いま、空前のブームなのだとか・・・。 そういえば、新聞、書籍、雑誌やテレビの特集番組などと目にすることも多くなったようだ。驚かされたのは、あの石原慎太郎氏が「天才」とまでいい、そんな本まで出版してしまったことだ。
田中角栄――天才と言わしめ、戦後最大の宰相ともいわれており、政党の役職、大臣、内閣総理大臣にまで登りつめた人物だ。
特筆すべきは、エリート高学歴が多いなかで高等小学校卒という学歴・・・。
田舎暮らしの貧しい幼児期から、生きる術、体験したすべてに学んで知力としているのだ。まさに常識をつきぬけるという「発想力」と「行動力」・・・。25歳で土建会社を経営するが、29歳の時に政治家に転身している。
高速道路や新幹線、空港の整備、アメリカに依らぬ資源外交、日中国交正常化、インフラ関連の整備など30以上の議員立法を成立させ、東京と田舎の格差をなくし均衡ある国土の発展を考へてのことだ。当時の日本経済は10%近くの成長があり、使いきれないほどの税収もあった。エリート官僚たちは角栄氏の手腕に心酔し、その人間力にも魅かれて政治家になり、角栄氏の忠実な子分になると派閥に加わったのだと。
1972年に田中内閣が成立すると、「日本列島改造論」を出版。日本が採るべき未来を描いた「グランドデザイン」といえるもの、私にも興味深いものだったが、まだまだ実感すると言うものではなかった。しかし、いま振り返ってみると、強いリーダシップによって我が国全土の交通網を整備し、地方経済をも飛躍的に発展させた輸出立国としての日本を築き上げていた、と言えるものだろう。
しかし、オイルショックと狂乱物価によるインフレを経たが(74年にはGNP世界1に)、日本経済の高度成長は終息し低成長へと落ち込んでいく中で田中内閣も退陣した。1976年ロッキード事件、金権政治の権化として追い込まれての失脚でもある。
この「金権政治」を悪とし、舌鋒鋭く追及していたのが石原慎太郎氏だった。
大物政治家の大向こうを張って責めたてる姿は若い正義であり、政敵とすることで政治家としての存在を確たるものとして・・・。
戦後体質の後進性、途上国としての我が国が何よりも目指していた1流国家へと体質を浄化せねばと言う時代の空気を読んでのことでもあったろうと思う。
政界を退いたいま、「無」になって思い返すとき・・・。しかし、政敵として追いつめた角栄氏のあの行動力、その魅力と偉大さにも気付かされた。あの時代の発想力、構想力の大きさと先進性はまさに天才だった・・・と。 著書、「天才」は、自らが対峙し知り得た偉大な田中角栄像でもあると言う。
一ツ橋大在学中に『太陽の季節』で芥川賞を受賞し、「太陽族」という社会現象までも引き起こした時代の寵児であり、目から鼻に抜けるような鋭才であるという自負心・・・。が、比べれば余りにも「凡人」に過ぎないのでは・・・とも。
「あの人が、いま生きていたら、相談することが出来たら・・・。
今の政治も、日本も随分変わったはず。日本にとって大きな損失だったと思いますよ!」と、テレビのインタビューに答えていた石原氏。宿敵として執拗に攻撃していたとは思えない言葉だった。また、本の「あとがき」には「未曾有の天才」「天才の人生は、この国にとって実は掛け替えのないものだった」とも。本音だろう・・・。 しかし、いま「政治は数―数は力―力は金・・・」と言う角さん流の常識破りの政治が許される筈もない。
考えさせられることだ! 確かに、いまは様々な国があり、人種がいるグローバルな社会だ。日本人の中にある良識、正義であり潔癖さだけでは生きてゆけるとは思われない時代でもある。
(2016/6・4記)
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メモ:
・天才とは、天性の才能、生まれつき備わった優れた才能であり、人の努力だけではいたらないレベルの能力をもった極めて独自性の高い能力を示す。
学校教育の成績優秀者も、とらわれない斬新な発想力や独創性をもつ天才とは、案外相反する傾向もある。角栄氏は無学歴だが親の教え、自ら学ぶという意識が強いということだろう。年功序列に安住しがちなエリート官僚も一目置かざるを得ないような存在だった。庶民感覚の下から目線?の人心の掌握力、先見性の鋭さ、緻密だが感性的で直観的、判断力の早さは・・・。「ダメだと言うならそれより良い案を出しなさい!」「ガタガタ田中角栄をヤジる勇気があったら・・・」。強面だが親しみのある笑顔が、だみ声が懐かしく思い出される。庶民派の頑固おやじ・・・! その迫力、ユーモラスな話術にもみんなが笑顔になって聞き入ったものだ。
・選挙は20歳から18歳へ引き下げられた!
この件、石原氏が50年ほども前にも提案したことがあった。「18歳は早すぎる!」と、ときの田中幹事長に一蹴されたのだとか。確かに「先見の明」が無かったと石原氏は反省しきりだ。「不見識で、自分自身の判断力を備えなくなってきた」とも懸念する。日本人が「幼児化」していると言われて久しいが、しかし、いま・・・も?
18歳、貴重な1票が皆さんの手にある。有効に使いたいものだ。「自分の未来を自分がつくるのだ!」と言う、はじめの一歩となるものだから・・・。
・私がはじめて田中角栄氏を見たのは、従兄に案内されての東京見物のときだ。赤穂義士の墓がある泉岳寺の参拝客の中になにやら黒い集団、十数名はいただろうか、一瞬恐怖を感じたが、傍らの従兄が「あの真ん中にいるのが角栄さんだよ!」と、目を輝かせ、耳元で囁いてくれたものだ。早稲田の政経を出ているだけに大学の仲間とは戦後最年少、39歳で郵政大臣になった角栄さんをよく話題にしていたのだとか。
・その十数年後になるだろうか。一時期、私の仕事場を目白においていたことがあった。偶然だが、その山手線目白駅からの道筋に角栄邸があり、黒塗りの大型外車(当時は政治家や会社重役の送迎車としてよく使われていた)が出入りしているのを折々に目撃していた。国会議員や陳情団の出入りだったのだろうか。意に染まぬ人物の訪問は門前払い、その後のニュースで分かったことだが・・・。
・政治家・田中角栄は戦後という時代背景があって真価を発揮出来た。仮に現在に置き換えてみると、早々に犯罪者扱いにされているだけではないのだろうかとすら思われてならない。天才と言われる政治家も、清廉潔白を求める時代には身動きも出来ないだろう。その構想力、先進性、愛国心、行動力も生かすことは出来ない・・・。最近の「言行不一致」の政治家が早々に消えてしまうことにも失望を感じざるを得ないことだが・・・。
・『日本列島改造論‘72』――かつて高度経済成長の時代に、田中角栄氏が描き目指した日本のグランドデザイン。40年以上も前に出版され今日の日本を的確に示唆しており、当時の日本が持つ力と実績を踏まえつつ、その延長上に未来のカタチを示してくれたものだったのだ。日本全土に張り巡らす九州から北海道までを網羅する新幹線網・高速道路網、日本全土にダム一千箇所の構想、三箇所の本四架橋をかけることなど・・・。