謙虚な心――学ぶ心さえあれば――
万物すべてこれわが師である。
語らぬ木石、流れる雲、つまりはこの広い宇宙、この人間の長い歴史、自然の理法がひそかに脈づいているのである。
そしてまた、人間の尊い知恵と体験がにじんでいるのである。
これらのすべてに学びたい。
どんなことからも、どんな人からも、謙虚に素直に学びたい。
すべてに学ぶ心があって、はじめて新しい知恵も生まれてくる。
学ぶ心が繁栄へのまず第一歩なのである。
松下幸之助
冒頭の言葉は、わたしが啓発され共感もしていることば・・・。松下幸之助(1894 ~ 1989)氏は我が国の戦後の経済・家電業界を牽引してきた人物であり、松下電器(現パナソニック)の創業者。社内の広報誌(昭和41年5月号)に寄せた一文なのだという。 仏教の教えに相通じるのだというが、まさに、自らがおかれた貧しい社会を体験する中から生まれでた真実の言葉だろうと噛みしめている・・・。勿論、いま話題のMBAなどを取得している訳ではないが「経営の神様」とも称えられていた。
その幸之助は家庭の事情もあって、九歳のときに小学校を中退し、大阪で丁稚として住み込みで働いている。夜間中学でも学ぶが、ほとんどは働きながらの独学だったと言うことになるのだろう。その経験と問題意識を持ち続けたことが成功の基 になっていることだ。
二股ソケットの開発など、売れ行きは芳しくなかったが松下電器製作所を創業(1918年)、24歳、ベンチャービジネスとしての船出だった。
1951年1月18日、にはアメリカの市場調査に向うが、まず、その発展ぶりに驚いた。ニューヨークでは、昼でもこうこうと電気がついていた。当時の廃墟然とした東京では毎日午後7時から1時間の停電・・・。ラジオが24ドル、工員の賃金の2日分ほどで買えたが、日本で同じラジオを買うには従業員の1ヵ月半ほどの賃金が必要だった。豊かさに大差があった!その繁栄を見聞し、「早くアメリカのようにしなければと痛感したのだ」と。
国富の違いもあるが、社会や企業などあらゆる面で、各人の才能、知恵が生かされる仕組みが大切だろうとも考えていた。
4月7日、新時代の到来を予感しながらの帰国だった。その時の会見では「デザイン」の必要をいたく痛感し、いち早く、自社内に「製品意匠課」を設置した。我が国の家電、車や、精密機器、あるいは雑貨など、外貨獲得のための輸出製品を担当するインハウスデザイナーの活動が始まったのだとも言われている。
家庭の電化――電気洗濯機、冷蔵庫、掃除機、そして、テレビ、電気釜などは豊かさを実感するもの、ステイタスシンボルでもあった。とにかく、何もない時代だったから造れば売れた。パナソニック、ソニー(1946年東京通信工業として設立)、シャープ、東芝など・・・国内企業の競合と切磋琢磨があって世界的に信頼される品質・デザインのメイド イン ジャパン製品を生み出していた。順調に見えた企業もさすがにいまは閉塞状態にあり、電子立国日本の企業もいまは危機に瀕してもいる・・・。
技術の革新と市場の変動を読み切れなかった? それとも・・・日本人のガードの甘さ? ・・・・・
また、新たな始まりを迎える4月・・・。デザインを学ぼうという新入生が一体どれほどいるのだろうか?
ここ数年、『デザイン』、『デザイン思考』をキーワードにさまざまな分野や専攻に次世代をイメージさせる講座がネット上にも見受けられるようになった。主な工学系、経済・経営系だけでも圧倒的な学生数、それは美大系学生の比ではないだろう。ということは、『デザイン』という言葉の意味する内容や目的がこれまで以上の差異を持って拡散していくと言う新たなデザインの問題でもある。
製品開発などのクリエイティブなプロセスでは、チームメンバーのバックグラウンドは心理学や社会学、経営学、工学など・・・と多彩で、社会の変化や人間の変化に敏感なリサーチャーとのコラボレーションによってニーズを捉えるという思わくもあるだろう。
そのためには、デザイナー個人として備える「直観力」であり、「デザイン力」をもって、まずは、可能性のイメージを「カタチ」として見せることがそれらのプロセスに有効だろう。アイデァの可能性を列挙し、プロトタイプの制作も手慣れて素早い筈だ・・・。
デザイナーが新たな時代、新たな組織の中でどのような役割を持つかは、各自が確りとイメージしておくことが必要だろう。
(2017/4・3記)
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メモ:
・冒頭には松下幸之助氏の言葉をおいた。9歳から丁稚奉公として働く独学の人であり、二股ソケット、自転車用の照明器具の開発など、創業は24歳。のちには経営の神様とまで言われた人物である。戦後、家庭の家事労働に代わる製品を数千点もそろえる総合家電メーカーに。庶民生活の豊かさと幸福をも考え実践した人でもある。

・『デザイン思考』を学ぶその先にイメージされるのは、ステーブン・ジョブズやジェームズ・ダイソンなのだという。
・スティーブン・ジョブズSteven Jobsは、2011年10月、家族に見守られながら自宅で亡くなった。享年56歳。アップルの共同創立者であり、最高経営責任者(CEO)を務めていた。才能があり先見の明をもって決断する力を持った天才だった。テクノロジーに対する理解とユーザーが望むものは己が望むものでもあると言う確信もあったようだ。ジョブズは他に類をみないエポックメイキングな製品を次々に生み出しており、生活環境を変え、人々の生活をすら一変させている。

・ジエームズ・ダイソンJames Dyson(1947~) 93年にダイソン社を創業・会長 「ああわかったぞ!」と、瞬間的に発明ができるようなことはあり得ない。進歩は、失敗を学ぶことからのみ生まれる。
わたしはサイクロン技術というソリューションを思いついた。しかし、アイディアをもつことはほんの始まりに過ぎない。まず、素朴な材料を使って最初の試作品をつくってみた。ダンボール紙やダクトテープからABSポリカーボネートまで、うまく行くまでには15年という時間がかかり、5127台の試作機が作られた。・・・苦闘を価値のあるものにしたのは、最終的な試作品ではない。プロセス自体が意味をもっていた。わたしはただ努力を続けたのだ。
・・・と語っている。

・ジョブズ氏は、リ-ド大学に入学しても間もなくドロップアウト、養父母を気遣ってのことだけではないようだが・・・。唯一、潜りこんだ『カリグラフィ』の授業だけには心を奪われたらしい。彼にとっては異次元の『デザイン』を体験し、繊細な美しさに目覚めたと言うことだろうか・・・。プロダクトのデザイナージョナサン・アイブにも共感出来、心許したのだとも思へることだ。
また、逆風野郎!ダイソン氏はRCA(王立美術大学院)のエンジニア分野の出身だったろうか。その修了制作展のパーテイ、偶然だが私も訪れており、見ていたような気がしている。後に、氏の作品(写真)・初期の作品らしきモデルが脳裏に残っていたからだが・・・兎に角。彼はバースの製材所にある「サイクロン」集塵機を見て「ひらめいた」のだ。革命だともいわれる「サイクロン掃除機」、商品化に十数年間を要した。何百もの試作、修正が数千回、それらのテストが何万回も・・・。勿論、図面、モデル化もただ独りの作業だった。エンジニアリング・デザイナーらしい機能美、独自のカタチにも驚かされた。「ゴミが見える!」と眉をひそめていた妻・・・。しかし、「見えなかったゴミがこんなに・・・」と。急に興味を示し、喜んで使い始めたことが興味深い私のデータに・・・。

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