デザイナーとしての基本的なスキルと言われる「スケッチ力」。その必要性は当時から疑いも無くデザインの必須のものだった。
美術大学のデザイン教育は、「デッサン」「レンダリング」「製図」「モデル製作」「パネル制作」等を教え、「具体的製品」をテーマとして「発想からプレゼンテイション」までの実習が行われていた。学生「自らが主体」として体得するものでもあった。
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「まずスケッチ技法を体得する。頭の中にある発想の内容を正確に、素早く表現出来ることが、デザイン学習の可能性を広げ、手を自在に動かし大脳を活性化することが豊かな発想を助ける。
そこからデザインが始まる」
それが「合宿セミナー」を始める動機でもあつた。
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全専攻生1年から4年生、そして研究生までとしたのは、能力の差はあれ、同じ「テーマの百通りの答えを見ることが出来、比較する事が出来る」のではと言うことからである。
勿論、一人で数十、数百個のアイデアであれば、数千個の異なった答えを見ることになる!
それはまた、百様の個性や感性を持った「同学の士」によって生み出されることだ。
その一連の作業プロセスを共にし数度の挫折や「ヒラメキ」を得た時の達成感・・・。そして「悩み」「苦しみ」「喜ぶ」など、総ての過程をも共有する事が出来る・・・。
このセミナー以外では決して体験できない、実に貴重な「経験」となるものでもある。
上級生が上位に入賞する、それは当然のことでありたい。
しかし、スキルの差は明らかでも「テーマの解釈」「アイデアの内容」などは必ずしも上級生だから有利だとはいえない。
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1975年、「工業デザインセミナー」は「軽井沢」でスタートした。
「デジタル置き時計」がテーマ。短時間の中で、より効率的な訓練をと考えてのこと。
「アナログ」に対して「デジタル」が言われ始めた時代、そのタイミングでもあった。
「蛍光マーカーがあるといいですね!スケッチには・・・」
「デザイン方法論・演習」を担当していた岡田朋二講師のアドバイスだった。
当時、専任講師だった私と大庭 彰助手が山積みにしたパッドや用具類を車に積み込んで軽井沢へ向かった。
学生は急行列車で現地に。また一部の学生は前夜からの夜行列車で早朝の軽井沢駅に降り立つというものだった。
勿論、学生の車やバイク利用は絶対に禁じた!
(しかし、徹夜明けに隠していたバイクで帰京。ガードレールに接触。大事に至らなかったが。翌’80年からは直ちに全員がバスの移動とすることに・・・。)
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テーマは全員が揃う午後2時に発表。まさに、ぶっつけ本番のアプローチだった。
事前の交渉で「徹夜など考えられない」と言われた研修所。が、主旨を説明し何とか了解していただいたという経緯があった。使用する講義室や寮での行動、騒音、事後の清掃など、殊更に神経を使ったものだった。
以後、今日まで、その徹夜を認めて頂いているのは、まさに夜を徹して頑張っていた学生諸君の真摯な態度であったと思っている。
朝昼晩の食事は定時に、必ず取ることを決めた。「食事を取らない者がいない様に、点検し全員が揃ったところで食事にしましょう」と、大庭助手。
仮眠中の者もそろわないと全員が食事が出来ない。班長の責任が問われた。
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用紙はB3版のPMパッド。各自に40枚が配られた。
班ごとの席に、班長を中心としてすわり、60時間・セミナーがスタートする・・・。
テーマが書き込まれ、参考製品の問題点を分析、アイデアスケッチがはじまる。
過酷だが丁度、修行僧の「行」のように淡々と忍耐強く・・・。
時間が経過する・・・。しかし「行」のように淡々とはいかないのだ。
直ぐに手が止まる。紙面の空白を埋める「アイデアが浮かばない・・・」のだ。
この先を考えると「憂鬱に・・・」も。
「これまで何をしていたんだ!」という自責の念も・・・。
「頭が重い・・・」と弱気になるものも・・・。
「自分は才能があるのだろうか?」と疑う時でもあるのだ。
2日目の夜、それでも配布されたパッドの全てをスケッチで埋めたものも現れる。
パッドの追加が始まる。5枚、10枚、20枚と自分の判断で追加できるシステムだ・・・。
焦りと集中の中で45枚、50枚、55枚、60枚・・・と、その厚みは増していった。
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これだけの人数での徹夜作業に興奮もあった。「負けん気」「競う心」もあったようだ・・・。
スケッチ力のある上級生の周辺には下級生が取り巻き見守る・・・。
「先輩、すごいね!」と感嘆のため息・・・。先輩の手が緊張する・・・。
「競う心」は「意欲」「やる気に」なり後年まで続くことになった。
3日間の完全徹夜を密かに決意するものも増えた。
反面、「眠くならないための薬を飲んでいる」と言う噂がたち、その本人を呼んで強く注意したこともあった。
3日間頑張った徹夜組も結構いたように思う。それらを含めて「80時間を有効に使う」ことにも意を注ぎ、自らを自覚し認識することにも極めて有効であったように思う。
最終日、前日には知久 篤研究所教授、岡田朋二講師、後藤伸三郎講師、奈良謙講師など当時の実習担当の教師が駆けつけた。
それぞれに、各講義室を回り学生の激励、そしてアドバイス・・・。さらに翌日の審査の打ち合わせ、テーマやセミナーについても話し合った。
ただ、アドバイスに依存するものも多く、注意することに・・・。「考え、判断する時はあくまでも自分で・・・」、「自らの決断力を持つ!」ことはこのセミナーの訓練でもあるのだ。
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第一回の最優秀賞に研究生(当時の大学院レベル)の三代君(現本田技研デザイナー)が、その「スケッチ量」、そして「アイデアの質」を評価され選ばれた。
そのことは、このセミナーの主旨からして良かったと思っている。
そして、そのセミナーの「動機」となったものは、今日も変わる事の無いセミナーの基本的な目標となって今日に至っている。
まもなく、28回目の「軽井沢セミナー」を迎える。

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