木」による文化は、常に仮設的な生活環境を、現在を、現在進行形をのみ意識させたものになって本質を見失っている様に見える。
先端科学、製品開発のスピード、数年、数ヶ月で交換する携帯、24時間のコンビニ、数分間隔のJR、数年で壊れそうな家具、2,30年の住居・建築・・・。私たちの生活の中に数百年、まして数千年を意識させる時間は無い。
戦後の「拙速な」「短絡な」生き方、「早い」「速い」「短い」ことをのみ善しとする今日の価値観、そのためには模倣する・・・。短絡に独創は無いのだ!

楽しく独創的なイタリア?
 企業組織のしがらみに囚われず、発想の条件からも解放されたデザイナーの感性は、モノの概念にすら囚われることなく可能性を広げているようにも・・・。
生産される50パーセント以上が輸出され、世界の主要都市のアンテナショップ「ブランド・イタリー」のウインドウを飾るものに。ユザーは生活にこだわりを持ち、フアッションリーダーイタリーを信奉する人々でもある。
確かに少量生産がそのことを可能にしているのだ。

デザインは二極化する
 そういえば、この不況感が蔓延する中で続々と誕生している高級ブランド店「ルイ・ビトン」「グッチ」「プラダ」「シャネル」「ダンヒル」「フェラガモ」「エルメス」・・・。
世界有数のお得意さんでもあるという、ブランド消費大国日本!
本当に不況なのだろうか?とも思う。
この事については様ざまな分析が有り、意見もあるようだが金持ちが持つものを持つことで「豊かさ」を実感したい、日本人的性向でもあるのだろう。
高級ブランドのデザインはユーロ圏で・・・。中級や普及品、未来を志向するハイテク製品は日本が、そして、歴史の流れに従えば、やがてアジア諸国、開発途上国へと移行する。
既に我が国のデザイン、メイド イン ジャパーンも高級ブランドを指向し、優れたデザイン、高品質を持って生活の真の豊かさを求めるものに・・・。
勿論、これまでのノウハウを伝えるデザインが生産の場を選び、移しながら世界市場を占めるものに。
この二極化は一層鮮明になるだろう。
                       ( Dec,1’02記)

Pocket
LINEで送る