「Peace」のデザインで知られるデザイン界のパイオニア、レイモンド・ローウィ氏が来日した折、製品デザイン全般のアドバイスを受けていた。「資源がない日本にとっては輸出で稼ぐしかない・・・。しかし、海外製品のマネや粗悪品では駄目でしょう」と、暗にデザインの必要性を説いたものだ。その中で日本専売公社の「たばこ」のデザインについても丁寧にアドバイをしてくれたのだろう。そのことに感銘を受けた当時の総裁が、その場で「Peace」のデザインを依頼していた。日本に「デザイン」や「マーケティングらしき概念がもたらされ、消費者が欲する「もの」をデザインする職業があることに気付かせてくれたのは、たった1個の「Peace」のデザインだったのかも知れない。
なにしろ、戦後の貧しい時代でもあり150万円とも言われるデザイン料がどれほどのものか!とにかく、ド肝を抜かれたのは確かだろう。当時、総理大臣の月給は11万円だが、庶民のたばこの箱のデザインが・・・だ! 26億本は、150億本に爆発的に売れたのだからそのデザイン効果は絶大だったのだ!
その頃、松下幸之助氏はアメリカ視察から帰国すると、直ぐに松下電器(現パナソニック)に「製品意匠課」を設置(`51)した。デザインの必要を痛感したからだ。また、第1回の毎日工業デザインコンペ(主催:毎日新聞社)が開催され、インダストリアルデザイナー協会JIDAが発足した。我が国でも国際的に問題となったデザイン盗用問題もあって、そのためのGマーク制度(`57)が設けられた。日本のTV放送が開始された年、「君の名は」がブームだった。`50年代は我が国にとってデザインの助走期、経済産業とともに手探りで歩み始めていた。
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戦後の廃墟から始まった我が国の経済発展は奇跡!とまで言われ、右肩上がりの経済指標はバブル(`86~`91)状態のピークを経て急激に下降線(`92)をたどることになった。
「空白の10年」と言われ、それもはや20余年にもなろうか。生き残りをかけた企業再生と空洞化の流れの中で、営々と積み上げてきた本業が目の前で消えていくのを見るだけの無力感! デザインもまた非力であったということだろう。
開発のスピード化がうながされ組織の弱体化は突出した発想を委縮させてしまうことになった。そのことは、急変する市場を捉え切れなかったトップの責任とばかりは言えないだろうが・・・。折角のユニークなアイデアも理解できず、見慣れぬ尖ったモノとして一蹴するだけの企業や組織も多くデザインを軽視する傾向すらも。しかしいまは、企業や組織トップの適正能力が問われ、厳しい目が向けられてもいる。同様に、デザインもまた、うっ積する環境を打開するために業界を越えてのデザイン研究・交流会などが行われていた。デザインの「あるべき姿」を追い求め、「なすべきこと」の可能性を探るために・・・。
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世界のトップリーダーを輩出しているハーバードやマサチュセッツ、スタンフ―オド、東京大、慶応大…などのトップスクールが、それぞれに解釈する「デザイン思考」の授業を始めている。いまは、また新しい可能性に眼差しが向けられており次世代を目指すデザインの環境の広がりは、ベンチャー企業が生まれ出る可能性を持って整いつつあるようにみえる。もちろん、ビジネス領域の「デザイン思考」は、プロダクトデザインの広がりであり、チャンスでもあると思われることだ。様々な領域・分野から世界の人々が集い「協働」「協創」し、課題と対峙することに。デザインが浸透する社会は、また新しいデザインの世紀だとも言い、デザイナーとしての「デザイン力」は確かなものにしておかねばならないだろう。
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デザイナーには、ヒト・モノ・環境を見るもののすべてが新鮮なアイデアの素であり、情報源でもある。「見る」こと、「触れる」ことで描くスケッチは「カタチや構造」に対する深い学び、確かな記憶となるものだろう。その体験を集めたアタマで創りあげる身体感覚がプロダクト系の発想の強み、特性といえるものだろう。
ただ、成熟化し世代が変わるときの常だろうが、もっと、相応しい発想法をと思うあまり事前の調査、分析に意識が奪われ肝心な思考の時間、繰り返し練り上げる時間が極めて少ないことが何より問題だろう。「これだ!」というアイデアやイノベーションは現物・現場を熟知、思考する時間のなかで「ひらめく」ものだ!
(2017/3・2記)
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メモ:
・ハーバード大学・ビジネススクール(HBS)が震災後の東北を訪れる授業は既に5年、150人もの受講生が参加していた。「何を聞いても予想と違う答えが・・・」「ハーバードで考えていたこととは違う!」。学生は混乱を深め、焦りを募らせてもいた。が、プログラムが終わる頃には、「最高の学びだった」と・・・。
HBSこの授業は、同校100周年を契機とした教育の「在り方」に対し、自ら問う強烈な反省からだった。改革は知識(knowing)に偏重せず、スキルや能力の開発につながる実践(doing)を。また、人間としての行動の基本となる信念や価値観をもつ(being)と言うもの。その一つは、創立以来の100年間続けてきた教授法・議論を中心とする「ケース・メソッド」を見直し、現場を観察し、実践と体験を通じて自己をみつめ、課題を解決する「フィールド・メソッド」、日本では東日本大震災が起きた2011年のこと。初めて履修した22人のHBSの学生は、震災の10ヵ月後には東北を訪れていた。事前には、習慣、お辞儀や名刺交換など、日本という異文化の習慣やビジネス・マナーの特訓も受けた。
真冬の東北では、仮設住宅建設のために木や瓦礫を除去する活動、地元の中高生との交流など・・・。文字通り机上では学べない貴重な体験だろう。「いままで映像やデータを見て震災を理解していたつもりだったが・・・」と。彼らにとって震災が何だったのかが初めて理解できたのだ」と。そして、彼らにとって最高の「学び」だったのは、自分たちが陥っていた「混乱」だったようだ。どんなところでも自分なりの思考軸を持つことが大切なんだということも・・・。
・2020年度から順次実施するのだという小中学校の学習指導要領・・・。
思考力や判断力が育てられるのは当然として、主体的・対話的・深い学びの授業への転換が考えられている。授業の質を高め社会の変化に柔軟に対応できる学力を育むことが大切なんだということだろう。小学校では「生きる力」を育てるのだと言い、中学校では「解決する力」に重点が置かれるのだとも。
・「デザイン力」を育てよう・・・・日本人のモノづくりの力を生かすために「デザインする力」を養いたい。教育の現場にそんな声が広がり始めた。その視線の先にはiPhoneを創出したステーブ・ジョブスの存在もある。(読売新聞「トレンド」論説委員古沢由紀子氏)どうやら小中学校にも「デザイン思考」の有効性が理解され根付いていくことになるのだろうか。デザインのアプローチはまさに主体的であり、チームとしての話し合い、口頭やパネルでの発表もある。最適な答えを求め続ける忍耐力も。社会の変化を捉え柔軟に対応せねばならないことも、深い学びになる。「社会人基礎力」にも匹敵する全てが含まれてもおり生き生きとし楽しい学童版ワークショップになるのでは・・・。